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	<title>コーヒー歴史年表 - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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	<updated>2026-07-30T05:51:30Z</updated>
	<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>ジョナサンズ・コーヒーハウス</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ジョナサンズ・コーヒーハウス&#039;&#039;&#039;：Jonathan’s Coffee House ==&lt;br /&gt;
　1680年ごろ、ジョナサン・マイルズ Jonathan Miles が[[コーンヒル]] Cornhillのエクスチェンジ小路 Exchange Alley で開業。 開業当初から株の仲買人たちが多く利用をしていた。1697年ごろには、株の売買が騒々しいとの理由で、多くの仲買人たちは株取引の場所を王立取引所から「ジョナサンズ」に移した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
[[ファイル:Jonathan&#039;s Coffee House or an Analysis of Change Alley With a Group of Characters from the Life - Inscribed to Jacob Henriques (BM 1868,0808.4311).jpg|サムネイル|319x319ピクセル|1763年の「ジョナサンズ・コーヒーハウス」Wikipedia：Jonathan&#039;s Coffee-House （英語版）より]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジョナサンズ」における株取引と「南海会社泡沫事件」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「ジョナサンズ」や近隣のコーヒーハウスに集まっていた株の仲買人たちは、店内で多くの株式会社の株取引をしていたが、17世紀、18世紀の株式会社の経営は不安定で、資金の流用や投機によって経営を誤ることが多かったといわれている。1720年に貴族、商人、庶民などあらゆる階層を巻き込み大きな社会事件となった「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble （ 「南海会社 South Sea Company 」をはじめ多くの貿易会社の異常な株式投機と崩壊。）」があった。この事件にかかわる多くの株取引が「ジョナサンズ」で行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その後も、「ジョナサンズ」では仲買人による株取引が多く行われ、ロンドンの証券市場は「ジョナサンズ」を中心に動いていたと思われる。1748年には火災により焼失しているが、すぐに再建された。さらに1761年には、約150人の主要な株仲買人が年に8ポンドの会費を支払い、貧しい同業者を排除して、毎日約3時間店を貸し切りにし、商談を行った。「ジョナサンズ」のクラブ化である。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ニュー・ジョナサンズ」と「ロンドン証券取引所」の誕生&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
  「ジョナサンズ」での株取引は益々増大していき、 1773年に主要な株仲買人たちはスレッドニードル通り Threadneedle St. 南のスウィーティング小路 Sweeting’s Alley の建物に移った。移転当初は、「ニュー・ジョナサンズ New Jonathan’s Coffee House」と呼ばれていたようだが、後に、一階は「株式取引所 Stock Exchange 」二階は「株式取引所コーヒーハウス Stock Exchange Coffee House 」という名になった。もとの「ジョナサンズ」もしばらくの間は残っていたようではある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　1801年株の仲買人たちはバーソロミュー小路 Bartholomew Ln.にある建物を買い取り、株の取引業務はここに拠点を移して、現在の「ロンドン証券取引所 London Stock Exchange 」の基礎が出来上がった。なお、「株式取引所コーヒーハウス（ニュー・ジョナサンズ）」は、商人・株仲買人たちが飲食できる本来の姿のコーヒーハウスとして1830年代まで営業をしていた。　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）                                 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers  &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE Second Edition,&#039;&#039; 1935&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Bryant Lillywhite, &#039;&#039;London Coffee Houses&#039;&#039;  (George Allen and Unwin , 1963)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedea：Jonathan’s Coffee-House　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedea：South Sea Bublle　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%A8%E5%95%86%E5%8F%96%E5%BC%95&amp;diff=50159</id>
		<title>＊コラム：コーヒーハウスと商取引</title>
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		<updated>2026-07-28T17:20:23Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;[コラム]　コーヒーハウスと商取引&#039;&#039;&#039; ==&lt;br /&gt;
　16世紀中ごろまでは、イギリス人商人の活動の拠点はベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp であった。ここで取引がされた輸入商品は船でテムズ川をさかのぼり、ロンドン橋付近で荷揚げをした。商品は荷揚げ地に近い[[コーンヒル]] Cornhill のロンバード通り Lombard St. 付近で路上取引が行われた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　16世紀の後半、イギリスはスペイン、ポルトガルの後を追い海外貿易、植民地支配に乗り出した。貿易による利益の獲得、植民地支配などの魅力的な要因から、海外進出は積極的に進められて、後の海洋帝国の誕生につながったが、これらの海外各地との商取引にかかわった貿易商や海運・船舶の関係者たちが利用したコーヒーハウスがロンドン市内、特にコーンヒルに数多くあった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　[[ロンドン大火]]の後、1669年に[[ロイヤル・エクスチェンジ|商品取引所（市場）]]が再建されたが、規模が小さくてイギリスの海外貿易の発展とともに膨大した輸入商品の量を、取引所だけでは扱いきれなくなった。貿易商人や船舶関係者は、雨風がしのげ、暖の取れる自分たちが出入りをしていたコーヒーハウスの店内で、直接商品売買をして多くの取引をするようになった。多くの商人たちが集まるコーヒーハウスには、海外のニュースや貿易の情報があふれていた。新聞などのメディアがまだ十分に発達していなかった当時は、情報は商人同士、船舶関係者同士の対話が唯一の手段であり、それらができるコーヒーハウスは、まさに当時のイギリスの貿易を動かす場になった。また、コーヒーハウスでは商品の取引だけではなく、他の経済活動も行われていた。海上輸送を担う船舶の取引、海上保険の業務、さらに貿易や船舶の会社の株取引、また負の遺産である奴隷の取引などである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　数々の商取引が行われたコーンヒルのコーヒーハウスをいくつか紹介してみたい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ギャラウェイズ・コーヒーハウス Garraway’s Coffee House 」　&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1670年頃にエクスチェンジ小路 Exchange Alley に移転した「茶」の一般販売をイギリスで最初にした店。ほかにコーヒー、たばこ、香辛料などの輸入商品の取引から、株取引、土地・建物、商品手形・保険証書の売買も行った。これらは主に競売方式で取引がなされて、18世紀半ば以降はコーヒーハウスというより競売所の様相であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[ギャラウェイズ]]の項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ロイズ・コーヒーハウス Lloyd’s Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1691年にロンバード通り Lombard St.に移転。移転前（コヴェントガーデンCovent Garden  近くのタワー通り Tower St.）は商品や土地・建物の取引があったが、移転後は船舶取引、海上保険の引き受けが多くなり、のちの「ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London ）」の設立につながったコーヒーハウスである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[ロイズ]]の項、[[コラム：ロイズを巡って]] を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジョナサンズ・コーヒーハウス Jonathan’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1680年頃にエクスチェンジ小路で開業。17世紀の末以降株取引の中心となり、1720年の「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble 」の舞台にもなった。1773年スレッドニードル通り Threadneedle St. 近くに「ニュー・ジョナサンズ」を開業し、ここが1801年の「ロンドン証券取引所」開設の基礎になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[ジョナサンズ・コーヒーハウス|ジョナサンズ]]の項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジャマイカ・コーヒーハウス Jamaica Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1674年頃にセント・マイケル小路 St Michael’s Alleyで開業。ジャマイカとの貿易商が多く、海上保険契約や奴隷取引が行われていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「トムズ・コーヒーハウス Tom’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1700年頃にバーチン通り Birchin Ln.で開業。商取引や株の仲買が活発に行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[トムズ]]の項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「エルサレム・コーヒーハウス Jerusalem Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1702年頃にカウパーズコート Coeper’s Ct.で開業。東インド会社と関係が深く、中国・インド・オーストラリアとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ニュー・イングランド・コーヒーハウス New England Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1720年頃にスレッドニードル通りで開業。アメリカ関係の取引が多かった。 [[ファイル:スキャン 20260608.jpg|サムネイル|446x446ピクセル|1748年当時のコーンヒル界隈の地図　　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]&#039;&#039;&#039;「アンティガリカン・コーヒーハウス Antigallican Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1759年頃にスレッドニードル通りで開業。オランダ・フランス・ドイツとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「バルチック・コーヒーハウス Baltic Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　19世紀に入ってからの1823年にスレッドニードル通りで開業。ロシア貿易関係が多く、現在の「バルチック海運取引所 Baltic Exchange 」の前身。  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ほかに1748年当時のロンドン・シティーの中心であるコーンヒルの地図には、&#039;&#039;&#039;「エルフォーズ Elford’s Coffee House 」「ペンシルバニア Penfilvania Coffee House 」「マリーン Marine Coffee House」&#039;&#039;&#039;などのコーヒーハウスが掲載されており、それぞれの店で様々な商業取引（活動）がなされていたと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;・&#039;&#039;&#039;William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Royal Exchange, London　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
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		<title>＊コラム：コーヒーハウスと商取引</title>
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		<updated>2026-07-28T17:18:11Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;[コラム]　コーヒーハウスと商取引&#039;&#039;&#039; ==&lt;br /&gt;
　16世紀中ごろまでは、イギリス人商人の活動の拠点はベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp であった。ここで取引がされた輸入商品は船でテムズ川をさかのぼり、ロンドン橋付近で荷揚げをした。商品は荷揚げ地に近い[[コーンヒル]] Cornhill のロンバード通り Lombard St. 付近で路上取引が行われた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　16世紀の後半、イギリスはスペイン、ポルトガルの後を追い海外貿易、植民地支配に乗り出した。貿易による利益の獲得、植民地支配などの魅力的な要因から、海外進出は積極的に進められて、後の海洋帝国の誕生につながったが、これらの海外各地との商取引にかかわった貿易商や海運・船舶の関係者たちが利用したコーヒーハウスがロンドン市内、特にコーンヒルに数多くあった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　[[ロンドン大火]]の後、1669年に[[ロイヤル・エクスチェンジ|商品取引所（市場）]]が再建されたが、規模が小さくてイギリスの海外貿易の発展とともに膨大した輸入商品の量を、取引所だけでは扱いきれなくなった。貿易商人や船舶関係者は、雨風がしのげ、暖の取れる自分たちが出入りをしていたコーヒーハウスの店内で、直接商品売買をして多くの取引をするようになった。多くの商人たちが集まるコーヒーハウスには、海外のニュースや貿易の情報があふれていた。新聞などのメディアがまだ十分に発達していなかった当時は、情報は商人同士、船舶関係者同士の対話が唯一の手段であり、それらができるコーヒーハウスは、まさに当時のイギリスの貿易を動かす場になった。また、コーヒーハウスでは商品の取引だけではなく、他の経済活動も行われていた。海上輸送を担う船舶の取引、海上保険の業務、さらに貿易や船舶の会社の株取引、また負の遺産である奴隷の取引などである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　数々の商取引が行われたコーンヒルのコーヒーハウスをいくつか紹介してみたい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ギャラウェイズ・コーヒーハウス Garraway’s Coffee House 」　&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1670年頃にエクスチェンジ小路 Exchange Alley に移転した「茶」の一般販売をイギリスで最初にした店。ほかにコーヒー、たばこ、香辛料などの輸入商品の取引から、株取引、土地・建物、商品手形・保険証書の売買も行った。これらは主に競売方式で取引がなされて、18世紀半ば以降はコーヒーハウスというより競売所の様相であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[ギャラウェイズ]]の項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ロイズ・コーヒーハウス Lloyd’s Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1691年にロンバード通り Lombard St.に移転。移転前（コヴェントガーデンCovent Garden  近くのタワー通り Tower St.）は商品や土地・建物の取引があったが、移転後は船舶取引、海上保険の引き受けが多くなり、のちの「ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London ）」の設立につながったコーヒーハウスである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[ロイズ]]の項、[[コラム：ロイズを巡って]] を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジョナサンズ・コーヒーハウス Jonathan’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1680年頃にエクスチェンジ小路で開業。17世紀の末以降株取引の中心となり、1720年の「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble 」の舞台にもなった。1773年スレッドニードル通り Threadneedle St. 近くに「ニュー・ジョナサンズ」を開業し、ここが1801年の「ロンドン証券取引所」開設の基礎になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[ジョナサンズ・コーヒーハウス|ジョナサンズ]]の項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジャマイカ・コーヒーハウス Jamaica Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1674年頃にセント・マイケル小路 St Michael’s Alleyで開業。ジャマイカとの貿易商が多く、海上保険契約や奴隷取引が行われていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「トムズ・コーヒーハウス Tom’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1700年頃にバーチン通り Birchin Ln.で開業。商取引や株の仲買が活発に行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
([[トムズ]]の項を参照) &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「エルサレム・コーヒーハウス Jerusalem Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1702年頃にカウパーズコート Coeper’s Ct.で開業。東インド会社と関係が深く、中国・インド・オーストラリアとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ニュー・イングランド・コーヒーハウス New England Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1720年頃にスレッドニードル通りで開業。アメリカ関係の取引が多かった。 [[ファイル:スキャン 20260608.jpg|サムネイル|446x446ピクセル|1748年当時のコーンヒル界隈の地図　　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]&#039;&#039;&#039;「アンティガリカン・コーヒーハウス Antigallican Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1759年頃にスレッドニードル通りで開業。オランダ・フランス・ドイツとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「バルチック・コーヒーハウス Baltic Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　19世紀に入ってからの1823年にスレッドニードル通りで開業。ロシア貿易関係が多く、現在の「バルチック海運取引所 Baltic Exchange 」の前身。  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ほかに1748年当時のロンドン・シティーの中心であるコーンヒルの地図には、&#039;&#039;&#039;「エルフォーズ Elford’s Coffee House 」「ペンシルバニア Penfilvania Coffee House 」「マリーン Marine Coffee House」&#039;&#039;&#039;などのコーヒーハウスが掲載されており、それぞれの店で様々な商業取引（活動）がなされていたと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;・&#039;&#039;&#039;William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Royal Exchange, London　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%A8%E5%95%86%E5%8F%96%E5%BC%95&amp;diff=50157</id>
		<title>＊コラム：コーヒーハウスと商取引</title>
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		<updated>2026-07-28T17:16:44Z</updated>

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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;[コラム]　コーヒーハウスと商取引&#039;&#039;&#039; ==&lt;br /&gt;
　16世紀中ごろまでは、イギリス人商人の活動の拠点はベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp であった。ここで取引がされた輸入商品は船でテムズ川をさかのぼり、ロンドン橋付近で荷揚げをした。商品は荷揚げ地に近い[[コーンヒル]] Cornhill のロンバード通り Lombard St. 付近で路上取引が行われた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　16世紀の後半、イギリスはスペイン、ポルトガルの後を追い海外貿易、植民地支配に乗り出した。貿易による利益の獲得、植民地支配などの魅力的な要因から、海外進出は積極的に進められて、後の海洋帝国の誕生につながったが、これらの海外各地との商取引にかかわった貿易商や海運・船舶の関係者たちが利用したコーヒーハウスがロンドン市内、特にコーンヒルに数多くあった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　[[ロンドン大火]]の後、1669年に[[ロイヤル・エクスチェンジ|商品取引所（市場）]]が再建されたが、規模が小さくてイギリスの海外貿易の発展とともに膨大した輸入商品の量を、取引所だけでは扱いきれなくなった。貿易商人や船舶関係者は、雨風がしのげ、暖の取れる自分たちが出入りをしていたコーヒーハウスの店内で、直接商品売買をして多くの取引をするようになった。多くの商人たちが集まるコーヒーハウスには、海外のニュースや貿易の情報があふれていた。新聞などのメディアがまだ十分に発達していなかった当時は、情報は商人同士、船舶関係者同士の対話が唯一の手段であり、それらができるコーヒーハウスは、まさに当時のイギリスの貿易を動かす場になった。また、コーヒーハウスでは商品の取引だけではなく、他の経済活動も行われていた。海上輸送を担う船舶の取引、海上保険の業務、さらに貿易や船舶の会社の株取引、また負の遺産である奴隷の取引などである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　数々の商取引が行われたコーンヒルのコーヒーハウスをいくつか紹介してみたい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ギャラウェイズ・コーヒーハウス Garraway’s Coffee House 」　&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1670年頃にエクスチェンジ小路 Exchange Alley に移転した「茶」の一般販売をイギリスで最初にした店。ほかにコーヒー、たばこ、香辛料などの輸入商品の取引から、株取引、土地・建物、商品手形・保険証書の売買も行った。これらは主に競売方式で取引がなされて、18世紀半ば以降はコーヒーハウスというより競売所の様相であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[ギャラウェイズ]]の項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ロイズ・コーヒーハウス Lloyd’s Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1691年にロンバード通り Lombard St.に移転。移転前（コヴェントガーデンCovent Garden  近くのタワー通り Tower St.）は商品や土地・建物の取引があったが、移転後は船舶取引、海上保険の引き受けが多くなり、のちの「ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London ）」の設立につながったコーヒーハウスである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[ロイズ]]の項、[[コラム：ロイズを巡って]] を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジョナサンズ・コーヒーハウス Jonathan’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1680年頃にエクスチェンジ小路で開業。17世紀の末以降株取引の中心となり、1720年の「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble 」の舞台にもなった。1773年スレッドニードル通り Threadneedle St. 近くに「ニュー・ジョナサンズ」を開業し、ここが1801年の「ロンドン証券取引所」開設の基礎になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（[[ジョナサンズ・コーヒーハウス|ジョナサンズ]]の項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジャマイカ・コーヒーハウス Jamaica Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1674年頃にセント・マイケル小路 St Michael’s Alleyで開業。ジャマイカとの貿易商が多く、海上保険契約や奴隷取引が行われていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「トムズ・コーヒーハウス Tom’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1700年頃にバーチン通り Birchin Ln.で開業。商取引や株の仲買が活発に行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 ([[トムズ]]の項を参照) &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「エルサレム・コーヒーハウス Jerusalem Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1702年頃にカウパーズコート Coeper’s Ct.で開業。東インド会社と関係が深く、中国・インド・オーストラリアとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ニュー・イングランド・コーヒーハウス New England Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1720年頃にスレッドニードル通りで開業。アメリカ関係の取引が多かった。 [[ファイル:スキャン 20260608.jpg|サムネイル|446x446ピクセル|1748年当時のコーンヒル界隈の地図　　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]&#039;&#039;&#039;「アンティガリカン・コーヒーハウス Antigallican Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1759年頃にスレッドニードル通りで開業。オランダ・フランス・ドイツとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「バルチック・コーヒーハウス Baltic Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　19世紀に入ってからの1823年にスレッドニードル通りで開業。ロシア貿易関係が多く、現在の「バルチック海運取引所 Baltic Exchange 」の前身。  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ほかに1748年当時のロンドン・シティーの中心であるコーンヒルの地図には、&#039;&#039;&#039;「エルフォーズ Elford’s Coffee House 」「ペンシルバニア Penfilvania Coffee House 」「マリーン Marine Coffee House」&#039;&#039;&#039;などのコーヒーハウスが掲載されており、それぞれの店で様々な商業取引（活動）がなされていたと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;・&#039;&#039;&#039;William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Royal Exchange, London　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%A8%E5%95%86%E5%8F%96%E5%BC%95&amp;diff=50156</id>
		<title>＊コラム：コーヒーハウスと商取引</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;[コラム]　コーヒーハウスと商取引&#039;&#039;&#039; ==&lt;br /&gt;
　16世紀中ごろまでは、イギリス人商人の活動の拠点はベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp であった。ここで取引がされた輸入商品は船でテムズ川をさかのぼり、ロンドン橋付近で荷揚げをした。商品は荷揚げ地に近いコーンヒル Cornhill のロンバード通り Lombard St. 付近で路上取引が行われた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　16世紀の後半、イギリスはスペイン、ポルトガルの後を追い海外貿易、植民地支配に乗り出した。貿易による利益の獲得、植民地支配などの魅力的な要因から、海外進出は積極的に進められて、後の海洋帝国の誕生につながったが、これらの海外各地との商取引にかかわった貿易商や海運・船舶の関係者たちが利用したコーヒーハウスがロンドン市内、特にコーンヒルに数多くあった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ロンドン大火の後、1669年に商品取引所（市場）が再建されたが、規模が小さくてイギリスの海外貿易の発展とともに膨大した輸入商品の量を、取引所だけでは扱いきれなくなった。貿易商人や船舶関係者は、雨風がしのげ、暖の取れる自分たちが出入りをしていたコーヒーハウスの店内で、直接商品売買をして多くの取引をするようになった。多くの商人たちが集まるコーヒーハウスには、海外のニュースや貿易の情報があふれていた。新聞などのメディアがまだ十分に発達していなかった当時は、情報は商人同士、船舶関係者同士の対話が唯一の手段であり、それらができるコーヒーハウスは、まさに当時のイギリスの貿易を動かす場になった。また、コーヒーハウスでは商品の取引だけではなく、他の経済活動も行われていた。海上輸送を担う船舶の取引、海上保険の業務、さらに貿易や船舶の会社の株取引、また負の遺産である奴隷の取引などである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　数々の商取引が行われたコーンヒルのコーヒーハウスをいくつか紹介してみたい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ギャラウェイズ・コーヒーハウス Garraway’s Coffee House 」　&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1670年頃にエクスチェンジ小路 Exchange Alley に移転した「茶」の一般販売をイギリスで最初にした店。ほかにコーヒー、たばこ、香辛料などの輸入商品の取引から、株取引、土地・建物、商品手形・保険証書の売買も行った。これらは主に競売方式で取引がなされて、18世紀半ば以降はコーヒーハウスというより競売所の様相であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ギャラウェイズの項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ロイズ・コーヒーハウス Lloyd’s Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1691年にロンバード通り Lombard St.に移転。移転前（コヴェントガーデンCovent Garden  近くのタワー通り Tower St.）は商品や土地・建物の取引があったが、移転後は船舶取引、海上保険の引き受けが多くなり、のちの「ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London ）」の設立につながったコーヒーハウスである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ロイズの項、コラム：ロイズを巡って を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジョナサンズ・コーヒーハウス Jonathan’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1680年頃にエクスチェンジ小路で開業。17世紀の末以降株取引の中心となり、1720年の「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble 」の舞台にもなった。1773年スレッドニードル通り Threadneedle St. 近くに「ニュー・ジョナサンズ」を開業し、ここが1801年の「ロンドン証券取引所」開設の基礎になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ジョナサンズの項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジャマイカ・コーヒーハウス Jamaica Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1674年頃にセント・マイケル小路 St Michael’s Alleyで開業。ジャマイカとの貿易商が多く、海上保険契約や奴隷取引が行われていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「トムズ・コーヒーハウス Tom’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1700年頃にバーチン通り Birchin Ln.で開業。商取引や株の仲買が活発に行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
(トムズの項を参照) &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「エルサレム・コーヒーハウス Jerusalem Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1702年頃にカウパーズコート Coeper’s Ct.で開業。東インド会社と関係が深く、中国・インド・オーストラリアとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ニュー・イングランド・コーヒーハウス New England Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1720年頃にスレッドニードル通りで開業。アメリカ関係の取引が多かった。 [[ファイル:スキャン 20260608.jpg|サムネイル|446x446ピクセル|1748年当時のコーンヒル界隈の地図　　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]&#039;&#039;&#039;「アンティガリカン・コーヒーハウス Antigallican Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1759年頃にスレッドニードル通りで開業。オランダ・フランス・ドイツとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「バルチック・コーヒーハウス Baltic Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　19世紀に入ってからの1823年にスレッドニードル通りで開業。ロシア貿易関係が多く、現在の「バルチック海運取引所 Baltic Exchange 」の前身。  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ほかに1748年当時のロンドン・シティーの中心であるコーンヒルの地図には、&#039;&#039;&#039;「エルフォーズ Elford’s Coffee House 」「ペンシルバニア Penfilvania Coffee House 」「マリーン Marine Coffee House」&#039;&#039;&#039;などのコーヒーハウスが掲載されており、それぞれの店で様々な商業取引（活動）がなされていたと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;・&#039;&#039;&#039;William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Royal Exchange, London　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8&amp;diff=50155</id>
		<title>ロイヤル・エクスチェンジ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8&amp;diff=50155"/>
		<updated>2026-07-28T17:02:37Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイヤル・エクスチェンジ　&#039;&#039;&#039;Royal Exchange, London ==&lt;br /&gt;
　イギリスの経済活動の中で商品取引の中心であり、「王立 Royal 」の称号を与えられた取引所（市場）。ロンドンの中心部シティー Cityの[[コーンヒル]] Cornhill にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイヤル・エクスチェンジ（王立商品取引所）は1567年に創設されたが、1666年の[[ロンドン大火]]で焼失し、1669年に再建された。この再建された取引所がロンドンのコーヒーハウスの歴史と関係が深い。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;ロイヤル・エクスチェンジの始まり&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　イギリスが海外との貿易を始めた16世紀の半ば、ロンドンで有力な貿易商トーマス・グレシャム Sir Thomas Gresham が、イギリス王室代表貿易商として駐在していた、ベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp の商品取引所を参考に、ロンドンの貿易商人たちの協力を得て、1567年コーンヒルに最初の取引所を開設した。1571年にエリザベス女王一世 Queen ElizabethⅠ が取引所を訪問した際に「王立Royal 」の称号が与えられた。取引所といっても物資の交換が中心の商品市場（いちば）の役割が強く、取引場所は中庭とそれを取り囲むアーケードであった。建物の二階には、高級輸入品を扱う商店が入居しており、取引所の賃貸収入の財源になっていたが、1666年に[[ロンドン大火]]により焼失した。 [[ファイル:Bolsa, Londres, Inglaterra, 2014-08-11, DD 144.jpg|サムネイル|354x354ピクセル|現在の王立取引所　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：王立取引所　より]]&#039;&#039;&#039;再建後のロイヤル・エクスチェンジ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大火後のロンドンの復興は早く、さらに海外貿易の発展も順調であったために、1669年同じ場所に二代目となる王立商品取引所（市場）が完成した。取引所の規模は初代と同じで、中庭が商品取引の場で、二階は賃貸の店舗であった。賃貸収入を増やすために店舗の数を大幅に増やし、商店だけではなく、事務所や営業所も入居した。1774年には「[[ロイズ|ロイズ・コーヒーハウス]] Loyd’s Coffee House (後のロイズ海上保険組合）」が入居している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　取引所は当時のイギリスの商品取引を支えていたが、施設の規模があまりに小さかったために、取引所での取引は輸入商品の一部だけで、多くの商品・金融・海上保険・株式・船舶などの取引は近隣のコーヒーハウスで行われていた。（[[＊コラム：コーヒーハウスと商取引]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1838年、近隣のコーヒーハウスとともに、イギリスの経済を支えてきた商品取引所は火災により焼失した。1845年コンクリート造りの三代目となる商品取引所が再建されたが、商品の取引は徐々に他に移り、取引所としての機能は終了した。建物は2001年に大規模改修がなされて、第１級指定建造物（イギリスの歴史ある建造物）に指定され、現在はレストランや高級ブランドのショッピングモールとしてロンドンの観光名所となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Royal Exchange, London　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：王立取引所　（日本語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8&amp;diff=50154</id>
		<title>ロイヤル・エクスチェンジ</title>
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		<updated>2026-07-28T17:00:54Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイヤル・エクスチェンジ　&#039;&#039;&#039;Royal Exchange, London ==&lt;br /&gt;
　イギリスの経済活動の中で商品取引の中心であり、「王立 Royal 」の称号を与えられた取引所（市場）。ロンドンの中心部シティー Cityの[[コーンヒル]] Cornhill にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイヤル・エクスチェンジ（王立商品取引所）は1567年に創設されたが、1666年の[[ロンドン大火]]で焼失し、1669年に再建された。この再建された取引所がロンドンのコーヒーハウスの歴史と関係が深い。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;ロイヤル・エクスチェンジの始まり&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　イギリスが海外との貿易を始めた16世紀の半ば、ロンドンで有力な貿易商トーマス・グレシャム Sir Thomas Gresham が、イギリス王室代表貿易商として駐在していた、ベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp の商品取引所を参考に、ロンドンの貿易商人たちの協力を得て、1567年コーンヒルに最初の取引所を開設した。1571年にエリザベス女王一世 Queen ElizabethⅠ が取引所を訪問した際に「王立Royal 」の称号が与えられた。取引所といっても物資の交換が中心の商品市場（いちば）の役割が強く、取引場所は中庭とそれを取り囲むアーケードであった。建物の二階には、高級輸入品を扱う商店が入居しており、取引所の賃貸収入の財源になっていたが、1666年に[[ロンドン大火]]により焼失した。 [[ファイル:Bolsa, Londres, Inglaterra, 2014-08-11, DD 144.jpg|サムネイル|354x354ピクセル|現在の王立取引所　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：王立取引所　より]]&#039;&#039;&#039;再建後のロイヤル・エクスチェンジ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大火後のロンドンの復興は早く、さらに海外貿易の発展も順調であったために、1669年同じ場所に二代目となる王立商品取引所（市場）が完成した。取引所の規模は初代と同じで、中庭が商品取引の場で、二階は賃貸の店舗であった。賃貸収入を増やすために店舗の数を大幅に増やし、商店だけではなく、事務所や営業所も入居した。1774年には「[[ロイズロイズ・コーヒーハウス Loyd’s Coffee House (後のロイズ海上保険組合）」が入居している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　取引所は当時のイギリスの商品取引を支えていたが、施設の規模があまりに小さかったために、取引所での取引は輸入商品の一部だけで、多くの商品・金融・海上保険・株式・船舶などの取引は近隣のコーヒーハウスで行われていた。（[[＊コラム：コーヒーハウスと商取引]]を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1838年、近隣のコーヒーハウスとともに、イギリスの経済を支えてきた商品取引所は火災により焼失した。1845年コンクリート造りの三代目となる商品取引所が再建されたが、商品の取引は徐々に他に移り、取引所としての機能は終了した。建物は2001年に大規模改修がなされて、第１級指定建造物（イギリスの歴史ある建造物）に指定され、現在はレストランや高級ブランドのショッピングモールとしてロンドンの観光名所となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Royal Exchange, London　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：王立取引所　（日本語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8&amp;diff=50153</id>
		<title>ロイヤル・エクスチェンジ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8&amp;diff=50153"/>
		<updated>2026-07-28T16:55:40Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイヤル・エクスチェンジ　&#039;&#039;&#039;Royal Exchange, London ==&lt;br /&gt;
　イギリスの経済活動の中で商品取引の中心であり、「王立 Royal 」の称号を与えられた取引所（市場）。ロンドンの中心部シティー Cityのコーンヒル Cornhill にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイヤル・エクスチェンジ（王立商品取引所）は1567年に創設されたが、1666年のロンドン大火で焼失し、1669年に再建された。この再建された取引所がロンドンのコーヒーハウスの歴史と関係が深い。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;ロイヤル・エクスチェンジの始まり&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　イギリスが海外との貿易を始めた16世紀の半ば、ロンドンで有力な貿易商トーマス・グレシャム Sir Thomas Gresham が、イギリス王室代表貿易商として駐在していた、ベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp の商品取引所を参考に、ロンドンの貿易商人たちの協力を得て、1567年コーンヒルに最初の取引所を開設した。1571年にエリザベス女王一世 Queen ElizabethⅠ が取引所を訪問した際に「王立Royal 」の称号が与えられた。取引所といっても物資の交換が中心の商品市場（いちば）の役割が強く、取引場所は中庭とそれを取り囲むアーケードであった。建物の二階には、高級輸入品を扱う商店が入居しており、取引所の賃貸収入の財源になっていたが、1666年にロンドン大火により焼失した。 [[ファイル:Bolsa, Londres, Inglaterra, 2014-08-11, DD 144.jpg|サムネイル|354x354ピクセル|現在の王立取引所　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：王立取引所　より]]&#039;&#039;&#039;再建後のロイヤル・エクスチェンジ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大火後のロンドンの復興は早く、さらに海外貿易の発展も順調であったために、1669年同じ場所に二代目となる王立商品取引所（市場）が完成した。取引所の規模は初代と同じで、中庭が商品取引の場で、二階は賃貸の店舗であった。賃貸収入を増やすために店舗の数を大幅に増やし、商店だけではなく、事務所や営業所も入居した。1774年には「ロイズ・コーヒーハウス Loyd’s Coffee House (後のロイズ海上保険組合）」が入居している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　取引所は当時のイギリスの商品取引を支えていたが、施設の規模があまりに小さかったために、取引所での取引は輸入商品の一部だけで、多くの商品・金融・海上保険・株式・船舶などの取引は近隣のコーヒーハウスで行われていた。（コラム：コーヒーハウスと商取引を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1838年、近隣のコーヒーハウスとともに、イギリスの経済を支えてきた商品取引所は火災により焼失した。1845年コンクリート造りの三代目となる商品取引所が再建されたが、商品の取引は徐々に他に移り、取引所としての機能は終了した。建物は2001年に大規模改修がなされて、第１級指定建造物（イギリスの歴史ある建造物）に指定され、現在はレストランや高級ブランドのショッピングモールとしてロンドンの観光名所となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Royal Exchange, London　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：王立取引所　（日本語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50152</id>
		<title>＊コラム：街の復興と代用貨幣の発行</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50152"/>
		<updated>2026-07-28T16:50:33Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ［コラム］　街の復興と代用貨幣の発行 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;代用貨幣　token coin&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　17世紀後半に、政府の発行する公的な貨幣の代替として、地方公共団体や商店などが発行した貨幣であり、発行した自治体や商店とその近隣など一定の地域で通用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代のビット・コインも代用貨幣の一種である。 [[ファイル:Great Fire London.jpg|サムネイル|358x358ピクセル|Wikipedia：Great Fire of London より]]&#039;&#039;&#039;ペスト流行とロンドン大火&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1652年、[[パスカ・ロゼ]]の店が開業して以降、急速にコーヒーハウスの数は増していったが、この状況に水をさすように、1665年の[[ロンドンでペスト大流行|ペスト大流行]]と1666年の[[ロンドン大火|大火]]という２つの大きな悲劇がロンドンの街を襲った。この二つの悲劇により、当時のロンドンの劣悪な街の環境や社会整備の不備が顕著となり、この後のロンドンの新しい街づくりに生かされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;街の復興とコーヒーハウスの再建・新規開業&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大きな被害にもかかわらず、ロンドンの復興は急ピッチで行われ、商店もすぐに再開した。復興と同時に建築物の規制措置が取られて、木造家屋に代わりレンガや石造りでの再建となり、また道路の拡張や消火体制の整備も進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被災した多くのコーヒーハウスは、1670年代の始めにはほとんどが復活し、また、新たなコーヒーハウスの開業が相次いだ。再建あるいは新開業の店は、以前のような狭い階段を上がった２階や、階段を何段か上る高床の店舗ではなくて、１階の路面店が多くなった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:代用貨幣.jpg|サムネイル|310x310ピクセル|コーヒーハウス発行の代用貨幣　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]&#039;&#039;&#039;代用貨幣の発行&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ペストの流行、ロンドン大火の時期に、コーヒーハウスをはじめ多くの商店で代用貨幣（硬貨）tokenが発行された。もともと、硬貨が不足していたイギリスの経済事情からきているが、17世紀の市中での商取引の増加や、政府の1/4ペニー銅貨の製造中断の影響で小銭が著しく不足し、地方公共団体でも代用貨幣が発行された。コーヒーハウスをはじめ商人の発行した代用貨幣は、材質が真鍮・銅・鉛、ときには皮で、店名・所在地・額面金額などが表記されており、発行した店および近隣の商店で通用した。コーヒーハウスの代用貨幣で特に有名なものは、「[[レインボウ|レインボウ・コーヒーハウス]] Rainbow Coffee House 」の[[ジェイムズ・ファー]] James Farr が発行したもの（1/2ペニー）で、大火を逃れたという意味で、猛火の煙の中からアーチ型の虹が現れている図柄である。代用貨幣を発行した公共団体や商人は数千に及んだが、政府の1/4ペニー硬貨の製造再開を受けて、個人的な代用貨幣の発行は1675年以降、禁止となった。　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　   &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：token coin（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Great Fire of London（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：ロンドンの大疫病&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC&amp;diff=50151</id>
		<title>ジェイムズ・ファー</title>
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		<updated>2026-07-28T16:48:42Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;ジェイムズ・ファー　&#039;&#039;&#039;James Farr==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1657年または1656年に、ロンドンで２番目のコーヒーハウス「[[レインボウ]] Rainbow Coffee House」を開業した。床屋・外科医。ファーおよび「レインボウ」に関する二つの史実がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一つは、1656年の裁判記録に「コーヒー豆の焙煎の匂いが不快であり、焙煎のための煙突が燃えてしまい近隣住民に危険をもたらした」という理由で訴えられた記述。判決の詳細は不明だが、この後も「レインボウ」は営業を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二つ目は1666年のロンドン大火で「レインボウ」が焼け残った直後に、ファーが代用貨幣を発行していることである。この代用貨幣には燃え盛る炎の中にアーチ型の虹が描かれている。　（参照　[[＊コラム：街の復興と代用貨幣の発行]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファーは1681年に死去したが、「レインボウ」は19世紀中ほどまで営業を続けた。  （小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===&#039;&#039;&#039;参照文献&#039;&#039;&#039;===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers  “&#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;”　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・クラウス・ティーレ＝ドールマン　『ヨーロッパのカフェ文化』平田達治・友田和秀訳　大修館書店，2000年&lt;br /&gt;
 {{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
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		<title>ジェイムズ・ファー</title>
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		<updated>2026-07-28T16:45:49Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;ジェイムズ・ファー　&#039;&#039;&#039;James Farr==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1657年または1656年に、ロンドンで２番目のコーヒーハウス「[[レインボウ]] Rainbow Coffee House」を開業した。床屋・外科医。ファーおよび「レインボウ」に関する二つの史実がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一つは、1656年の裁判記録に「コーヒー豆の焙煎の匂いが不快であり、焙煎のための煙突が燃えてしまい近隣住民に危険をもたらした」という理由で訴えられた記述。判決の詳細は不明だが、この後も「レインボウ」は営業を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二つ目は1666年のロンドン大火で「レインボウ」が焼け残った直後に、ファーが代用貨幣を発行していることである。この代用貨幣には燃え盛る炎の中にアーチ型の虹が描かれている。　（参照　[[コラム：街の復興と代用貨幣の発行]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファーは1681年に死去したが、「レインボウ」は19世紀中ほどまで営業を続けた。  （小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===&#039;&#039;&#039;参照文献&#039;&#039;&#039;===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers  “&#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;”　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・クラウス・ティーレ＝ドールマン　『ヨーロッパのカフェ文化』平田達治・友田和秀訳　大修館書店，2000年&lt;br /&gt;
 {{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
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		<title>ジェイムズ・ファー</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC&amp;diff=50149"/>
		<updated>2026-07-28T16:41:19Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;ジェイムズ・ファー　&#039;&#039;&#039;James Farr==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1657年または1656年に、ロンドンで２番目のコーヒーハウス「[[レインボウ]] Rainbow Coffee House」を開業した。床屋・外科医。ファーおよび「レインボウ」に関する二つの史実がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一つは、1656年の裁判記録に「コーヒー豆の焙煎の匂いが不快であり、焙煎のための煙突が燃えてしまい近隣住民に危険をもたらした」という理由で訴えられた記述。判決の詳細は不明だが、この後も「レインボウ」は営業を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二つ目は1666年のロンドン大火で「レインボウ」が焼け残った直後に、ファーが代用貨幣を発行していることである。この代用貨幣には燃え盛る炎の中にアーチ型の虹が描かれている。　（参照　コラム：[[代用貨幣の発行|街の復興と代用貨幣の発行]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファーは1681年に死去したが、「レインボウ」は19世紀中ほどまで営業を続けた。  （小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===&#039;&#039;&#039;参照文献&#039;&#039;&#039;===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers  “&#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;”　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・クラウス・ティーレ＝ドールマン　『ヨーロッパのカフェ文化』平田達治・友田和秀訳　大修館書店，2000年&lt;br /&gt;
 {{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50148</id>
		<title>＊コラム：街の復興と代用貨幣の発行</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50148"/>
		<updated>2026-07-28T16:36:26Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ［コラム］　街の復興と代用貨幣の発行 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;代用貨幣　token coin&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　17世紀後半に、政府の発行する公的な貨幣の代替として、地方公共団体や商店などが発行した貨幣であり、発行した自治体や商店とその近隣など一定の地域で通用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代のビット・コインも代用貨幣の一種である。 [[ファイル:Great Fire London.jpg|サムネイル|358x358ピクセル|Wikipedia：Great Fire of London より]]&#039;&#039;&#039;ペスト流行とロンドン大火&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1652年、[[パスカ・ロゼ]]の店が開業して以降、急速にコーヒーハウスの数は増していったが、この状況に水をさすように、1665年の[[ロンドンでペスト大流行|ペスト大流行]]と1666年の[[ロンドン大火|大火]]という２つの大きな悲劇がロンドンの街を襲った。この二つの悲劇により、当時のロンドンの劣悪な街の環境や社会整備の不備が顕著となり、この後のロンドンの新しい街づくりに生かされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;街の復興とコーヒーハウスの再建・新規開業&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大きな被害にもかかわらず、ロンドンの復興は急ピッチで行われ、商店もすぐに再開した。復興と同時に建築物の規制措置が取られて、木造家屋に代わりレンガや石造りでの再建となり、また道路の拡張や消火体制の整備も進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被災した多くのコーヒーハウスは、1670年代の始めにはほとんどが復活し、また、新たなコーヒーハウスの開業が相次いだ。再建あるいは新開業の店は、以前のような狭い階段を上がった２階や、階段を何段か上る高床の店舗ではなくて、１階の路面店が多くなった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:代用貨幣.jpg|サムネイル|310x310ピクセル|コーヒーハウス発行の代用貨幣　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]&#039;&#039;&#039;代用貨幣の発行&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ペストの流行、ロンドン大火の時期に、コーヒーハウスをはじめ多くの商店で代用貨幣（硬貨）tokenが発行された。もともと、硬貨が不足していたイギリスの経済事情からきているが、17世紀の市中での商取引の増加や、政府の1/4ペニー銅貨の製造中断の影響で小銭が著しく不足し、地方公共団体でも代用貨幣が発行された。コーヒーハウスをはじめ商人の発行した代用貨幣は、材質が真鍮・銅・鉛、ときには皮で、店名・所在地・額面金額などが表記されており、発行した店および近隣の商店で通用した。コーヒーハウスの代用貨幣で特に有名なものは、「[[レインボウ|レインボウ・コーヒーハウス]] Rainbow Coffee House 」の[[ジェイムス・ファー|ジェイムズ・ファー]] James Farr が発行したもの（1/2ペニー）で、大火を逃れたという意味で、猛火の煙の中からアーチ型の虹が現れている図柄である。代用貨幣を発行した公共団体や商人は数千に及んだが、政府の1/4ペニー硬貨の製造再開を受けて、個人的な代用貨幣の発行は1675年以降、禁止となった。　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　   &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：token coin（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Great Fire of London（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：ロンドンの大疫病&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50147</id>
		<title>＊コラム：街の復興と代用貨幣の発行</title>
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		<updated>2026-07-28T16:35:56Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ［コラム］　街の復興と代用貨幣の発行 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;代用貨幣　token coin&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　17世紀後半に、政府の発行する公的な貨幣の代替として、地方公共団体や商店などが発行した貨幣であり、発行した自治体や商店とその近隣など一定の地域で通用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代のビット・コインも代用貨幣の一種である。 [[ファイル:Great Fire London.jpg|サムネイル|358x358ピクセル|Wikipedia：Great Fire of London より]]&#039;&#039;&#039;ペスト流行とロンドン大火&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1652年、[[パスカ・ロゼ]]の店が開業して以降、急速にコーヒーハウスの数は増していったが、この状況に水をさすように、1665年の[[ロンドンでペスト大流行|ペスト大流行]]と1666年の[[ロンドン大火|大火]]という２つの大きな悲劇がロンドンの街を襲った。この二つの悲劇により、当時のロンドンの劣悪な街の環境や社会整備の不備が顕著となり、この後のロンドンの新しい街づくりに生かされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;街の復興とコーヒーハウスの再建・新規開業&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大きな被害にもかかわらず、ロンドンの復興は急ピッチで行われ、商店もすぐに再開した。復興と同時に建築物の規制措置が取られて、木造家屋に代わりレンガや石造りでの再建となり、また道路の拡張や消火体制の整備も進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被災した多くのコーヒーハウスは、1670年代の始めにはほとんどが復活し、また、新たなコーヒーハウスの開業が相次いだ。再建あるいは新開業の店は、以前のような狭い階段を上がった２階や、階段を何段か上る高床の店舗ではなくて、１階の路面店が多くなった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:代用貨幣.jpg|サムネイル|310x310ピクセル|コーヒーハウス発行の代用貨幣　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]&#039;&#039;&#039;代用貨幣の発行&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ペストの流行、ロンドン大火の時期に、コーヒーハウスをはじめ多くの商店で代用貨幣（硬貨）tokenが発行された。もともと、硬貨が不足していたイギリスの経済事情からきているが、17世紀の市中での商取引の増加や、政府の1/4ペニー銅貨の製造中断の影響で小銭が著しく不足し、地方公共団体でも代用貨幣が発行された。コーヒーハウスをはじめ商人の発行した代用貨幣は、材質が真鍮・銅・鉛、ときには皮で、店名・所在地・額面金額などが表記されており、発行した店および近隣の商店で通用した。コーヒーハウスの代用貨幣で特に有名なものは、「[[レインボウ|レインボウ・コーヒーハウス]] Rainbow Coffee House 」の[[ジェイムス・ファー]] James Farr が発行したもの（1/2ペニー）で、大火を逃れたという意味で、猛火の煙の中からアーチ型の虹が現れている図柄である。代用貨幣を発行した公共団体や商人は数千に及んだが、政府の1/4ペニー硬貨の製造再開を受けて、個人的な代用貨幣の発行は1675年以降、禁止となった。　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　   &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：token coin（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Great Fire of London（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：ロンドンの大疫病&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50146</id>
		<title>＊コラム：街の復興と代用貨幣の発行</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50146"/>
		<updated>2026-07-28T16:34:51Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ［コラム］　街の復興と代用貨幣の発行 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;代用貨幣　token coin&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　17世紀後半に、政府の発行する公的な貨幣の代替として、地方公共団体や商店などが発行した貨幣であり、発行した自治体や商店とその近隣など一定の地域で通用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代のビット・コインも代用貨幣の一種である。 [[ファイル:Great Fire London.jpg|サムネイル|358x358ピクセル|Wikipedia：Great Fire of London より]]&#039;&#039;&#039;ペスト流行とロンドン大火&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1652年、[[パスカ・ロゼ]]の店が開業して以降、急速にコーヒーハウスの数は増していったが、この状況に水をさすように、1665年の[[ロンドンでペスト大流行|ペスト大流行]]と1666年の[[ロンドン大火|大火]]という２つの大きな悲劇がロンドンの街を襲った。この二つの悲劇により、当時のロンドンの劣悪な街の環境や社会整備の不備が顕著となり、この後のロンドンの新しい街づくりに生かされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;街の復興とコーヒーハウスの再建・新規開業&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大きな被害にもかかわらず、ロンドンの復興は急ピッチで行われ、商店もすぐに再開した。復興と同時に建築物の規制措置が取られて、木造家屋に代わりレンガや石造りでの再建となり、また道路の拡張や消火体制の整備も進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被災した多くのコーヒーハウスは、1670年代の始めにはほとんどが復活し、また、新たなコーヒーハウスの開業が相次いだ。再建あるいは新開業の店は、以前のような狭い階段を上がった２階や、階段を何段か上る高床の店舗ではなくて、１階の路面店が多くなった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:代用貨幣.jpg|サムネイル|310x310ピクセル|コーヒーハウス発行の代用貨幣　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]&#039;&#039;&#039;代用貨幣の発行&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ペストの流行、ロンドン大火の時期に、コーヒーハウスをはじめ多くの商店で代用貨幣（硬貨）tokenが発行された。もともと、硬貨が不足していたイギリスの経済事情からきているが、17世紀の市中での商取引の増加や、政府の1/4ペニー銅貨の製造中断の影響で小銭が著しく不足し、地方公共団体でも代用貨幣が発行された。コーヒーハウスをはじめ商人の発行した代用貨幣は、材質が真鍮・銅・鉛、ときには皮で、店名・所在地・額面金額などが表記されており、発行した店および近隣の商店で通用した。コーヒーハウスの代用貨幣で特に有名なものは、「[[レインボウ|レインボウ・コーヒーハウス]] Rainbow Coffee House 」の[[ジェームス・ファー]] James Farr が発行したもの（1/2ペニー）で、大火を逃れたという意味で、猛火の煙の中からアーチ型の虹が現れている図柄である。代用貨幣を発行した公共団体や商人は数千に及んだが、政府の1/4ペニー硬貨の製造再開を受けて、個人的な代用貨幣の発行は1675年以降、禁止となった。　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　   &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：token coin（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Great Fire of London（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：ロンドンの大疫病&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50145</id>
		<title>＊コラム：街の復興と代用貨幣の発行</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50145"/>
		<updated>2026-07-28T16:27:48Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ［コラム］　街の復興と代用貨幣の発行 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;代用貨幣　token coin&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　17世紀後半に、政府の発行する公的な貨幣の代替として、地方公共団体や商店などが発行した貨幣であり、発行した自治体や商店とその近隣など一定の地域で通用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代のビット・コインも代用貨幣の一種である。 [[ファイル:Great Fire London.jpg|サムネイル|358x358ピクセル|Wikipedia：Great Fire of London より]]&#039;&#039;&#039;ペスト流行とロンドン大火&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1652年、パスクワ・ロゼの店が開業して以降、急速にコーヒーハウスの数は増していったが、この状況に水をさすように、1665年のペスト大流行と1666年の大火という２つの大きな悲劇がロンドンの街を襲った。この二つの悲劇により、当時のロンドンの劣悪な街の環境や社会整備の不備が顕著となり、この後のロンドンの新しい街づくりに生かされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;街の復興とコーヒーハウスの再建・新規開業&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大きな被害にもかかわらず、ロンドンの復興は急ピッチで行われ、商店もすぐに再開した。復興と同時に建築物の規制措置が取られて、木造家屋に代わりレンガや石造りでの再建となり、また道路の拡張や消火体制の整備も進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被災した多くのコーヒーハウスは、1670年代の始めにはほとんどが復活し、また、新たなコーヒーハウスの開業が相次いだ。再建あるいは新開業の店は、以前のような狭い階段を上がった２階や、階段を何段か上る高床の店舗ではなくて、１階の路面店が多くなった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:代用貨幣.jpg|サムネイル|310x310ピクセル|コーヒーハウス発行の代用貨幣　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]&#039;&#039;&#039;代用貨幣の発行&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ペストの流行、ロンドン大火の時期に、コーヒーハウスをはじめ多くの商店で代用貨幣（硬貨）tokenが発行された。もともと、硬貨が不足していたイギリスの経済事情からきているが、17世紀の市中での商取引の増加や、政府の1/4ペニー銅貨の製造中断の影響で小銭が著しく不足し、地方公共団体でも代用貨幣が発行された。コーヒーハウスをはじめ商人の発行した代用貨幣は、材質が真鍮・銅・鉛、ときには皮で、店名・所在地・額面金額などが表記されており、発行した店および近隣の商店で通用した。コーヒーハウスの代用貨幣で特に有名なものは、「レインボウ・コーヒーハウス Rainbow Coffee House 」のジェームス・ファー James Farr が発行したもの（1/2ペニー）で、大火を逃れたという意味で、猛火の煙の中からアーチ型の虹が現れている図柄である。代用貨幣を発行した公共団体や商人は数千に及んだが、政府の1/4ペニー硬貨の製造再開を受けて、個人的な代用貨幣の発行は1675年以降、禁止となった。　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　   &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：token coin（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Great Fire of London（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：ロンドンの大疫病&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%81%AB&amp;diff=50144</id>
		<title>ロンドン大火</title>
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		<updated>2026-07-28T16:21:52Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ロンドン大火 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1666年9月2日午前1時過ぎ、ロンドン橋の北側にあるプディング通り Pudding Ln. にあるパン屋から出火し、9月5日まで４日間燃え続けた火災で、ロンドン市内の家屋や、セントポール大聖堂 St. Paul’s Cathedral を含めて多数の公共施設が焼失した。当時のイギリスはオランダと戦争中で、火元のパン屋は、海軍から注文を受けて深夜まで製造していたらしい。[[ファイル:The Great Fire of London, with Ludgate and Old St. Paul&#039;s.jpg|サムネイル|338x338ピクセル|セントポール大聖堂焼失　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：Great Fire of London より]]　強風という気象条件が災いしたとはいえ、大火になった最大の要因は、社会整備がロンドンの人口急増に追い付かなかった点にあった。密集した木造家屋や、狭い道路、消火用水の不足で満足な消火活動ができなかったが、大火による死者はわずかであった。この火災で多くのコーヒーハウスが焼失をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大火後の復興は早かった。木造家屋は禁止され、レンガ造り・石造りとなり、道路の拡張や消火体制の整備が進められた。コーヒーハウスは、1670年代初めにはほとんどの店が再建され、さらに、以前ように薄暗い階段を上った二階や、階段を数段上がった高床式の店舗ではなくて、こぎれいな建物一階の路面店が増えた。コーヒーハウスをはじめ多くの商店が代用貨幣を発行したのがこの時期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　新たなコーヒーハウスも増えていった。居心地の良い店が増え、商業や貿易で経済的にも精神的にも豊かになった市民の安らぎの場所になった。また17世紀後半からは、商取引が活発なコーヒーハウスや、ジャーナリズムの発達とともに、情報センターとして役割を果たすコーヒーハウスが続々と誕生した。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　小林章夫　『図説　ロンドン都市物語』　河出書房新社　 1998年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　Wikipedia：Great Fire of London （英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E5%A4%A7%E6%B5%81%E8%A1%8C&amp;diff=50143</id>
		<title>ロンドンでペスト大流行</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E5%A4%A7%E6%B5%81%E8%A1%8C&amp;diff=50143"/>
		<updated>2026-07-28T16:17:28Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ロンドンでペスト大流行 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　コーヒーハウスが徐々に増え始めた1665年、ロンドンでペストが大流行し多くの市民が死亡した。当時は人口統計が未発達であったために正確な数ではないが、ロンドンの人口約50万人のうち約7万人が犠牲になったといわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ペスト流行の原因は劣悪な街の環境にあった。ロンドンの人口は年々増えていったが、社会整備が追い付かず、ゴミであふれた狭い道路を生活排水が流れ、また、汚れたテムズ川の水を飲用せざるを得なかった。住宅事情も悪く、一軒の家に何十人も暮らす生活をしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ペストの流行はコーヒーハウスの営業に影響があり、ロンドン市長は夜９時以降のコーヒーハウスへの出入りを禁じた。しかし、コーヒーハウスでは「コーヒーやタバコがペストの予防になる。」といううわさが流れ、また店内には、怪しげな医者が居たり、不可解な薬の広告が貼られたりしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　11月になり寒さの訪れとともにペストの流行は収まった。　　　（小村嘉人）    &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　ダニエル・デフォー　『ペスト』　平井正穂訳　中公文庫　1973年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　小林章夫　『図説　ロンドン都市物語』　河出書房新社　 1998年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　Wikipedia：ロンドンの大疫病&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%AB&amp;diff=50142</id>
		<title>コーンヒル</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%AB&amp;diff=50142"/>
		<updated>2026-07-28T16:09:00Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;コーンヒル　&#039;&#039;&#039;Cornhill ==&lt;br /&gt;
　ロンドンの中心部に位置するシティー・オブ・ロンドン The City of London にある地区および通りの名称で、16世紀以降、現在においてもイギリスの経済・金融の中心地である。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Royal Exchange and Cornhill.jpg|サムネイル|346x346ピクセル|1830年ごろのコーンヒル　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：Cornhill （英語版）より]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;シティー、コーンヒルの始まり&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　紀元50年頃、すでにこの地に居住していたローマ人たちが、テムズ川に橋（現在のロンドン橋）をかけ、川の北岸にロンデニウム Londinium という居住地を築いたことが、シティー・オブ・ロンドンの始まりといわれている。シティーには現在ロンドン塔のあるタワーヒル Tower Hill 、セントポール大聖堂 St. Paul’s Cathedral のあるラドゲートヒル Ludgate Hill 、コーンヒルの三つの丘があり、人々はこれらの地域を中心に生活していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コーンヒルはロンドンで最も古いキリスト教布教の場所で、現在も多くの教会がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コーンヒルの名前の由来は、かつてここにトウモロコシ市場があったためとの説もある。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;16世紀以降のコーンヒル&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　人口が増えていったロンドンで、コーンヒルはテムズ川を利用した水運の集積地となり、商品取引が盛んにおこなわれた。また海外貿易の拠点にもなり、1567年に[[ロイヤル・エクスチェンジ]]（王立商品取引市場）が開設された。海外貿易の発展とともに商品取引も多くなり、取引所で賄いきれない分は近隣のコーヒーハウスで取引が行われた。もともとここコーンヒルは、1652年に[[パスカ・ロゼ]] Pasqua Rosée がロンドンで最初のコーヒーハウスを開業した場所であり、その後多くのコーヒーハウスが開業をして貿易商人や船舶関係者でにぎわった。1694年にイングランド銀行 Bank of England、1801年に証券取引所 London Stock Exchange が開設され、コーンヒルはイギリスの経済・金融の中心地となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　のちに証券取引所はセントポール大聖堂の北に移転をしたが、コーンヒルには現在もイングランド銀行本店、ロイズ本社 Loyd’s of London などがあり、ニューヨークのウォール街とともに世界の経済をけん引している。　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Cornhill,London　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：City of London　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%AB&amp;diff=50141</id>
		<title>コーンヒル</title>
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		<updated>2026-07-28T16:07:37Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;コーンヒル　&#039;&#039;&#039;Cornhill ==&lt;br /&gt;
　ロンドンの中心部に位置するシティー・オブ・ロンドン The City of London にある地区および通りの名称で、16世紀以降、現在においてもイギリスの経済・金融の中心地である。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Royal Exchange and Cornhill.jpg|サムネイル|346x346ピクセル|1830年ごろのコーンヒル　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：Cornhill （英語版）より]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;シティー、コーンヒルの始まり&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　紀元50年頃、すでにこの地に居住していたローマ人たちが、テムズ川に橋（現在のロンドン橋）をかけ、川の北岸にロンデニウム Londinium という居住地を築いたことが、シティー・オブ・ロンドンの始まりといわれている。シティーには現在ロンドン塔のあるタワーヒル Tower Hill 、セントポール大聖堂 St. Paul’s Cathedral のあるラドゲートヒル Ludgate Hill 、コーンヒルの三つの丘があり、人々はこれらの地域を中心に生活していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コーンヒルはロンドンで最も古いキリスト教布教の場所で、現在も多くの教会がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コーンヒルの名前の由来は、かつてここにトウモロコシ市場があったためとの説もある。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;16世紀以降のコーンヒル&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　人口が増えていったロンドンで、コーンヒルはテムズ川を利用した水運の集積地となり、商品取引が盛んにおこなわれた。また海外貿易の拠点にもなり、1567年にロイヤル・エクスチェンジ（王立商品取引市場）が開設された。海外貿易の発展とともに商品取引も多くなり、取引所で賄いきれない分は近隣のコーヒーハウスで取引が行われた。もともとここコーンヒルは、1652年にパスカ・ロゼ Pasqua Rosée がロンドンで最初のコーヒーハウスを開業した場所であり、その後多くのコーヒーハウスが開業をして貿易商人や船舶関係者でにぎわった。1694年にイングランド銀行 Bank of England、1801年に証券取引所 London Stock Exchange が開設され、コーンヒルはイギリスの経済・金融の中心地となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　のちに証券取引所はセントポール大聖堂の北に移転をしたが、コーンヒルには現在もイングランド銀行本店、ロイズ本社 Loyd’s of London などがあり、ニューヨークのウォール街とともに世界の経済をけん引している。　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Cornhill,London　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：City of London　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%AB&amp;diff=50140</id>
		<title>コーンヒル</title>
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		<updated>2026-07-28T16:06:57Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;コーンヒル　&#039;&#039;&#039;Cornhill ==&lt;br /&gt;
　ロンドンの中心部に位置するシティー・オブ・ロンドン The City of London にある地区および通りの名称で、16世紀以降、現在においてもイギリスの経済・金融の中心地である。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Royal Exchange and Cornhill.jpg|サムネイル|346x346ピクセル|1830年ごろのコーンヒル　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：Cornhill （英語版）より]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;シティー、コーンヒルの始まり&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　紀元50年頃、すでにこの地に居住していたローマ人たちが、テムズ川に橋（現在のロンドン橋）をかけ、川の北岸にロンデニウム Londinium という居住地を築いたことが、シティー・オブ・ロンドンの始まりといわれている。シティーには現在ロンドン塔のあるタワーヒル Tower Hill 、セントポール大聖堂 St. Paul’s Cathedral のあるラドゲートヒル Ludgate Hill 、コーンヒルの三つの丘があり、人々はこれらの地域を中心に生活していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コーンヒルはロンドンで最も古いキリスト教布教の場所で、現在も多くの教会がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コーンヒルの名前の由来は、かつてここにトウモロコシ市場があったためとの説もある。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;16世紀以降のコーンヒル&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　人口が増えていったロンドンで、コーンヒルはテムズ川を利用した水運の集積地となり、商品取引が盛んにおこなわれた。また海外貿易の拠点にもなり、1567年にロイヤル・エクスチェンジ（王立商品取引市場）が開設された。海外貿易の発展とともに商品取引も多くなり、取引所で賄いきれない分は近隣のコーヒーハウスで取引が行われた。もともとここコーンヒルは、1652年にパスカ・ロゼ Pasqua Rosée がロンドンで最初のコーヒーハウスを開業した場所であり、その後多くのコーヒーハウスが開業をして貿易商人や船舶関係者でにぎわった。1694年にイングランド銀行 Bank of England、1801年に証券取引所 London Stock Exchange が開設され、コーンヒルはイギリスの経済・金融の中心地となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　のちに証券取引所はセントポール大聖堂の北に移転をしたが、コーンヒルには現在もイングランド銀行本店、ロイズ本社 Loyd’s of London などがあり、ニューヨークのウォール街とともに世界の経済をけん引している。　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人） &lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Cornhill,London　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：City of London　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
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		<title>コーンヒル</title>
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		<updated>2026-07-28T16:06:12Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: 新規製作&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;コーンヒル　&#039;&#039;&#039;Cornhill ==&lt;br /&gt;
　ロンドンの中心部に位置するシティー・オブ・ロンドン The City of London にある地区および通りの名称で、16世紀以降、現在においてもイギリスの経済・金融の中心地である。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Royal Exchange and Cornhill.jpg|サムネイル|346x346ピクセル|1830年ごろのコーンヒル　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：Cornhill （英語版）より]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;シティー、コーンヒルの始まり&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　紀元50年頃、すでにこの地に居住していたローマ人たちが、テムズ川に橋（現在のロンドン橋）をかけ、川の北岸にロンデニウム Londinium という居住地を築いたことが、シティー・オブ・ロンドンの始まりといわれている。シティーには現在ロンドン塔のあるタワーヒル Tower Hill 、セントポール大聖堂 St. Paul’s Cathedral のあるラドゲートヒル Ludgate Hill 、コーンヒルの三つの丘があり、人々はこれらの地域を中心に生活していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コーンヒルはロンドンで最も古いキリスト教布教の場所で、現在も多くの教会がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コーンヒルの名前の由来は、かつてここにトウモロコシ市場があったためとの説もある。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;16世紀以降のコーンヒル&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　人口が増えていったロンドンで、コーンヒルはテムズ川を利用した水運の集積地となり、商品取引が盛んにおこなわれた。また海外貿易の拠点にもなり、1567年にロイヤル・エクスチェンジ（王立商品取引市場）が開設された。海外貿易の発展とともに商品取引も多くなり、取引所で賄いきれない分は近隣のコーヒーハウスで取引が行われた。もともとここコーンヒルは、1652年にパスカ・ロゼ Pasqua Rosée がロンドンで最初のコーヒーハウスを開業した場所であり、その後多くのコーヒーハウスが開業をして貿易商人や船舶関係者でにぎわった。1694年にイングランド銀行 Bank of England、1801年に証券取引所 London Stock Exchange が開設され、コーンヒルはイギリスの経済・金融の中心地となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　のちに証券取引所はセントポール大聖堂の北に移転をしたが、コーンヒルには現在もイングランド銀行本店、ロイズ本社 Loyd’s of London などがあり、ニューヨークのウォール街とともに世界の経済をけん引している。　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Cornhill,London　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：City of London　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Royal_Exchange_and_Cornhill.jpg&amp;diff=50138</id>
		<title>ファイル:Royal Exchange and Cornhill.jpg</title>
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		<updated>2026-07-28T16:01:09Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;1830年ごろのコーンヒル&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
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		<title>ジョナサンズ・コーヒーハウス</title>
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		<updated>2026-07-28T15:56:10Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&#039;&#039;&#039;ジョナサンズ・コーヒーハウス&#039;&#039;&#039;：Jonathan’s Coffee House&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1680年ごろ、ジョナサン・マイルズ Jonathan Miles が[[コーンヒル]] Cornhillのエクスチェンジ小路 Exchange Alley で開業。 開業当初から株の仲買人たちが多く利用をしていた。1697年ごろには、株の売買が騒々しいとの理由で、多くの仲買人たちは株取引の場所を王立取引所から「ジョナサンズ」に移した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
[[ファイル:Jonathan&#039;s Coffee House or an Analysis of Change Alley With a Group of Characters from the Life - Inscribed to Jacob Henriques (BM 1868,0808.4311).jpg|サムネイル|319x319ピクセル|1763年の「ジョナサンズ・コーヒーハウス」Wikipedia：Jonathan&#039;s Coffee-House （英語版）より]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジョナサンズ」における株取引と「南海会社泡沫事件」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「ジョナサンズ」や近隣のコーヒーハウスに集まっていた株の仲買人たちは、店内で多くの株式会社の株取引をしていたが、17世紀、18世紀の株式会社の経営は不安定で、資金の流用や投機によって経営を誤ることが多かったといわれている。1720年に貴族、商人、庶民などあらゆる階層を巻き込み大きな社会事件となった「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble （ 「南海会社 South Sea Company 」をはじめ多くの貿易会社の異常な株式投機と崩壊。）」があった。この事件にかかわる多くの株取引が「ジョナサンズ」で行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その後も、「ジョナサンズ」では仲買人による株取引が多く行われ、ロンドンの証券市場は「ジョナサンズ」を中心に動いていたと思われる。1748年には火災により焼失しているが、すぐに再建された。さらに1761年には、約150人の主要な株仲買人が年に8ポンドの会費を支払い、貧しい同業者を排除して、毎日約3時間店を貸し切りにし、商談を行った。「ジョナサンズ」のクラブ化である。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ニュー・ジョナサンズ」と「ロンドン証券取引所」の誕生&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
  「ジョナサンズ」での株取引は益々増大していき、 1773年に主要な株仲買人たちはスレッドニードル通り Threadneedle St. 南のスウィーティング小路 Sweeting’s Alley の建物に移った。移転当初は、「ニュー・ジョナサンズ New Jonathan’s Coffee House」と呼ばれていたようだが、後に、一階は「株式取引所 Stock Exchange 」二階は「株式取引所コーヒーハウス Stock Exchange Coffee House 」という名になった。もとの「ジョナサンズ」もしばらくの間は残っていたようではある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　1801年株の仲買人たちはバーソロミュー小路 Bartholomew Ln.にある建物を買い取り、株の取引業務はここに拠点を移して、現在の「ロンドン証券取引所 London Stock Exchange 」の基礎が出来上がった。なお、「株式取引所コーヒーハウス（ニュー・ジョナサンズ）」は、商人・株仲買人たちが飲食できる本来の姿のコーヒーハウスとして1830年代まで営業をしていた。　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）                                 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers  &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE Second Edition,&#039;&#039; 1935&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Bryant Lillywhite, &#039;&#039;London Coffee Houses&#039;&#039;  (George Allen and Unwin , 1963)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedea：Jonathan’s Coffee-House　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedea：South Sea Bublle　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9&amp;diff=50136</id>
		<title>ジョナサンズ・コーヒーハウス</title>
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		<updated>2026-07-28T15:55:34Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: 新規製作&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&#039;&#039;&#039;ジョナサンズ・コーヒーハウス&#039;&#039;&#039;：Jonathan’s Coffee House&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1680年ごろ、ジョナサン・マイルズ Jonathan Miles がコーンヒル Cornhillのエクスチェンジ小路 Exchange Alley で開業。 開業当初から株の仲買人たちが多く利用をしていた。1697年ごろには、株の売買が騒々しいとの理由で、多くの仲買人たちは株取引の場所を王立取引所から「ジョナサンズ」に移した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
[[ファイル:Jonathan&#039;s Coffee House or an Analysis of Change Alley With a Group of Characters from the Life - Inscribed to Jacob Henriques (BM 1868,0808.4311).jpg|サムネイル|319x319ピクセル|1763年の「ジョナサンズ・コーヒーハウス」Wikipedia：Jonathan&#039;s Coffee-House （英語版）より]]&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジョナサンズ」における株取引と「南海会社泡沫事件」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「ジョナサンズ」や近隣のコーヒーハウスに集まっていた株の仲買人たちは、店内で多くの株式会社の株取引をしていたが、17世紀、18世紀の株式会社の経営は不安定で、資金の流用や投機によって経営を誤ることが多かったといわれている。1720年に貴族、商人、庶民などあらゆる階層を巻き込み大きな社会事件となった「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble （ 「南海会社 South Sea Company 」をはじめ多くの貿易会社の異常な株式投機と崩壊。）」があった。この事件にかかわる多くの株取引が「ジョナサンズ」で行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その後も、「ジョナサンズ」では仲買人による株取引が多く行われ、ロンドンの証券市場は「ジョナサンズ」を中心に動いていたと思われる。1748年には火災により焼失しているが、すぐに再建された。さらに1761年には、約150人の主要な株仲買人が年に8ポンドの会費を支払い、貧しい同業者を排除して、毎日約3時間店を貸し切りにし、商談を行った。「ジョナサンズ」のクラブ化である。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ニュー・ジョナサンズ」と「ロンドン証券取引所」の誕生&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
  「ジョナサンズ」での株取引は益々増大していき、 1773年に主要な株仲買人たちはスレッドニードル通り Threadneedle St. 南のスウィーティング小路 Sweeting’s Alley の建物に移った。移転当初は、「ニュー・ジョナサンズ New Jonathan’s Coffee House」と呼ばれていたようだが、後に、一階は「株式取引所 Stock Exchange 」二階は「株式取引所コーヒーハウス Stock Exchange Coffee House 」という名になった。もとの「ジョナサンズ」もしばらくの間は残っていたようではある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　1801年株の仲買人たちはバーソロミュー小路 Bartholomew Ln.にある建物を買い取り、株の取引業務はここに拠点を移して、現在の「ロンドン証券取引所 London Stock Exchange 」の基礎が出来上がった。なお、「株式取引所コーヒーハウス（ニュー・ジョナサンズ）」は、商人・株仲買人たちが飲食できる本来の姿のコーヒーハウスとして1830年代まで営業をしていた。　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）                                 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers  &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE Second Edition,&#039;&#039; 1935&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Bryant Lillywhite, &#039;&#039;London Coffee Houses&#039;&#039;  (George Allen and Unwin , 1963)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedea：Jonathan’s Coffee-House　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedea：South Sea Bublle　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jonathan%27s_Coffee_House_or_an_Analysis_of_Change_Alley_With_a_Group_of_Characters_from_the_Life_-_Inscribed_to_Jacob_Henriques_(BM_1868,0808.4311).jpg&amp;diff=50135</id>
		<title>ファイル:Jonathan&#039;s Coffee House or an Analysis of Change Alley With a Group of Characters from the Life - Inscribed to Jacob Henriques (BM 1868,0808.4311).jpg</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jonathan%27s_Coffee_House_or_an_Analysis_of_Change_Alley_With_a_Group_of_Characters_from_the_Life_-_Inscribed_to_Jacob_Henriques_(BM_1868,0808.4311).jpg&amp;diff=50135"/>
		<updated>2026-07-28T15:43:45Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;1763年の「ジョナサンズ」&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%A8%E5%95%86%E5%8F%96%E5%BC%95&amp;diff=50133</id>
		<title>＊コラム：コーヒーハウスと商取引</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%A8%E5%95%86%E5%8F%96%E5%BC%95&amp;diff=50133"/>
		<updated>2026-07-27T17:39:30Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: 新規製作&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;[コラム]　コーヒーハウスと商取引&#039;&#039;&#039; ==&lt;br /&gt;
　16世紀中ごろまでは、イギリス人商人の活動の拠点はベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp であった。ここで取引がされた輸入商品は船でテムズ川をさかのぼり、ロンドン橋付近で荷揚げをした。商品は荷揚げ地に近いコーンヒル Cornhill のロンバード通り Lombard St. 付近で路上取引が行われた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　16世紀の後半、イギリスはスペイン、ポルトガルの後を追い海外貿易、植民地支配に乗り出した。貿易による利益の獲得、植民地支配などの魅力的な要因から、海外進出は積極的に進められて、後の海洋帝国の誕生につながったが、これらの海外各地との商取引にかかわった貿易商や海運・船舶の関係者たちが利用したコーヒーハウスがロンドン市内、特にコーンヒルに数多くあった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ロンドン大火の後、1669年に商品取引所（市場）が再建されたが、規模が小さくてイギリスの海外貿易の発展とともに膨大した輸入商品の量を、取引所だけでは扱いきれなくなった。貿易商人や船舶関係者は、雨風がしのげ、暖の取れる自分たちが出入りをしていたコーヒーハウスの店内で、直接商品売買をして多くの取引をするようになった。多くの商人たちが集まるコーヒーハウスには、海外のニュースや貿易の情報があふれていた。新聞などのメディアがまだ十分に発達していなかった当時は、情報は商人同士、船舶関係者同士の対話が唯一の手段であり、それらができるコーヒーハウスは、まさに当時のイギリスの貿易を動かす場になった。また、コーヒーハウスでは商品の取引だけではなく、他の経済活動も行われていた。海上輸送を担う船舶の取引、海上保険の業務、さらに貿易や船舶の会社の株取引、また負の遺産である奴隷の取引などである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　数々の商取引が行われたコーンヒルのコーヒーハウスをいくつか紹介してみたい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ギャラウェイズ・コーヒーハウス Garraway’s Coffee House 」　&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1670年頃にエクスチェンジ小路 Exchange Alley に移転した「茶」の一般販売をイギリスで最初にした店。ほかにコーヒー、たばこ、香辛料などの輸入商品の取引から、株取引、土地・建物、商品手形・保険証書の売買も行った。これらは主に競売方式で取引がなされて、18世紀半ば以降はコーヒーハウスというより競売所の様相であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ギャラウェイズの項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ロイズ・コーヒーハウス Lloyd’s Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1691年にロンバード通り Lombard St.に移転。移転前（コヴェントガーデンCovent Garden  近くのタワー通り Tower St.）は商品や土地・建物の取引があったが、移転後は船舶取引、海上保険の引き受けが多くなり、のちの「ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London ）」の設立につながったコーヒーハウスである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ロイズの項、コラム：ロイズを巡って を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジョナサンズ・コーヒーハウス Jonathan’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1680年頃にエクスチェンジ小路で開業。17世紀の末以降株取引の中心となり、1720年の「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble 」の舞台にもなった。1773年スレッドニードル通り Threadneedle St. 近くに「ニュー・ジョナサンズ」を開業し、ここが1801年の「ロンドン証券取引所」開設の基礎になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ジョナサンズの項を参照） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ジャマイカ・コーヒーハウス Jamaica Coffee House」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1674年頃にセント・マイケル小路 St Michael’s Alleyで開業。ジャマイカとの貿易商が多く、海上保険契約や奴隷取引が行われていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「トムズ・コーヒーハウス Tom’s Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1700年頃にバーチン通り Birchin Ln.で開業。商取引や株の仲買が活発に行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
(トムズの項を参照) &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「エルサレム・コーヒーハウス Jerusalem Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1702年頃にカウパーズコート Coeper’s Ct.で開業。東インド会社と関係が深く、中国・インド・オーストラリアとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「ニュー・イングランド・コーヒーハウス New England Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1720年頃にスレッドニードル通りで開業。アメリカ関係の取引が多かった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「アンティガリカン・コーヒーハウス Antigallican Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1759年頃にスレッドニードル通りで開業。オランダ・フランス・ドイツとの貿易関係者が多く出入りしていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;「バルチック・コーヒーハウス Baltic Coffee House 」&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　19世紀に入ってからの1823年にスレッドニードル通りで開業。ロシア貿易関係が多く、現在の「バルチック海運取引所 Baltic Exchange 」の前身。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ほかに1748年当時のロンドン・シティーの中心であるコーンヒルの地図には、&#039;&#039;&#039;「エルフォーズ Elford’s Coffee House 」「ペンシルバニア Penfilvania Coffee House 」「マリーン Marine Coffee House」&#039;&#039;&#039;などのコーヒーハウスが掲載されており、それぞれの店で様々な商業取引（活動）がなされていたと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
[[ファイル:スキャン 20260608.jpg|サムネイル|446x446ピクセル|1748年当時のコーンヒル界隈の地図　　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;・&#039;&#039;&#039;William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedea：Royal Exchange, London　（英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3_20260608.jpg&amp;diff=50132</id>
		<title>ファイル:スキャン 20260608.jpg</title>
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		<updated>2026-07-27T17:37:04Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;1748年のコーンヒル界隈の地図&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8&amp;diff=50131</id>
		<title>ロイヤル・エクスチェンジ</title>
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		<updated>2026-07-27T17:33:46Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: 新規作成&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイヤル・エクスチェンジ　&#039;&#039;&#039;Royal Exchange, London ==&lt;br /&gt;
　イギリスの経済活動の中で商品取引の中心であり、「王立 Royal 」の称号を与えられた取引所（市場）。ロンドンの中心部シティー Cityのコーンヒル Cornhill にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイヤル・エクスチェンジ（王立商品取引所）は1567年に創設されたが、1666年のロンドン大火で焼失し、1669年に再建された。この再建された取引所がロンドンのコーヒーハウスの歴史と関係が深い。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;ロイヤル・エクスチェンジの始まり&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　イギリスが海外との貿易を始めた16世紀の半ば、ロンドンで有力な貿易商トーマス・グレシャム Sir Thomas Gresham が、イギリス王室代表貿易商として駐在していた、ベルギーの港湾都市アントワープ Antwerp の商品取引所を参考に、ロンドンの貿易商人たちの協力を得て、1567年コーンヒルに最初の取引所を開設した。1571年にエリザベス女王一世 Queen ElizabethⅠ が取引所を訪問した際に「王立Royal 」の称号が与えられた。取引所といっても物資の交換が中心の商品市場（いちば）の役割が強く、取引場所は中庭とそれを取り囲むアーケードであった。建物の二階には、高級輸入品を扱う商店が入居しており、取引所の賃貸収入の財源になっていたが、1666年にロンドン大火により焼失した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;再建後のロイヤル・エクスチェンジ&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大火後のロンドンの復興は早く、さらに海外貿易の発展も順調であったために、1669年同じ場所に二代目となる王立商品取引所（市場）が完成した。取引所の規模は初代と同じで、中庭が商品取引の場で、二階は賃貸の店舗であった。賃貸収入を増やすために店舗の数を大幅に増やし、商店だけではなく、事務所や営業所も入居した。1774年には「ロイズ・コーヒーハウス Loyd’s Coffee House (後のロイズ海上保険組合）」が入居している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　取引所は当時のイギリスの商品取引を支えていたが、施設の規模があまりに小さかったために、取引所での取引は輸入商品の一部だけで、多くの商品・金融・海上保険・株式・船舶などの取引は近隣のコーヒーハウスで行われていた。（コラム：コーヒーハウスと商取引を参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1838年、近隣のコーヒーハウスとともに、イギリスの経済を支えてきた商品取引所は火災により焼失した。1845年コンクリート造りの三代目となる商品取引所が再建されたが、商品の取引は徐々に他に移り、取引所としての機能は終了した。建物は2001年に大規模改修がなされて、第１級指定建造物（イギリスの歴史ある建造物）に指定され、現在はレストランや高級ブランドのショッピングモールとしてロンドンの観光名所となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
[[ファイル:Bolsa, Londres, Inglaterra, 2014-08-11, DD 144.jpg|サムネイル|354x354ピクセル|現在の王立取引所　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：王立取引所　より]] &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedea：Royal Exchange, London　（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedea：王立取引所　（日本語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Bolsa,_Londres,_Inglaterra,_2014-08-11,_DD_144.jpg&amp;diff=50130</id>
		<title>ファイル:Bolsa, Londres, Inglaterra, 2014-08-11, DD 144.jpg</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Bolsa,_Londres,_Inglaterra,_2014-08-11,_DD_144.jpg&amp;diff=50130"/>
		<updated>2026-07-27T17:32:16Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;現在の王立取引所&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50129</id>
		<title>＊コラム：街の復興と代用貨幣の発行</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%EF%BC%8A%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%EF%BC%9A%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%81%A8%E4%BB%A3%E7%94%A8%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A1%8C&amp;diff=50129"/>
		<updated>2026-07-27T17:27:23Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: 新規作成&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ［コラム］　街の復興と代用貨幣の発行 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;代用貨幣　token coin&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　17世紀後半に、政府の発行する公的な貨幣の代替として、地方公共団体や商店などが発行した貨幣であり、発行した自治体や商店とその近隣など一定の地域で通用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現代のビット・コインも代用貨幣の一種である。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;ペスト流行とロンドン大火&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1652年、パスクワ・ロゼの店が開業して以降、急速にコーヒーハウスの数は増していったが、この状況に水をさすように、1665年のペスト大流行と1666年の大火という２つの大きな悲劇がロンドンの街を襲った。この二つの悲劇により、当時のロンドンの劣悪な街の環境や社会整備の不備が顕著となり、この後のロンドンの新しい街づくりに生かされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;街の復興とコーヒーハウスの再建・新規開業&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大きな被害にもかかわらず、ロンドンの復興は急ピッチで行われ、商店もすぐに再開した。復興と同時に建築物の規制措置が取られて、木造家屋に代わりレンガや石造りでの再建となり、また道路の拡張や消火体制の整備も進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被災した多くのコーヒーハウスは、1670年代の始めにはほとんどが復活し、また、新たなコーヒーハウスの開業が相次いだ。再建あるいは新開業の店は、以前のような狭い階段を上がった２階や、階段を何段か上る高床の店舗ではなくて、１階の路面店が多くなった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;代用貨幣の発行&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ペストの流行、ロンドン大火の時期に、コーヒーハウスをはじめ多くの商店で代用貨幣（硬貨）tokenが発行された。もともと、硬貨が不足していたイギリスの経済事情からきているが、17世紀の市中での商取引の増加や、政府の1/4ペニー銅貨の製造中断の影響で小銭が著しく不足し、地方公共団体でも代用貨幣が発行された。コーヒーハウスをはじめ商人の発行した代用貨幣は、材質が真鍮・銅・鉛、ときには皮で、店名・所在地・額面金額などが表記されており、発行した店および近隣の商店で通用した。コーヒーハウスの代用貨幣で特に有名なものは、「レインボウ・コーヒーハウス Rainbow Coffee House 」のジェームス・ファー James Farr が発行したもの（1/2ペニー）で、大火を逃れたという意味で、猛火の煙の中からアーチ型の虹が現れている図柄である。代用貨幣を発行した公共団体や商人は数千に及んだが、政府の1/4ペニー硬貨の製造再開を受けて、個人的な代用貨幣の発行は1675年以降、禁止となった。　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
[[ファイル:Great Fire London.jpg|サムネイル|358x358ピクセル|Wikipedia：Great Fire of London より]]                               &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　   &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:代用貨幣.jpg|サムネイル|310x310ピクセル|コーヒーハウス発行の代用貨幣　”All About Coffee &amp;quot;より　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　]]  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers , &#039;&#039;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：token coin（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：Great Fire of London（英語版）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：ロンドンの大疫病&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%81%AB&amp;diff=50128</id>
		<title>ロンドン大火</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%81%AB&amp;diff=50128"/>
		<updated>2026-07-27T17:18:01Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: 新規作成&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ロンドン大火 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1666年9月2日午前1時過ぎ、ロンドン橋の北側にあるプディング通り Pudding Ln. にあるパン屋から出火し、9月5日まで４日間燃え続けた火災で、ロンドン市内の家屋や、セントポール大聖堂 St. Paul’s Cathedral を含めて多数の公共施設が焼失した。当時のイギリスはオランダと戦争中で、火元のパン屋は、海軍から注文を受けて深夜まで製造していたらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　強風という気象条件が災いしたとはいえ、大火になった最大の要因は、社会整備がロンドンの人口急増に追い付かなかった点にあった。密集した木造家屋や、狭い道路、消火用水の不足で満足な消火活動ができなかったが、大火による死者はわずかであった。この火災で多くのコーヒーハウスが焼失をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大火後の復興は早かった。木造家屋は禁止され、レンガ造り・石造りとなり、道路の拡張や消火体制の整備が進められた。コーヒーハウスは、1670年代初めにはほとんどの店が再建され、さらに、以前ように薄暗い階段を上った二階や、階段を数段上がった高床式の店舗ではなくて、こぎれいな建物一階の路面店が増えた。コーヒーハウスをはじめ多くの商店が代用貨幣を発行したのがこの時期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　新たなコーヒーハウスも増えていった。居心地の良い店が増え、商業や貿易で経済的にも精神的にも豊かになった市民の安らぎの場所になった。また17世紀後半からは、商取引が活発なコーヒーハウスや、ジャーナリズムの発達とともに、情報センターとして役割を果たすコーヒーハウスが続々と誕生した。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
[[ファイル:The Great Fire of London, with Ludgate and Old St. Paul&#039;s.jpg|サムネイル|338x338ピクセル|セントポール大聖堂焼失　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedia：Great Fire of London より]]&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　小林章夫　『図説　ロンドン都市物語』　河出書房新社　 1998年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　Wikipedea：Great Fire of London （英語版）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:The_Great_Fire_of_London,_with_Ludgate_and_Old_St._Paul%27s.jpg&amp;diff=50127</id>
		<title>ファイル:The Great Fire of London, with Ludgate and Old St. Paul&#039;s.jpg</title>
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		<updated>2026-07-27T17:09:14Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;セントポール大聖堂焼失&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E5%A4%A7%E6%B5%81%E8%A1%8C&amp;diff=50126</id>
		<title>ロンドンでペスト大流行</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E5%A4%A7%E6%B5%81%E8%A1%8C&amp;diff=50126"/>
		<updated>2026-07-27T17:05:24Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: 新規作成&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== ロンドンでペスト大流行 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　コーヒーハウスが徐々に増え始めた1665年、ロンドンでペストが大流行し多くの市民が死亡した。当時は人口統計が未発達であったために正確な数ではないが、ロンドンの人口約50万人のうち約7万人が犠牲になったといわれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ペスト流行の原因は劣悪な街の環境にあった。ロンドンの人口は年々増えていったが、社会整備が追い付かず、ゴミであふれた狭い道路を生活排水が流れ、また、汚れたテムズ川の水を飲用せざるを得なかった。住宅事情も悪く、一軒の家に何十人も暮らす生活をしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ペストの流行はコーヒーハウスの営業に影響があり、ロンドン市長は夜９時以降のコーヒーハウスへの出入りを禁じた。しかし、コーヒーハウスでは「コーヒーやタバコがペストの予防になる。」といううわさが流れ、また店内には、怪しげな医者が居たり、不可解な薬の広告が貼られたりしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　11月になり寒さの訪れとともにペストの流行は収まった。　　　（小村嘉人）  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　ダニエル・デフォー　『ペスト』　平井正穂訳　中公文庫　1973年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　小林章夫　『図説　ロンドン都市物語』　河出書房新社　 1998年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・　Wikipedea：ロンドンの大疫病&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8&amp;diff=50125</id>
		<title>コーヒー歴史年表</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8&amp;diff=50125"/>
		<updated>2026-07-27T17:01:01Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: 年表項目追加&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot;&lt;br /&gt;
!15世紀以前&lt;br /&gt;
!＜コーヒー全般＞　＜エピソード＞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|約1400万年前&lt;br /&gt;
|[[コフィア属]]（[[コーヒーノキ]]）の祖先がアフリカ大陸（中央アフリカ）に生まれる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1000万〜500万年前&lt;br /&gt;
|現在の[[コフィア属]]（[[アラビカ種]]、[[カネフォラ種]]、[[ユーゲニオイデス種]]、[[リベリカ種]]等）の祖先がアフリカ大陸の各地域の気候に適応して分岐。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|数100万〜数10万年前&lt;br /&gt;
|ビクトリア湖北西部に[[カネフォラ種]]と[[ユーゲニオイデス種]]が交配して自家受粉可能な四倍体の[[アラビカ種]]の祖先が生まれる。コラム：[[＊アラビカ種の誕生と旅立ち]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|100万〜1万年前&lt;br /&gt;
|現在の[[アラビカ種]]の直接の祖先が、[[エチオピア高原]]に生き残る。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|紀元前3世紀&lt;br /&gt;
|[[エチオピア]]で山羊飼いカルディがコーヒーを発見（伝説）？（[[「山羊飼いコーヒー発見伝説」]]）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|9〜11世紀&lt;br /&gt;
|ペルシャの医師・哲学者[[アル・ラーズィー（ラーゼス）]]と[[イブン・スィーナー（アヴィセンナ）]]が、薬としてコーヒー（ブン、ブンカ、ブンクム）について記述？[[＊コラム：コーヒーを薬として使用？]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|13世紀半ば&lt;br /&gt;
|イスラムの修道僧[[シェイク・オマル]]が[[モカ]]の山中でコーヒー発見（伝説）？　＊コラム：シェイク・オマルのコーヒー発見伝説&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!15世紀&lt;br /&gt;
!＜コーヒー全般＞　＜カフェ＞　＜栽培・生産＞　＜技術・器具＞　＜エピソード＞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1454年頃&lt;br /&gt;
|[[アデン]]の律法学者[[シェイク・ジェマレディン]]（ザブハーニー）がコーヒーの効用を知り、イスラムの修道僧の間に広める。＊コラム：最初はどんなコーヒーを飲んだのか？＊コラム：コーヒーとワイン、カート&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|15世紀半ば&lt;br /&gt;
|この頃[[モカ]]の東、[[イエメン]] の山中でコーヒーの栽培始まる？　[[*コラム:いつコーヒーの栽培が始まったのか？]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1470年頃&lt;br /&gt;
|[[シェイク・ジェマレディン]]死去。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|15世紀末&lt;br /&gt;
|コーヒーの飲用がメッカ、メディナなどアラビア半島南部に広まる。ほぼ同時期にカフェも現れる[コラム]スーフィーによるイスラム世界へのコーヒーの伝播。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!16世紀&lt;br /&gt;
!＜コーヒー全般＞　＜カフェ＞　＜栽培・生産＞　＜技術・器具＞　＜エピソード＞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1510年頃&lt;br /&gt;
|コーヒーがカイロに広まる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1511年&lt;br /&gt;
|メッカで最初のコーヒー、カフェ弾圧。[コラム]イスラム世界でのコーヒー論争と弾圧。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1517年&lt;br /&gt;
|オスマン・トルコ皇帝[[セリム一世]]がエジプト征服（マムルク朝）。コーヒーがカイロからコンスタンチノープルに伝わる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1530年頃&lt;br /&gt;
|ダマスカスにコーヒー伝わる。カフェ「バラ」「救済の門」ができる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1532年頃&lt;br /&gt;
|アレッポにコーヒー伝わる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1534年&lt;br /&gt;
|カイロでコーヒー反対運動起こる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1554年&lt;br /&gt;
|コンスタンチノープルにカフェ（トルコではカフェ・カネ）ができる。[コラム]コンスタンティノープルのカフェの姿。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|16世紀半ば&lt;br /&gt;
|[[トルコ式コーヒー]]の形態（焙煎、粉砕、抽出、サーヴィス方法）が完成。[[＊コラム：トルコ式コーヒーの器具と抽出法]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1570年頃&lt;br /&gt;
|オスマン・トルコ皇帝セリム二世（在位1566〜74）によるコーヒー弾圧。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1580年頃&lt;br /&gt;
|オスマン・トルコ皇帝ムラト三世（在位1574〜92）によるコーヒー弾圧。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1582(3)年&lt;br /&gt;
|ドイツの医師・植物学者[[レオンハルト・ラウヴォルフ]]が著作（『[[東方諸国への旅Journey into the eastern countries|東方諸国への旅]]』）の中でコーヒーについて言及。ヨーロッパで初めて印刷物中にコーヒーが登場。[コラム]コーヒーのヨーロッパへの紹介者たち。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1585年&lt;br /&gt;
|ヴェネチアのトルコ大使、ジャンフランチェスコ・モロシーニ、ヴェネチア評議会にトルコでのコーヒー飲用について報告。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1587年&lt;br /&gt;
|[[アブダル・カディール]]『[[アブダル・カディールの書|コーヒーの合法性の擁護]]』を著述。現存する最古のコーヒー書。[コラム]アブダル・カディールの写本の翻訳と概要&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1588年頃&lt;br /&gt;
|[[シャー・アッバス]]の治世（1588〜1629年）には、ペルシャにカフェが存在したとの記録。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1592年&lt;br /&gt;
|[[プロスペロ・アルピーニ]]、[[『エジプトの植物』]]出版。コーヒーの木のデッサンと記述。[コラム]イタリアのコーヒーへの関心の高まり&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1595年&lt;br /&gt;
|[[バルダヌス]]『[[リンスホーテン]]の旅』の注でコーヒーに関して記述。イギリスで初めてのコーヒーに関する記述。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!17世紀&lt;br /&gt;
!＜コーヒー全般＞　＜カフェ＞　＜栽培・生産＞　＜技術・器具＞　＜エピソード＞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1600年頃&lt;br /&gt;
|インドのイスラムの巡礼者[[ババ・ブダン]]がモカからマイソールにコーヒーを持ち帰る（伝説？1640年、1695年頃という説も）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1600年頃&lt;br /&gt;
|ローマ教皇[[クレメンス八世]]、コーヒーに洗礼を施す（？伝説）。[[＊コラム：クレメンス八世のコーヒー洗礼は本当か？]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1602年&lt;br /&gt;
|[[ジョン・スミス]]、『[[旅と冒険]]』でコーヒーについて記述。[コラム]イギリス の知識人のコーヒーへの関心の高まりと著作。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1607年&lt;br /&gt;
|[[ジョン・スミス]]、バージニア植民地にコーヒーを持ち込む？&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1609年&lt;br /&gt;
|ウィリアム・ビダルフ、『ある英国人たちのアジア、アフリカその他の地への旅行記』出版。コーヒーについて詳細な記述。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1610年&lt;br /&gt;
|（オランダ、ヨーロッパに初めて中国、日本から茶を輸送）。[コラム]陶磁器（コーヒーカップ）のヨーロッパへの輸出&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1614年&lt;br /&gt;
|[[ピエトロ・デッラ・ヴァッレ]]がコーヒーをヴェネツィアに持ち帰る。？&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1616年&lt;br /&gt;
|オランダが[[モカ]]から初めてヨーロッパにコーヒーを輸送。1640年に商業的に輸入が始まる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1620年&lt;br /&gt;
|ピルグリム・ファーザーズ、アメリカ入植。コーヒー器具を持ち込む？&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1623年&lt;br /&gt;
|フランシス・ベーコン、『死生論』でコーヒーについて記述。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1632年&lt;br /&gt;
|ロバート・バートン、『メランコリーの解剖学』でコーヒーについて記述。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1634年&lt;br /&gt;
|[[ヘンリー・ブラント]]（コーヒー・ハウスの父、と呼ばれる）、『レバントへの旅』刊行。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1644年&lt;br /&gt;
|[[ピエール・ド・ラ・ローク|ド・ラ・ローク]]、トルコからマルセイユにコーヒー器具を持ち帰る。[[＊コラム:フランスのコーヒーへの関心の高まり。]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1645年&lt;br /&gt;
|ヴェネチアに最初のカフェ開店（コーヒーが一般化）？&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|同&lt;br /&gt;
|トルコの使節団がウィーンにコーヒーを紹介。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1649年&lt;br /&gt;
|（清教徒革命）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1650年&lt;br /&gt;
|オックスフォードにイギリス初のコーヒーハウス（「[[ジェイコブズ]]」）開業。　[[＊コラム：ヨーロッパ諸国のカフェの始まり]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1650年頃&lt;br /&gt;
|この頃に[[シリンダー型焙煎機]]が登場。　[[＊コラム：17～18世紀のコーヒー焙煎機。]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1652年&lt;br /&gt;
|アルメニア人[[パスカ・ロゼ]]、ロンドン初のコーヒーハウス開業。以後、続々とコーヒーハウスが誕生し、17世紀末には3000軒を数える。[[＊コラム：ロゼのコーヒーハウス開業の経緯|＊コラム：ロゼのコーヒーハウス開業の経緯。]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1656年頃&lt;br /&gt;
|オスマン・トルコの大宰相[[キョプリュリュ]]（・メフメト・パシャ）によるカフェ弾圧。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1657年以前&lt;br /&gt;
|[[ジェイムズ・ファー]]、「[[レインボウ]]」を開業(ロンドン）。ロンドンで２番目のコーヒー・ハウス。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1657年&lt;br /&gt;
|スウエーデンの旅行家[[クレス・ロラン]]、トルコを使節として訪問。コーヒーの飲み方を報告。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1657年&lt;br /&gt;
|「[[ギャラウェイズ|ギャラウェイズ・コーヒーハウス]]」（ロンドン）で茶の販売広告¸　[[＊コラム：コーヒーハウスと茶、チョコレート]]  [[コーヒーハウスと広告の誕生|＊コラム：コーヒーハウスと広告の誕生]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1657年&lt;br /&gt;
|[[ジャン・ド・テヴノー]]、パリにコーヒーを紹介。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1658年&lt;br /&gt;
|オランダ、モカから[[セイロン島（スリランカ）]]へコーヒーを移植。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1660年頃&lt;br /&gt;
|「[[マイルズ・コーヒーハウス]]」（ロンドン）に[[ロータ・クラブ]]設立。 [[＊コラム：コーヒーハウスとクラブ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1660年頃&lt;br /&gt;
|[[マルセイユ]]でコーヒーが売られる（薬屋）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1660年頃&lt;br /&gt;
|「[[ウイルズ・コーヒーハウス]]」開業（ロンドン）。（〜1749年） [[＊コラム：著名なコーヒーハウスとコーヒーハウスに通った有名人]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1664年&lt;br /&gt;
|ハーグにオランダ初のカフェ開業。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1665年&lt;br /&gt;
|（[[ロンドンでペスト大流行]]。）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1665年&lt;br /&gt;
|「[[グリシアン・コーヒーハウス]]」開業（ロンドン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1665年頃&lt;br /&gt;
|イギリス人の[[ニコラス・ブック]]、コーヒー専用のミルを開発。　[[＊コラム：コーヒー・グラインダー（ミル）の変遷。]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1666年&lt;br /&gt;
|[[ロンドン大火]]。レンガ作りで再建。続々とコーヒーハウス開業。 [[＊コラム：街の復興と代用貨幣の発行]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1668年&lt;br /&gt;
|アメリカ最初のコーヒーに関する記述。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1669年&lt;br /&gt;
|トルコの大使[[ソリマン・アガ]]がコーヒーを携えてパリに赴任。上流階級の間でコーヒーがブームになる。[[＊コラム：セヴィニェ夫人とフランス宮廷人のコーヒー観。]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1669年&lt;br /&gt;
|ロンドンに[[ロイヤル・エクスチェンジ]]（商品取引市場）開設。近辺に多数のコーヒーハウス開業。 [[＊コラム：コーヒーハウスと商取引]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1670年&lt;br /&gt;
|[[ノワンテル侯爵]]、フランス大使としてトルコ訪問¸（1670〜79年）。[[アブダル・カディールの書]]、[[ビチヴィリの写本]]を持ち帰り、ルイ一四世に献上。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1671年&lt;br /&gt;
|ローマのオリエント語教師[[ファウスト・ナイロニ]]が著作の中で[[「山羊飼いコーヒー発見伝説」]]を紹介。[[＊コラム：「山羊飼いコーヒー発見伝説」の真実]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1671年&lt;br /&gt;
|[[マルセイユ]]にフランス初めてのカフェ開業。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1671年&lt;br /&gt;
|[[シルヴェストル・デュフール]]『[[『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関して』|コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関して]]』刊行。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1672年&lt;br /&gt;
|パリに最初のカフェ。アルメニア人[[パスカル]]が露店のカフェを開業。[[＊コラム:「カフェ・プロコプ」以前のカフェ]] [[＊コラム：コーヒーの呼び売りカンディオ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1674年&lt;br /&gt;
|ロンドンで女性たちによるコーヒー禁止の請願。[[＊コラム：女性のコーヒーハウスへの反感]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1674〜88年&lt;br /&gt;
|ロベール・ボナール（Robert Bonnart）の版画シリーズ（貴族Homme de quarité¸)にコーヒーを飲む貴族の数点のポートレイト。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1675年&lt;br /&gt;
|[[チャールズ二世]]、コーヒー・ハウス禁止令。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1676年&lt;br /&gt;
|ルイ一四世によりカフェのギルド（カフティエ＝リモナディエ＝ディスティラトゥール）のギルド認可。[コラム]ギルドの排他特権とカフェの商品アイテム&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1679年&lt;br /&gt;
|ハンブルクにカフェが開業。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1679年&lt;br /&gt;
|[[マルセイユ]]でコーヒーの薬効について論争。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1680年頃&lt;br /&gt;
|「[[ジョナサンズ・コーヒーハウス]]」開業（ロンドン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1683年&lt;br /&gt;
|[[コルシツキー]]がウィーン初のカフェ「[[青い瓶（ブラウエン・フラッツェ）]]」開業（作り話？）。[[＊コラム：コルシツキーの「青い瓶」は作り話？]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1683年&lt;br /&gt;
|ヴェネツィアのサン・マルコ広場にカフェがあったとの記録。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1684年頃&lt;br /&gt;
|この頃ロンドンに3000軒のコーヒーハウスとの記述。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1684年&lt;br /&gt;
|[[シルヴェストル・デュフール]][[『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関する新たな興味をそそる論説』]]刊行&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1686年&lt;br /&gt;
|「プロコプ」開業（パリ）。フランスのカフェの原型となる。[コラム]「プロコプ」を巡って&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1688年&lt;br /&gt;
|「[[ロイズ|ロイズ・コーヒーハウス]]」開業（ロンドン）。 [コラム][[コラム：ロイズを巡って|「ロイズ」を巡って]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1688年&lt;br /&gt;
|[[ヨハネス・ディオダド]]、ウィーンにカフェ開業。ウィーンの最初のカフェか。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1689年&lt;br /&gt;
|（名誉革命）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1689年&lt;br /&gt;
|ボストンにニュー・イングランド初のコーヒーハウス（「ロンドン・コーヒーハウス」）開業。 [[＊コラム：ボストンの初期のコーヒーハウス]]　&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1689年　&lt;br /&gt;
|（イギリス東インド会社が初めて中国から直接イギリスに茶を輸送）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1690年&lt;br /&gt;
|ストックホルムに２軒のカフェ。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1690年&lt;br /&gt;
|「[[カフェ・ローラン]]」開業（パリ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1694年&lt;br /&gt;
|ライプチッヒに初のカフェ開業。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1696年&lt;br /&gt;
|ニューヨークに初のコーヒーハウス開業。 [[＊コラム：ニューヨークの初期のコーヒーハウス]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1698年頃&lt;br /&gt;
|「[[ココアトゥリー（コーヒーハウス）]]」開業（ロンドン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1699年&lt;br /&gt;
|オランダが[[ジャワ]]にインドのマラバールからコーヒーの苗木を運び、移植に成功。[[＊コラム：インドネシアのコーヒー栽培（始まりから現在まで）]]  [コラム]イエメンからのコーヒー栽培の伝播¸と経路&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1699年&lt;br /&gt;
|[[アントワーヌ・ガラン]]、『[[コーヒーの起源と伝播]]』を著述。『[[アブダル・カディールの書]]』の抄訳。[コラム]『アブダル・カディールの書』のガラン抄訳について&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!18世紀&lt;br /&gt;
!＜コーヒー全般＞　＜カフェ＞　＜栽培・生産＞　＜技術・器具＞　＜エピソード＞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1700年&lt;br /&gt;
|フィラデルフィアに初のコーヒーハウス開業。 [[＊コラム：フィラデルフィアの初期のコーヒーハウス]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1700年頃&lt;br /&gt;
|「[[トムズ|トムズ・コーヒーハウス]]」開業（ロンドン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1705年&lt;br /&gt;
|「[[セント・ジェイムズ・コーヒーハウス]]」開業（ロンドン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1705年頃&lt;br /&gt;
|[[ジャワ]]からアムステルダムにコーヒーの苗木を移送。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1709年&lt;br /&gt;
|[[リチャード・スティール]]『[[タトラー]]』創刊。 [[＊コラム：コーヒーハウスと近代ジャーナリズムの誕生]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1711年&lt;br /&gt;
|[[ジャワ]]からオランダにコーヒーを輸送。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1711年&lt;br /&gt;
|[[リチャード・スティール]]、[[ジョゼフ・アディソン]]とともに『[[スペクテイター]]』創刊&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1712年&lt;br /&gt;
|「[[バトンズ|バトンズ・コーヒーハウス]]」開業（ロンドン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1714年&lt;br /&gt;
|アムステルダム市からルイ一四世にコーヒーの苗木を献呈。[[パリ植物園|パリ王立植物園]]に移植。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1714年&lt;br /&gt;
|（ジョージ一世がイギリス国王に。ハノーヴァー朝の成立）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1714年&lt;br /&gt;
|プラハ初めてのカフェ開業。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1715年&lt;br /&gt;
|（ルイ一四世崩御。ルイ一五世即位。オルレアン公が摂政に）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1715年&lt;br /&gt;
|「カフェ・ド・ラ・パレ・ロワイヤル」が、「カフェ・ド・ラ・レジャンス」に改名。豪華カフェに生まれ変わる（パリ）。[コラム①]ジュール・ミシュレ『フランス史・レジャンス』から　[コラム②]カフェとゲーム（チェス）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1715年&lt;br /&gt;
|ジャン・ド・ラ・ローク『幸福なアラビアの旅』刊行。コーヒーに関しての記述。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1715年&lt;br /&gt;
|[[ハイチ]]と[[ドミニカ]]にコーヒー栽培が伝わる（[[ド・クリュー]]と別ルート）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1715年頃&lt;br /&gt;
|フランス、[[モカ]]からコーヒーを[[ブルボン島]]（現レユニオン島）に移植し栽培に成功。ブルボン種の祖といわれる。[コラム]ブルボン島へのコーヒー移植の経緯。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1715年頃&lt;br /&gt;
|パリに300軒のカフェ。[コラム]フランス革命以前のパリのカフェ事情&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1718年&lt;br /&gt;
|[[スリナム]]にコーヒー栽培が伝わる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1720年&lt;br /&gt;
|サン・マルコ広場に「カフェ・フローリアン」開業（ヴェネツィア）。[コラム]サン・マルコ広場のカフェ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1721年&lt;br /&gt;
|ベルリンに初めてのカフェ開業。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1723年&lt;br /&gt;
|[[ガブリエル・ド・クリュー]]、パリ王立植物園のコーヒーの苗木を[[マルティニーク]]島に運び栽培に成功。ここからコーヒー栽培がカリブ海・中米諸国に伝わる（ティピカ種の祖）。[コラム]マルティニーク島へのコーヒー移植の経緯&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1725年頃&lt;br /&gt;
|[[ジャワ]]島が[[モカ]]に代わって世界最大のコーヒー生産地に。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1725年頃&lt;br /&gt;
|サン・マルコ広場に「カフェ・クワドリ」開業（ヴェネツィア）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1725年頃&lt;br /&gt;
|「カフェ・ド・フォワ」開業（パリ）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1727年&lt;br /&gt;
|フランシスコ・パリェッタがフランス領ギアナからパラにコーヒーを持ち帰り、移植に成功。＊コラム：[[ブラジルのコーヒー栽培の始まり]]。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1730年頃&lt;br /&gt;
|ハイチ島で本格的にコーヒーの栽培が始まる。18世紀後半には世界最大の生産地に。[コラム①]黄金の島、ハイチ（サン＝ドマング）　[コラム②]コーヒーと奴隷貿易&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1730年&lt;br /&gt;
|[[ジャマイカ]]でコーヒーの栽培が始まる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1750頃～&lt;br /&gt;
|[[カリブ海、中南米諸国にコーヒーの栽培が伝わる]]。キューバ1748年、グァテマラ1760年頃、コスタリカ1774年、ベネズェラ1784年、メキシコ1790年頃、コロンビア18世紀末。コーヒー栽培が本格化するのは19世紀後半以降。[コラム]中南米、[[カリブ海諸国]]へのコーヒーの伝播&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1734年頃&lt;br /&gt;
|J.S.バッハ、ライプチッヒの「[[カフェ・ツィンマーマン]]」で「[[コーヒー・カンタータ]]」初演。[[＊コラム①：コーヒークレンツヒェンと女性へのコーヒーの流行（ドイツ）]][[＊コラム②：「コーヒー・カンタータ」解釈]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1737年&lt;br /&gt;
|「[[マーチャンツ・コーヒーハウス]]」開業（ニューヨーク）。 [[＊コラム：植民地時代のアメリカ社会とコーヒーハウス]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1750年&lt;br /&gt;
|カルロ・ゴルドーニの『ボデガ・デル・カフェ』ヴェネツィアで初演。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1751年&lt;br /&gt;
|『百科全書』の刊行始まる（〜1772年）。[コラム]百科全書の刊行と「プロコプ」&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1751年&lt;br /&gt;
|[[ウィリアム・ホガース]]画『[[ビール通りとジン横丁]]』を発表。＊[[コラム：18世紀ロンドンの居酒屋事情]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1752年&lt;br /&gt;
|「[[ラネラ・ガーデン]]」開業（ロンドン）。[[＊コラム：ロンドンのティーガーデン]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1760年&lt;br /&gt;
|「カフェ・グレコ」開業（ローマ）。[コラム]「カフェ・グレコ」は「カフェ・テデスコ」&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1760年&lt;br /&gt;
|[[ブラジルのリオでコーヒー栽培が始まる]]。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1760年頃&lt;br /&gt;
|フランスで布で漉す浸漬式の抽出法が普及し始める（ボイル式も継続して行われる）。[コラム]抽出法の多様化&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1764年&lt;br /&gt;
|ミラノで文学誌『イル・カフェ』発刊。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1773年&lt;br /&gt;
|[[ボストン茶会事件]]。コーヒーがアメリカの国民飲料になるきっかけとなる。[コラム]ボストン・ティーパーティーとコーヒー。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1776年&lt;br /&gt;
|（アメリカ独立宣言）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1777年&lt;br /&gt;
|プロイセンのフリードリヒ２世（大王）、コーヒーの使用を制限する布告。[コラム]コーヒー禁止の影響&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1784年&lt;br /&gt;
|（パレ・ロワイヤルの改装完成（1781年〜））。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1784年&lt;br /&gt;
|ベネズエラにコーヒー栽培伝わる。1789年に輸出開始、栽培本格化。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1785年頃〜&lt;br /&gt;
|オルレアン公（ルイ・フィリップ・ジョゼフ）がパレ・ロワイヤル改装し、賃貸。パレ・ロワイヤルにカフェが集積。フランス革命時には各党派の活動の舞台ともなる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1788年頃&lt;br /&gt;
|この頃パリのカフェ、1700軒を数える。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1789年&lt;br /&gt;
|（フランス革命）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1789年&lt;br /&gt;
|カミーユ・デムーラン、「カフェ・ド・フォワ」のテラスでアジ演説。バスティーユへの行進のきっかけに（フランス革命の発火点）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1789年&lt;br /&gt;
|ニューヨークの「[[マーチャンツ・コーヒーハウス]]」の前でジョージ・ワシントンの歓迎式典が行われる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1790年頃&lt;br /&gt;
|パレ・ロワイヤルに次々にカフェ、レストランが開業。パリ随一の繁華街に。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1791年&lt;br /&gt;
|ハイチで反乱発生。内乱でコーヒー生産に大打撃。[コラム]ハイチの独立とコーヒー&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1791年&lt;br /&gt;
|「カフェ・リーシュ」開業（パリ）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1798年&lt;br /&gt;
|「トルトーニ（カフェ）」開業（パリ）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1799年&lt;br /&gt;
|「カフェ・アルディ」開業（パリ）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!19世紀&lt;br /&gt;
!＜コーヒー全般＞　＜カフェ＞　＜栽培・生産＞　＜技術・器具＞　＜エピソード＞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1800年頃&lt;br /&gt;
|ドリップ式のコーヒー器具、ド・ベロワのコーヒー・ポット登場。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1800年頃&lt;br /&gt;
|（中国で紅茶＝工夫茶の製造始まる）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1800年頃〜&lt;br /&gt;
|パレ・ロワイヤル繁栄の全盛期（1830年頃まで）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|19世紀初頭&lt;br /&gt;
|アメリカが世界最大のコーヒー消費国に。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|19世紀初頭&lt;br /&gt;
|スマトラ、セレベスなどでコーヒー栽培が本格化。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1802年&lt;br /&gt;
|「カフェ・アングレ」開業（パリ）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1804年&lt;br /&gt;
|(ナポレオン、皇帝に即位。第一帝政始まる)。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1804年&lt;br /&gt;
|[[ハイチ]]が独立（史上初の黒人共和国）。フランス、コーヒーの覇権を失う。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1806年&lt;br /&gt;
|ナポレオン、大陸封鎖令。コーヒーが不足し、代用コーヒーが横行。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1806年&lt;br /&gt;
|[[シルヴェストル・ド・サシ]]、[[アブダル・カディールの書]]（『コーヒーの合法性の擁護』）を部分訳。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1815年&lt;br /&gt;
|(フランス、ナポレオンが退位し、王政復古。)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1815年頃&lt;br /&gt;
|ブラジルの[[フルミネンセ]]（リオデジャネイロ）でコーヒー生産が急増。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1815年頃〜&lt;br /&gt;
|オーストリア、[[ビーダーマイヤー]]時代（〜48年）。[[＊コラム①：ビーダーマイヤー時代のウィーンのカフェ]]　[[＊コラム②：ウィーンのカフェ・コンセール]]　[[＊コラム③：作曲家たちが通ったウィーンのカフェ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1816年&lt;br /&gt;
|メキシコでコーヒーの商業的栽培始まる。栽培の本格化は1870年代から。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1823年&lt;br /&gt;
|（インドのアッサム地方で茶の木（アッサム種）発見。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1830年&lt;br /&gt;
|(フランス、七月王政。)&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1830年頃&lt;br /&gt;
|イタリア通りにカフェ＝レストランが集積。次第にパレ・ロワイヤルに代わりパリ一の繁華街に。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1832年&lt;br /&gt;
|「カフェ・ペドロッキ」開業（イタリア・パドヴァ）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1835年&lt;br /&gt;
|「[[カフェ・クランツラー]]」開業（ベルリン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1838年&lt;br /&gt;
|（インドのアッサムで紅茶の製造始まる。続いてダージリンでも紅茶を製造（1841年））&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1839年&lt;br /&gt;
|バルザック『近代興奮剤考』刊行。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1840年&lt;br /&gt;
|（アヘン戦争始まる〜1842年）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1840年&lt;br /&gt;
|[[ジャン＝ピエール・プジョー]]が金属製のコーヒー・ミルを開発。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1840年頃&lt;br /&gt;
|イギリス人ロバート・ナピアーがサイフォンを発明。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1843年&lt;br /&gt;
|コスタリカ、他の中米諸国に先駆けコーヒー輸出を本格的に開始。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1847年&lt;br /&gt;
|「[[カフェ・グリエンシュタイドル]]」開業（ウィーン）。[[＊コラム：ウィーンの文学カフェ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1847年&lt;br /&gt;
|アメリカ人、[[ジェイムズ・カーター]]がプル・アウト式焙煎機を開発。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1848年&lt;br /&gt;
|フランス、第二共和政。ルイ・ナポレオンが大統領に（1852〜第二帝政）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1850年&lt;br /&gt;
|ブラジル、奴隷貿易を禁止。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1850年頃～1870年頃&lt;br /&gt;
|リオでのコーヒー栽培の黄金時代&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1850年頃～&lt;br /&gt;
|この頃から中米のコーヒー栽培が本格化。先行するコスタリカについでグァテマラ（1850年頃）、エルサルバドル（1852年）、ニカラグァ（1860年代）がコーヒー栽培に取り組み、1870年代から輸出が急増。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1850年頃〜&lt;br /&gt;
|（ティー・レース始まる。〜1870年頃）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1852年&lt;br /&gt;
|（フランス、第二帝政。ルイ・ナポレオンが皇帝に。）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1852年&lt;br /&gt;
|（オスマンのパリ大改造始まる（〜1870年））&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1855年&lt;br /&gt;
|（フランス、第一回パリ万博（1867：第二回、1878：第三回））&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1858年&lt;br /&gt;
|ヴィクトリア湖の南で[[カネフォラ種|ロブスタ]]発見。新種として報告せず。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1860年&lt;br /&gt;
|（アメリカ南北戦争（〜65年））&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1860年頃〜&lt;br /&gt;
|（インドでの紅茶生産が軌道に乗る。）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1861年&lt;br /&gt;
|（イタリア王国成立。）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1861年&lt;br /&gt;
|アフリカで[[さび病]]発生。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1862年&lt;br /&gt;
|「カフェ・ド・ラ・ペ」開業（パリ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1864年&lt;br /&gt;
|[[ジェイブズ・バーンズ]]、新型焙煎機を開発（現在の焙煎機の原型）。[[＊コラム：ジェイブズ・バーンズの功績]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1865年&lt;br /&gt;
|ジョン・アーバックル、初めてパック詰めにしたコーヒー「アリオーサ」を販売。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1865年&lt;br /&gt;
|「[[ロイヤル・コーヒーハウス]]」開業（ロンドン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1867年&lt;br /&gt;
|[[ジェイブズ・バーンズ]]、[[＊コラム：ジェイブズ・バーンズの功績|グラニュレーターとコーヒー冷却器を開発]]。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1867年&lt;br /&gt;
|[[セイロン島（スリランカ）|セイロン島（現スリランカ）]]で[[さび病]]発生。コーヒーの生産は19世紀末までに壊滅。徐々に茶に切り替わる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1868年&lt;br /&gt;
|インドのニルギリで[[さび病]]発生。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1868年&lt;br /&gt;
|ドイツのエメリッヒにエメリッヒ社創設（のちの焙煎機メーカー、[[プロバット社]]）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1870年&lt;br /&gt;
|（普仏戦争に敗北。第三共和制へ。）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1870年&lt;br /&gt;
|アメリカ人、[[ジョン・ベーカー]]が業務用ミル『エンタープライズ』を開発。　[[＊コラム：業務用コーヒー・ミル開発の進展。]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1871年&lt;br /&gt;
|（ドイツ統一）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1873年&lt;br /&gt;
|「[[カフェ・インペリアル]]」開業（ウィーン）。[[＊コラム：19世紀末から20世紀初頭のウィーンの芸術カフェ]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1874年&lt;br /&gt;
|リベリアで[[リベリカ種]]発見。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1874年&lt;br /&gt;
|（日本で紅茶製造始まる）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1875年&lt;br /&gt;
|「[[カフェ・バウアー]]」開業（ベルリン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1875年頃～&lt;br /&gt;
|ブラジル・サンパウロ地方で[[ブルボン種]]導入始まる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1875年頃〜&lt;br /&gt;
|コロンビアのコーヒー栽培が本格化。1880年代から生産が急増。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1876年&lt;br /&gt;
|「[[カフェ・ツェントラル]]」開業（ウィーン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1876年&lt;br /&gt;
|[[ジャワ|ジャワ島]]、スマトラ島で[[さび病]]発生。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1878年&lt;br /&gt;
|[[ジェイブズ・バーンズ]]、コーヒー、紅茶、香辛料を扱う業界誌『スパイス・ミル』刊行を始める。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1880年&lt;br /&gt;
|「[[カフェ・シュペール]]」開業（ウィーン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1880年頃～&lt;br /&gt;
|リオでのコーヒー栽培が徐々に衰退。1888年の奴隷解放により決定的打撃を受ける。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1882年頃〜&lt;br /&gt;
|コロンビアの中央高地でコーヒーの栽培が本格化。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1881年&lt;br /&gt;
|ニューヨーク・コーヒー取引所開設。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1883年&lt;br /&gt;
|（セイロン＝スリランカからの紅茶輸出始まる）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1884年&lt;br /&gt;
|この年から、サンパウロを中心にコロノスとしてイタリア移民の導入が本格化。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1885年&lt;br /&gt;
|「シャ・ノワール」移転して新装開業（パリ）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1885年&lt;br /&gt;
|「カフェ・ドゥ・マゴ」開業（パリ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1885年&lt;br /&gt;
|[[ジャワ]]で[[さび病]]蔓延。生産が減少。[[リベリカ種|リベリカ]]への植え替えが進む。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1887年頃&lt;br /&gt;
|「カフェ・ド・フロール」開業（パリ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1888年&lt;br /&gt;
|ブラジル、奴隷制廃止。農園からの奴隷の逃亡により、リオのコーヒー生産に壊滅的打撃。コーヒー生産の中心はサンパウロ州に移る&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1890年頃〜&lt;br /&gt;
|サンパウロ州が世界最大のコーヒー生産地に。90年代にはブラジルは世界生産量の70〜80％を占める（ブラジルの総輸出の60〜70％）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1890年頃〜&lt;br /&gt;
|パリのカフェの集積地、イタリア通りからモンマルトルへ。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1893年&lt;br /&gt;
|ジョウエル・チーク、ジョン・ニールとチーク＝ニール・コーヒー社（「マックスウェル・ハウス」）をナッシュビルで設立。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1895年&lt;br /&gt;
|ヨハン・ヤコブス、ブレーメンにコーヒー店開業。（のちのヤコブス社）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1898年&lt;br /&gt;
|ローランがコンゴで[[カネフォラ種|ロブスタ]]を発見。カネフォーラ種と命名。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1898年&lt;br /&gt;
|「カフェ・デス・ヴェステンス」開業（ベルリン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1899年&lt;br /&gt;
|加藤サルトリがシカゴでインスタント・コーヒーを開発。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1899年&lt;br /&gt;
|「[[カフェ・ムゼウム]]」開業（ウィーン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1899年&lt;br /&gt;
|サンフランシスコにブランデンシュタイン兄弟（4人）がMJBコーヒー社設立。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1899年&lt;br /&gt;
|ドイツの[[ゴットホット社]]、高速焙煎機「イデアル・ラピッド」を開発。　[[＊コラム：熱風式焙煎機の進展。]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!20世紀&lt;br /&gt;
!＜コーヒー全般＞　＜カフェ＞　＜栽培・生産＞　＜技術・器具＞　＜エピソード＞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1900年&lt;br /&gt;
|ヒルズ・ブラザーズ社、真空包装缶のコーヒーを発売。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1900年頃&lt;br /&gt;
|[[ジャワ]]で[[カネフォラ種|ロブスタ]]の栽培が始まる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1900年頃〜&lt;br /&gt;
|中南米諸国がコーヒーを大増産。中米諸国は次第にコーヒーのモノカルチャー化。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1900年頃〜&lt;br /&gt;
|（インドでの紅茶生産が中国を圧倒）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1901年&lt;br /&gt;
|ケニアにレユニオン島（[[ブルボン島]]）からコーヒーを移植、栽培が始まる。続いてタンザニアも栽培開始。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1901年&lt;br /&gt;
|イタリア人、ベゼラが蒸気圧による抽出器を発明。エスプレッソ・マシンの原型となる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1901年&lt;br /&gt;
|ブラジル、コーヒー大豊作。世界のコーヒー生産量の81％に達する。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1906年&lt;br /&gt;
|ルートヴィヒ・ロゼリウス（ドイツ）、カフェインレスコーヒーの特許を取得、会社を設立。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1907年&lt;br /&gt;
|コーヒー価格の暴落により、ブラジル政府がコーヒー買い上げ（ヴァロリゼーション）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1908年&lt;br /&gt;
|ドイツで[[メリタ・ベンツ]]がペーパー・ドリップによる抽出器具を開発。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1908年&lt;br /&gt;
|（トマス・サリヴァン、ティーパック発明）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1914年&lt;br /&gt;
|（第一次世界大戦始まる。〜1918年）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1916年&lt;br /&gt;
|「ロマニッシェスカフェ」開業（ベルリン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1918年&lt;br /&gt;
|ブラジルで大霜害。コーヒーの相場が急騰。ヨーロッパの需要回復も要因。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1918年&lt;br /&gt;
|「[[カフェ・ヘレンホーフ]]」開業（ウィーン）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1920年&lt;br /&gt;
|ドイツのエミリッヒ社（後の[[プロバット社]]）、現在のドラム式焙煎機の原型となる「プロバット・コール・コースター」を開発。　[[＊コラム：プロバット社焙煎機開発の流れ|＊コラム：プロバット社焙煎機開発の流れ。]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1920年頃&lt;br /&gt;
|パリのカフェの集積地がモンパルナスへ。（狂乱の時代（〜1930頃））&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1922年&lt;br /&gt;
|ウィリアム.H.ユーカーズ『オール・アバウト・コーヒー』を刊行（1935年・第2版）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1924年&lt;br /&gt;
|エドゥアルト・ショプッフ、ドイツ・ブレーメンにエドショー社を設立（通信販売）。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1925年頃〜&lt;br /&gt;
|ケニア、タンザニア、ウガンダなどアフリカのヨーロッパ植民地でコーヒー生産が本格化。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1927年&lt;br /&gt;
|コロンビアが世界第２位のコーヒー生産国に。コロンビア・コーヒー連盟FNC設立。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1929年&lt;br /&gt;
|（大恐慌。）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1931年〜&lt;br /&gt;
|エルサルバドルに独裁政権（エルナンデス・マルティネス）誕生。その後グァテマラ（1931年）、ニカラグァ（193４年）、ホンジュラス（1932年）で独裁政権が誕生。コーヒー生産は進展したが、土地の集中化が進み、貧富の格差が増大。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1933年&lt;br /&gt;
|（ナチス、政権掌握）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1934年&lt;br /&gt;
|ブラジル、過剰生産によりコーヒーを焼却。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1937年&lt;br /&gt;
|ネスレ社がインスタントコーヒーを商品化（「ネスカフェ」）、翌年発売。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1941年&lt;br /&gt;
|第二次世界大戦（〜1945）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1947年&lt;br /&gt;
|ガジアがピストン方式のエスプレッソ・マシンを開発。現在のエスプレッソ・マシンの原型となる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1949～54年&lt;br /&gt;
|ブラジルの旱魃を引き金にコーヒー価格が上昇、アメリカで薄いコーヒーが蔓延し、インスタントコーヒーの需要が伸びる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1950年頃&lt;br /&gt;
|サン＝ジェルマン＝デ＝プレのカフェに実存主義者が集まる（サルトル、ボーボワール）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1950年頃&lt;br /&gt;
|ヨーロッパの需要回復によりコーヒー価格が上昇。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1953年&lt;br /&gt;
|ブラジル霜害によりコーヒー減産。価格が急騰。アメリカでは薄いわゆるアメリカン・コーヒーが流行。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1955年頃&lt;br /&gt;
|ニューヨークなどでエスプレッソ・コーヒーが流行。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1956年&lt;br /&gt;
|西ヨーロッパのコーヒー消費量が第二次大戦前を上回る。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1960年&lt;br /&gt;
|ブラジル、パラナ州のコーヒー生産量ががサンパウロ州を越える。生産地域の南下が顕著。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1962年&lt;br /&gt;
|第一次国際コーヒー協定（ICA)成立。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1963年&lt;br /&gt;
|国際コーヒー機構（ICO）設立。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1966年&lt;br /&gt;
|[[アルフレッド・ピート]]がアメリカ・バークレーに「[[ピーツ・コーヒー＆ティー]]」開業。スペシャルティコーヒーの先駆け。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1969年&lt;br /&gt;
|ＵＣＣ上島コーヒー、世界初の缶コーヒーを発売。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1971年&lt;br /&gt;
|[[スターバックス]]、シアトルに開業&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1974年&lt;br /&gt;
|エルナ・クヌッセン、スペシャルティ・コーヒーの概念を『ティー＆コーヒー・ジャーナル』誌上のインタビューで発表。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1975年&lt;br /&gt;
|ブラジル大霜害。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1976年&lt;br /&gt;
|ブラジル霜害の影響でICOが輸出総量割当制を実施。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1979年〜&lt;br /&gt;
|ニカラグァで「サンディニスタ」政権誕生。中米では続いてエルサルバドル、グァテマラでもゲリラの活動が活発化し、混乱の時代に。コーヒー生産も縮小傾向。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1979年&lt;br /&gt;
|スイスのコフェックス社がスイス・ウォーター方式のカフェインレス・コーヒーを開発。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1980年頃〜&lt;br /&gt;
|コロンビアでバリエダ・コロンビア品種導入、品質劣化へ。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1982年&lt;br /&gt;
|アメリカスペシャルティコーヒー協会（SCAA）設立&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1983年頃～&lt;br /&gt;
|アメリカでのスペシャルティーコーヒーの市場が急速に拡大。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1985年&lt;br /&gt;
|ブラジルで大旱魃。翌年にコーヒーの相場が急騰。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1985年頃〜&lt;br /&gt;
|ブラジルのコーヒー栽培の中心が、ミナスジェライス州の高原地域（セラード）に移行。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1990年頃～&lt;br /&gt;
|ヴェトナムでのコーヒー栽培（主に[[カネフォラ種|ロブスタ]]）が本格化。生産量が急速に拡大し2003年には世界第2位の生産国に。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1986年&lt;br /&gt;
|[[ハワード・シュルツ]]、スターバックス社から独立し、エスプレッソ・バー「[[イル・ジョルナーレ]]」を開業。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1987年&lt;br /&gt;
|ハワード・シュルツ、スターバックスの商標を買収し、コーヒーチェーン展開を開始。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1995年&lt;br /&gt;
|SCAA、コーヒーフレーバーホイールを作成・発表。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1997年頃〜&lt;br /&gt;
|コーヒー生産におけるサスティナビリティ運動（認証コーヒー）が盛んに。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1997年&lt;br /&gt;
|オークションシステムによるカップ・オブ・エクセレンスのプロジェクト始まる。1999年に現行の方式に。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
!21世紀&lt;br /&gt;
!＜コーヒー全般＞　＜カフェ＞　＜栽培・生産＞　＜技術・器具＞　＜エピソード＞&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2000年&lt;br /&gt;
|ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ始まる&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2001年&lt;br /&gt;
|現行の国際コーヒー協定発効。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2001年&lt;br /&gt;
|パナマ・オークションでゲイシャ種が最高値を更新。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2002年&lt;br /&gt;
|[[ジェイムズ・フリーマン]]、「ブルー・ボトル」開業。アメリカでサードウェーブのコーヒー流行。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2005年頃〜&lt;br /&gt;
|パカマラ、ジャバ等のコーヒーの新品種の導入が盛んになる。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|同&lt;br /&gt;
|中米を中心に新タイプのナチュラル、ハニー（パルプド・ナチュラル）など新たな精製法の研究・開発が進む。&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2010年頃〜&lt;br /&gt;
|ラオス、タイ、ミャンマーなどアジア諸国でコーヒー栽培が盛んになる。&lt;br /&gt;
|}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%B0%E5%85%9A&amp;diff=50097</id>
		<title>ホイッグ党</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%B0%E5%85%9A&amp;diff=50097"/>
		<updated>2026-07-15T18:40:42Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;ホイッグ党&#039;&#039;&#039;　Whig Party==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1678年創設。後の自由党、自由民主党の前身となったイギリスの政党。17世紀の王政復古期に、[[チャールズ二世]] Charles Ⅱ の王位継承者として、弟でカトリック教徒のジェイムズ（後のジェイムズ二世 James Ⅱ ）の即位に反対し、「王位継承敗訴法案」に賛成したメンバー。対立する[[トーリー党]]から「Whiggamore（スコットランド語で謀叛人の意味）」と呼ばれたことが、ホイッグ党の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年の名誉革命後は、トーリー党、ホイッグ党交互に政権を取るが二大政党の時代となり、1714年のハノーヴァー朝成立以後は1762年までホイッグ党の長期政権時代が実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホイッグ党系のメンバーが、集会や政治談議をしたコーヒーハウスは「[[グリシアン・コーヒーハウス|グリシアン]] Grecian Coffee House 」、「[[セント・ジェイムズ・コーヒーハウス|セント・ジェイムズ]] St. James&#039;s Coffee House 」、「スミルナ Smyrna Coffee House 」などで、タヴァーンやエールハウスでも政治クラブとしての活動が盛んであった。ホイッグ党は次第に非国教徒と都市の商工業者の利益を代表するようになり、自由主義の立場をとった。1830年代の政界再編で「自由党」に名称を変更した。（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia　ホイッグ党&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%85%9A&amp;diff=50096</id>
		<title>トーリー党</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%85%9A&amp;diff=50096"/>
		<updated>2026-07-15T18:39:51Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;トーリー党&#039;&#039;&#039;　Tory Party==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1678年に成立し1830年代まで続いたイギリスの政党で、現在の保守党の前身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
17世紀の王政復古期に[[チャールズ二世]] Charles Ⅱ の王位継承者として弟でカトリック教徒のジェイムズ（後のジェイムズ二世 James Ⅱ ）の即位を認めた一派で、旧貴族階級が多く宮廷を基盤とし、王権の支持、イングランド国教会の信仰が基本姿勢であった。トーリーとはアイルランド語の「無法者tóraidhe」が語源であり、対立する[[ホイッグ党]]が侮蔑の意味で付けた呼び名だが、次第に自身でもトーリーと称するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
集会や政治談議をしたコーヒーハウスは「ホワイツ White&#039;s Chocolate House 」、「[[ココアトゥリー（コーヒーハウス）|ココア・トゥリー]] Cocoa Tree Chocolate House」、「オジンダズ Ozinda&#039;s Chocolate House 」などであり、「セント・オルバンズ St. Alban&#039;s Tavern 」、「ファウンティン Fountain Tavern 」などのタヴァーン（居酒屋）も利用していた。ホイッグ党とともに二大政党制の一翼であったが、1830年代の政界再編で「保守党」に改められた。　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia　トーリー党&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%85%9A&amp;diff=50095</id>
		<title>トーリー党</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%85%9A&amp;diff=50095"/>
		<updated>2026-07-15T18:38:30Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;トーリー党&#039;&#039;&#039;　Tory Party==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1678年に成立し1830年代まで続いたイギリスの政党で、現在の保守党の前身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
17世紀の王政復古期に[[チャールズ二世 Charles Ⅱ ]]の王位継承者として弟でカトリック教徒のジェイムズ（後のジェイムズ二世 James Ⅱ ）の即位を認めた一派で、旧貴族階級が多く宮廷を基盤とし、王権の支持、イングランド国教会の信仰が基本姿勢であった。トーリーとはアイルランド語の「無法者tóraidhe」が語源であり、対立する[[ホイッグ党]]が侮蔑の意味で付けた呼び名だが、次第に自身でもトーリーと称するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
集会や政治談議をしたコーヒーハウスは「ホワイツ White&#039;s Chocolate House 」、「[[ココアトゥリー（コーヒーハウス）|ココア・トゥリー]] Cocoa Tree Chocolate House」、「オジンダズ Ozinda&#039;s Chocolate House 」などであり、「セント・オルバンズ St. Alban&#039;s Tavern 」、「ファウンティン Fountain Tavern 」などのタヴァーン（居酒屋）も利用していた。ホイッグ党とともに二大政党制の一翼であったが、1830年代の政界再編で「保守党」に改められた。　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia　トーリー党&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%B0%E5%85%9A&amp;diff=50094</id>
		<title>ホイッグ党</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%B0%E5%85%9A&amp;diff=50094"/>
		<updated>2026-07-15T18:28:47Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;ホイッグ党&#039;&#039;&#039;　Whig Party==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1678年創設。後の自由党、自由民主党の前身となったイギリスの政党。17世紀の王政復古期に、チャールズ二世 Charles Ⅱ の王位継承者として、弟でカトリック教徒のジェイムズ（後のジェイムズ二世 James Ⅱ ）の即位に反対し、「王位継承敗訴法案」に賛成したメンバー。対立する[[トーリー党]]から「Whiggamore（スコットランド語で謀叛人の意味）」と呼ばれたことが、ホイッグ党の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年の名誉革命後は、トーリー党、ホイッグ党交互に政権を取るが二大政党の時代となり、1714年のハノーヴァー朝成立以後は1762年までホイッグ党の長期政権時代が実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホイッグ党系のメンバーが、集会や政治談議をしたコーヒーハウスは「[[グリシアン・コーヒーハウス|グリシアン]] Grecian Coffee House 」、「[[セント・ジェイムズ・コーヒーハウス|セント・ジェイムズ]] St. James&#039;s Coffee House 」、「スミルナ Smyrna Coffee House 」などで、タヴァーンやエールハウスでも政治クラブとしての活動が盛んであった。ホイッグ党は次第に非国教徒と都市の商工業者の利益を代表するようになり、自由主義の立場をとった。1830年代の政界再編で「自由党」に名称を変更した。（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia　ホイッグ党&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9&amp;diff=50093</id>
		<title>グリシアン・コーヒーハウス</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9&amp;diff=50093"/>
		<updated>2026-07-15T18:22:42Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;グリシアン・コーヒーハウス：　&#039;&#039;&#039;Grecian Coffee House==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1665年頃～1843年　ギリシャ人船員のジョージ・コンスタンチン George Constantine がロンドン東部のワッピング  Wapping で開業。1677年頃にロンドンの中心部、テンプルのデヴァルー・コート Devereux Court に移転。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
名誉革命前後の1677年～1697年頃からは政治カフェの色合いが強く、啓蒙主義者のマシュー・ティンダル Matthew Tindal をはじめ、多くの[[ホイッグ党|ホイッグ系]]政治家が常連。18世紀初頭の[[トーリー党]]政権時代は最も政治談議が盛んであったが、ホイッグ政権になった1716年以降は「グリシアン」から政治家の姿が消えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
前後して、アイザック・ニュートン  Isaac Newton、医師のハンス・スローン Hans Sloan、天文学者エドマンド・ハレー Edmund Halley などの王立協会（ロイヤル・ソサイェティー）の科学者たちが頻繁に訪れるようになった。王立協会は1660年設立の最も歴史がある学術団体で、1710年にはニュートンが会長であり、協会本部が「グリシアン」に近いフリート街のクレイン・コート Crane Court にあった。 また、「グリシアン」は店主がギリシャ人であったために、古典学者が集まり、また法学院が近くにあったことから、法学生や若い法学者も多く訪れ、学術との結びつきが深いコーヒーハウスとなった。劇作家のオリバー・ゴールドスミス Oliver Goldsmith やシェイクスピア学者のエドモンド・マローン Edmond Malone も常連であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
19世紀になると、学者や科学者の足は遠のき、法学生や弁護士たちのたまり場となった。1843年にコーヒーハウスは閉店してパブに業態を変更、現在でもこの場所は「ザ・デヴァルー The Devereux」という店名のパブである。　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers  &#039;&#039;&amp;quot;ALL ABOUT COFFEE  Second Edition&amp;quot;&#039;&#039;　1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介著　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia　Grecian Coffee House （英語）　&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:カフェ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%B0%E5%85%9A&amp;diff=50092</id>
		<title>ホイッグ党</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;ホイッグ党&#039;&#039;&#039;Whig Party==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1678年創設。後の自由党、自由民主党の前身となったイギリスの政党。17世紀の王政復古期に、チャールズ二世 Charles Ⅱ の王位継承者として、弟でカトリック教徒のジェイムズ（後のジェイムズ二世 James Ⅱ ）の即位に反対し、「王位継承敗訴法案」に賛成したメンバー。対立する[[トーリー党]]から「Whiggamore（スコットランド語で謀叛人の意味）」と呼ばれたことが、ホイッグ党の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年の名誉革命後は、トーリー党、ホイッグ党交互に政権を取るが二大政党の時代となり、1714年のハノーヴァー朝成立以後は1762年までホイッグ党の長期政権時代が実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホイッグ党系のメンバーが、集会や政治談議をしたコーヒーハウスは「[[グリシアン]] Grecian Coffee House 」、「[[セント・ジェイムズ]] St. James&#039;s Coffee House 」、「スミルナ Smyrna Coffee House 」などで、タヴァーンやエールハウスでも政治クラブとしての活動が盛んであった。ホイッグ党は次第に非国教徒と都市の商工業者の利益を代表するようになり、自由主義の立場をとった。1830年代の政界再編で「自由党」に名称を変更した。（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia　ホイッグ党&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
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		<title>ホイッグ党</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==&#039;&#039;&#039;ホイッグ党&#039;&#039;&#039;Whig Party==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1678年創設。後の自由党、自由民主党の前身となったイギリスの政党。17世紀の王政復古期に、チャールズ二世 Charles Ⅱ の王位継承者として、弟でカトリック教徒のジェイムズ（後のジェイムズ二世 James Ⅱ ）の即位に反対し、「王位継承敗訴法案」に賛成したメンバー。対立する[[トーリー党]]から「Whiggamore（スコットランド語で謀叛人の意味）」と呼ばれたことが、ホイッグ党の始まりである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年の名誉革命後は、トーリー党、ホイッグ党交互に政権を取るが二大政党の時代となり、1714年のハノーヴァー朝成立以後は1762年までホイッグ党の長期政権時代が実現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホイッグ党系のメンバーが、集会や政治談議をしたコーヒーハウスは「グリシアン Grecian Coffee House 」、「セント・ジェイムズ St. James&#039;s Coffee House 」、「スミルナ Smyrna Coffee House 」などで、タヴァーンやエールハウスでも政治クラブとしての活動が盛んであった。ホイッグ党は次第に非国教徒と都市の商工業者の利益を代表するようになり、自由主義の立場をとった。1830年代の政界再編で「自由党」に名称を変更した。（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia　ホイッグ党&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
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		<title>ロイズ</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: /* ロイズ・コーヒーハウス：　Lloyd’s Coffee House */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイズ・コーヒーハウス：　&#039;&#039;&#039;Lloyd’s Coffee House ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年以前～1785年。　エドワード・ロイド Edward Lloyd がタワー通り Tower St.（コヴェントガーデン Covent Garden の近く）で開業。ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London）発祥のコーヒーハウス。コーヒーハウスはイギリスの近代市民社会の成立に大きな役割を演じたが、「ロイズ」は経済的側面で「ロンドン・コーヒーハウス」を象徴する存在であった。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開業当初の「ロイズ」では、商品取引や土地建物取引、株の仲介などが行われていたが、当時から常連客には船員や船主が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1691年王立取引所近くのロンバード通り Lombard St.に移転。このころより「ロイズ」では船舶取引や保険の引き受けが行われている。保険の引受人たち（アンダーライター Underwriter ）は、「ロイズ」に集まり海運や船舶の情報を仕入れて、保険の引き受けを行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1696年には新聞「ロイズ・ニュース Lloy&#039;s News 」を発行し、ここに掲載された海運、船舶の情報をもとに貿易商たちはますます取引を活発化させ、「ロイズ」は保険業者の活動拠点になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1734年「ロイズ」は海運情報誌「ロイズ・リスト Lloy&#039;s List 」を発刊。この情報誌は1771年まで発行され、信頼できる情報誌としてヨーロッパ各地で購読された。1750年頃にはロンドンの海上保険や海運業の情報センターの役割を果たし、「ロイズ」が最も繁盛した時期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1768年「ロイズ」は店内での保険賭博で非難を浴びた。保険賭博を嫌う常連客たちは資金を集め、近くの教皇の頭小路 Pope’s Head Alley に「新ロイズ・コーヒーハウス」を開業させた。この後、数年間は二つの「ロイズ」が存在するが、多くの貿易商や保険引受人は「新ロイズ」に移っていった。「新ロイズ」はさらに大きくなるが、その運営は、設立された保険組合が行い、今までのようにコーヒーハウスを本拠地として、常連客の商人たちが商取引を行う仕組みとは異なっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ロイズ」は「新ロイズ」成長の陰で徐々に衰退し、1785年に閉店した。「ロイズ」の繁栄と没落は、まさに「ロンドンのコーヒーハウス」の栄光と衰退そのものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＊「新ロイズ」に関しては[[コラム：ロイズを巡って|コラム 『ロイズを巡って』]]を参照　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Microcosm of London Plate 049 - Lloyd&#039;s Subscription Room edited.jpg|代替文=ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め Wikipedia:Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より|335x335ピクセル]][[ファイル:Lloyd&#039;s Coffee House plaque.jpg|サムネイル|ロンバード通りにあるプレート　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedea：Lloy’s Coffee House （英語版）　より|346x346px]]ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipedia：Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介著　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia 　Lloyd’s Coffee House  （英語）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・HP　　　 　LLOY’S　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:カフェ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BA&amp;diff=50064</id>
		<title>ロイズ</title>
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		<updated>2026-06-17T17:55:15Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイズ・コーヒーハウス：　&#039;&#039;&#039;Lloyd’s Coffee House ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年以前～1785年。　エドワード・ロイド Edward Lloyd がタワー通り Tower St.（コヴェントガーデン Covent Garden の近く）で開業。ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London）発祥のコーヒーハウス。コーヒーハウスはイギリスの近代市民社会の成立に大きな役割を演じたが、「ロイズ」は経済的側面で「ロンドン・コーヒーハウス」を象徴する存在であった。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開業当初の「ロイズ」では、商品取引や土地建物取引、株の仲介などが行われていたが、当時から常連客には船員や船主が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1691年王立取引所近くのロンバード通り Lombard St.に移転。このころより「ロイズ」では船舶取引や保険の引き受けが行われている。保険の引受人たち（アンダーライター Underwriter ）は、「ロイズ」に集まり海運や船舶の情報を仕入れて、保険の引き受けを行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1696年には新聞「ロイズ・ニュース Lloy&#039;s News 」を発行し、ここに掲載された海運、船舶の情報をもとに貿易商たちはますます取引を活発化させ、「ロイズ」は保険業者の活動拠点になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1734年「ロイズ」は海運情報誌「ロイズ・リスト Lloy&#039;s List 」を発刊。この情報誌は1771年まで発行され、信頼できる情報誌としてヨーロッパ各地で購読された。1750年頃にはロンドンの海上保険や海運業の情報センターの役割を果たし、「ロイズ」が最も繁盛した時期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1768年「ロイズ」は店内での保険賭博で非難を浴びた。保険賭博を嫌う常連客たちは資金を集め、近くの教皇の頭小路 Pope’s Head Alley に「新ロイズ・コーヒーハウス」を開業させた。この後、数年間は二つの「ロイズ」が存在するが、多くの貿易商や保険引受人は「新ロイズ」に移っていった。「新ロイズ」はさらに大きくなるが、その運営は、設立された保険組合が行い、今までのようにコーヒーハウスを本拠地として、常連客の商人たちが商取引を行う仕組みとは異なっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ロイズ」は「新ロイズ」成長の陰で徐々に衰退し、1785年に閉店した。「ロイズ」の繁栄と没落は、まさに「ロンドンのコーヒーハウス」の栄光と衰退そのものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＊「新ロイズ」に関しては[[コラム：ロイズを巡って|コラム 『ロイズを巡って』]]を参照　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Microcosm of London Plate 049 - Lloyd&#039;s Subscription Room edited.jpg|代替文=ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め Wikipedia:Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より|335x335ピクセル]][[ファイル:Lloyd&#039;s Coffee House plaque.jpg|サムネイル|ロンバード通りにあるプレート　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedea：Lloy’s Coffee House （英語版）　より|343x343ピクセル]]ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipedia：Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介著　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia 　Lloyd’s Coffee House  （英語）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・HP　　　 　LLOY’S　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:カフェ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BA&amp;diff=50063</id>
		<title>ロイズ</title>
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		<updated>2026-06-17T17:48:03Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: 画像差し替え&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイズ・コーヒーハウス：　&#039;&#039;&#039;Lloyd’s Coffee House ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年以前～1785年。　エドワード・ロイド Edward Lloyd がタワー通り Tower St.（コヴェントガーデン Covent Garden の近く）で開業。ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London）発祥のコーヒーハウス。コーヒーハウスはイギリスの近代市民社会の成立に大きな役割を演じたが、「ロイズ」は経済的側面で「ロンドン・コーヒーハウス」を象徴する存在であった。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開業当初の「ロイズ」では、商品取引や土地建物取引、株の仲介などが行われていたが、当時から常連客には船員や船主が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1691年王立取引所近くのロンバード通り Lombard St.に移転。このころより「ロイズ」では船舶取引や保険の引き受けが行われている。保険の引受人たち（アンダーライター Underwriter ）は、「ロイズ」に集まり海運や船舶の情報を仕入れて、保険の引き受けを行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1696年には新聞「ロイズ・ニュース Lloy&#039;s News 」を発行し、ここに掲載された海運、船舶の情報をもとに貿易商たちはますます取引を活発化させ、「ロイズ」は保険業者の活動拠点になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1734年「ロイズ」は海運情報誌「ロイズ・リスト Lloy&#039;s List 」を発刊。この情報誌は1771年まで発行され、信頼できる情報誌としてヨーロッパ各地で購読された。1750年頃にはロンドンの海上保険や海運業の情報センターの役割を果たし、「ロイズ」が最も繁盛した時期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1768年「ロイズ」は店内での保険賭博で非難を浴びた。保険賭博を嫌う常連客たちは資金を集め、近くの教皇の頭小路 Pope’s Head Alley に「新ロイズ・コーヒーハウス」を開業させた。この後、数年間は二つの「ロイズ」が存在するが、多くの貿易商や保険引受人は「新ロイズ」に移っていった。「新ロイズ」はさらに大きくなるが、その運営は、設立された保険組合が行い、今までのようにコーヒーハウスを本拠地として、常連客の商人たちが商取引を行う仕組みとは異なっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ロイズ」は「新ロイズ」成長の陰で徐々に衰退し、1785年に閉店した。「ロイズ」の繁栄と没落は、まさに「ロンドンのコーヒーハウス」の栄光と衰退そのものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＊「新ロイズ」に関しては[[コラム：ロイズを巡って|コラム 『ロイズを巡って』]]を参照　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Microcosm of London Plate 049 - Lloyd&#039;s Subscription Room edited.jpg|代替文=ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め Wikipedia:Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より|335x335ピクセル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipedia：Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Lloyd&#039;s Coffee House plaque.jpg|サムネイル|ロンバード通りにあるプレート　　　　　　　　　　　　　　　　　Wikipedea：Lloy’s Coffee House （英語版）　より]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介著　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia 　Lloyd’s Coffee House  （英語）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・HP　　　 　LLOY’S　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:カフェ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Lloyd%27s_Coffee_House_plaque.jpg&amp;diff=50062</id>
		<title>ファイル:Lloyd&#039;s Coffee House plaque.jpg</title>
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		<updated>2026-06-17T17:42:34Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;ロイズのプレート&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BA&amp;diff=50061</id>
		<title>ロイズ</title>
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		<updated>2026-06-17T17:40:57Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイズ・コーヒーハウス：　&#039;&#039;&#039;Lloyd’s Coffee House ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年以前～1785年。　エドワード・ロイド Edward Lloyd がタワー通り Tower St.（コヴェントガーデン Covent Garden の近く）で開業。ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London）発祥のコーヒーハウス。コーヒーハウスはイギリスの近代市民社会の成立に大きな役割を演じたが、「ロイズ」は経済的側面で「ロンドン・コーヒーハウス」を象徴する存在であった。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開業当初の「ロイズ」では、商品取引や土地建物取引、株の仲介などが行われていたが、当時から常連客には船員や船主が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1691年王立取引所近くのロンバード通り Lombard St.に移転。このころより「ロイズ」では船舶取引や保険の引き受けが行われている。保険の引受人たち（アンダーライター Underwriter ）は、「ロイズ」に集まり海運や船舶の情報を仕入れて、保険の引き受けを行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1696年には新聞「ロイズ・ニュース Lloy&#039;s News 」を発行し、ここに掲載された海運、船舶の情報をもとに貿易商たちはますます取引を活発化させ、「ロイズ」は保険業者の活動拠点になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1734年「ロイズ」は海運情報誌「ロイズ・リスト Lloy&#039;s List 」を発刊。この情報誌は1771年まで発行され、信頼できる情報誌としてヨーロッパ各地で購読された。1750年頃にはロンドンの海上保険や海運業の情報センターの役割を果たし、「ロイズ」が最も繁盛した時期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1768年「ロイズ」は店内での保険賭博で非難を浴びた。保険賭博を嫌う常連客たちは資金を集め、近くの教皇の頭小路 Pope’s Head Alley に「新ロイズ・コーヒーハウス」を開業させた。この後、数年間は二つの「ロイズ」が存在するが、多くの貿易商や保険引受人は「新ロイズ」に移っていった。「新ロイズ」はさらに大きくなるが、その運営は、設立された保険組合が行い、今までのようにコーヒーハウスを本拠地として、常連客の商人たちが商取引を行う仕組みとは異なっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ロイズ」は「新ロイズ」成長の陰で徐々に衰退し、1785年に閉店した。「ロイズ」の繁栄と没落は、まさに「ロンドンのコーヒーハウス」の栄光と衰退そのものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＊「新ロイズ」に関しては[[コラム：ロイズを巡って|コラム 『ロイズを巡って』]]を参照　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Microcosm of London Plate 049 - Lloyd&#039;s Subscription Room edited.jpg|代替文=ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め Wikipedia:Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より|335x335ピクセル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipedia：Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介著　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia 　Lloyd’s Coffee House  （英語）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・HP　　　 　LLOY’S　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:カフェ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BA&amp;diff=50060</id>
		<title>ロイズ</title>
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		<updated>2026-06-17T17:39:45Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイズ・コーヒーハウス：　&#039;&#039;&#039;Lloyd’s Coffee House ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年以前～1785年。　エドワード・ロイド Edward Lloyd がタワー通り Tower St.（コヴェントガーデン Covent Garden の近く）で開業。ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London）発祥のコーヒーハウス。コーヒーハウスはイギリスの近代市民社会の成立に大きな役割を演じたが、「ロイズ」は経済的側面で「ロンドン・コーヒーハウス」を象徴する存在であった。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開業当初の「ロイズ」では、商品取引や土地建物取引、株の仲介などが行われていたが、当時から常連客には船員や船主が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1691年王立取引所近くのロンバード通り Lombard St.に移転。このころより「ロイズ」では船舶取引や保険の引き受けが行われている。保険の引受人たち（アンダーライター Underwriter ）は、「ロイズ」に集まり海運や船舶の情報を仕入れて、保険の引き受けを行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1696年には新聞「ロイズ・ニュース Lloy&#039;s News 」を発行し、ここに掲載された海運、船舶の情報をもとに貿易商たちはますます取引を活発化させ、「ロイズ」は保険業者の活動拠点になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1734年「ロイズ」は海運情報誌「ロイズ・リスト Lloy&#039;s List 」を発刊。この情報誌は1771年まで発行され、信頼できる情報誌としてヨーロッパ各地で購読された。1750年頃にはロンドンの海上保険や海運業の情報センターの役割を果たし、「ロイズ」が最も繁盛した時期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1768年「ロイズ」は店内での保険賭博で非難を浴びた。保険賭博を嫌う常連客たちは資金を集め、近くの教皇の頭小路 Pope’s Head Alley に「新ロイズ・コーヒーハウス」を開業させた。この後、数年間は二つの「ロイズ」が存在するが、多くの貿易商や保険引受人は「新ロイズ」に移っていった。「新ロイズ」はさらに大きくなるが、その運営は、設立された保険組合が行い、今までのようにコーヒーハウスを本拠地として、常連客の商人たちが商取引を行う仕組みとは異なっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ロイズ」は「新ロイズ」成長の陰で徐々に衰退し、1785年に閉店した。「ロイズ」の繁栄と没落は、まさに「ロンドンのコーヒーハウス」の栄光と衰退そのものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＊「新ロイズ」に関しては[[コラム：ロイズを巡って|コラム 『ロイズを巡って』]]を参照　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Microcosm of London Plate 049 - Lloyd&#039;s Subscription Room edited.jpg|代替文=ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め Wikipedia:Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より|335x335ピクセル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipedia：Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Lloyd&#039;s coffee house drawing.jpg|代替文=ロイズ・コーヒーハウス　19世紀画|233x233ピクセル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイズ・コーヒーハウス　19世紀画&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介著　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia 　Lloyd’s Coffee House  （英語）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・HP　　　 　LLOY’S　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:カフェ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BA&amp;diff=50059</id>
		<title>ロイズ</title>
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		<updated>2026-06-17T17:37:05Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;ロイズ・コーヒーハウス：　&#039;&#039;&#039;Lloyd’s Coffee House ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1688年以前～1785年。　エドワード・ロイド Edward Lloyd がタワー通り Tower St.（コヴェントガーデン Covent Garden の近く）で開業。ロイズ保険組合（現在のロイズ Lloyd’s of London）発祥のコーヒーハウス。コーヒーハウスはイギリスの近代市民社会の成立に大きな役割を演じたが、「ロイズ」は経済的側面で「ロンドン・コーヒーハウス」を象徴する存在であった。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開業当初の「ロイズ」では、商品取引や土地建物取引、株の仲介などが行われていたが、当時から常連客には船員や船主が多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1691年王立取引所近くのロンバード通り Lombard St.に移転。このころより「ロイズ」では船舶取引や保険の引き受けが行われている。保険の引受人たち（アンダーライター Underwriter ）は、「ロイズ」に集まり海運や船舶の情報を仕入れて、保険の引き受けを行っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1696年には新聞「ロイズ・ニュース Lloy&#039;s News 」を発行し、ここに掲載された海運、船舶の情報をもとに貿易商たちはますます取引を活発化させ、「ロイズ」は保険業者の活動拠点になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1734年「ロイズ」は海運情報誌「ロイズ・リスト Lloy&#039;s List 」を発刊。この情報誌は1771年まで発行され、信頼できる情報誌としてヨーロッパ各地で購読された。1750年頃にはロンドンの海上保険や海運業の情報センターの役割を果たし、「ロイズ」が最も繁盛した時期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1768年「ロイズ」は店内での保険賭博で非難を浴びた。保険賭博を嫌う常連客たちは資金を集め、近くの教皇の頭小路 Pope’s Head Alley に「新ロイズ・コーヒーハウス」を開業させた。この後、数年間は二つの「ロイズ」が存在するが、多くの貿易商や保険引受人は「新ロイズ」に移っていった。「新ロイズ」はさらに大きくなるが、その運営は、設立された保険組合が行い、今までのようにコーヒーハウスを本拠地として、常連客の商人たちが商取引を行う仕組みとは異なっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ロイズ」は「新ロイズ」成長の陰で徐々に衰退し、1785年に閉店した。「ロイズ」の繁栄と没落は、まさに「ロンドンのコーヒーハウス」の栄光と衰退そのものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＊「新ロイズ」に関しては[[コラム：ロイズを巡って|コラム 『ロイズを巡って』]]を参照　（小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Microcosm of London Plate 049 - Lloyd&#039;s Subscription Room edited.jpg|代替文=ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め Wikipedia:Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイズ・コーヒーハウスの保険引受風景　19世紀初め&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipedia：Lloy&#039;s  coffee house（フランス語版）より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:Lloyd&#039;s coffee house drawing.jpg|代替文=ロイズ・コーヒーハウス　19世紀画|233x233ピクセル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロイズ・コーヒーハウス　19世紀画&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介著　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia 　Lloyd’s Coffee House  （英語）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・HP　　　 　LLOY’S　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:カフェ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
	<entry>
		<id>https://history.jcs-coffee.org/index.php?title=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E4%BA%8C%E4%B8%96&amp;diff=50058</id>
		<title>チャールズ二世</title>
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		<updated>2026-06-17T17:05:05Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;Komura: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== &#039;&#039;&#039;チャールズ二世&#039;&#039;&#039;　Charles Ⅱ ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生没年 1630年～1685年　 王政復古期のイングランド、スコットランド、アイルランド王（在位：1660年～1685年）　チャールズ一世 Charles Ⅱとフランス王アンリ四世 Henri Ⅳ の娘ヘンリエッタ・マリア Henrietta Maria of France の次男。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
清教徒革命 Wars of the Three Kingdoms 以後の数々の争いのため、青年期はフランス、オランダ、ドイツと亡命を繰り返す。ただし1651年父チャールズ一世の処刑の後に、スコットランド王に即位。1658年護国卿（イングランド王国において、王権に匹敵する最高統治権を与えられた官職）であったオリバー・クロムゥエル Oliver Cromwell の死後、共和政治で混乱しているイングランド議会に対し、「絶対王政」を否定した「ブレダ宣言 Declaration of Breda 」を発して1660年イングランド王に即位。しかし、即位後信仰の自由を約束した「ブレダ宣言」に反して、カトリックの復興を図ったために議会と対立。また、フランスとの外交問題、オランダとの戦争、さらにはペストの流行、ロンドン大火などによりチャールズ二世の時代は財政危機の時代であった。　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
チャールズ二世は即位以前から終始「コーヒーハウスは、王政にとって危険な場所である。」と考えていた。なぜならば、反王政の者たちがコーヒーハウスで議論をし、また、反王政の出版物をコーヒーハウスで配布したからである。しかし、すでにコーヒーハウスは議会の議員を含めて市民の生活の一部になっており、さらにはコーヒーハウスからの税収入が貴重であったことから、コーヒーハウス禁止の措置は取りにくかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ついに1675年チャールズ二世は、コーヒー、茶、チョコレート、シャーベットの小売りを禁ずるという「コーヒーハウス禁止令」を布告した。これに対しコーヒーハウスの経営者たちは反対運動を起こした。また議会の議員たちの意見も分かれ、法律の専門家の会議でも、コーヒーハウス営業許可の取り消しは、法律上無理であるとの結論が出た。そこでチャールズ二世は、「コーヒーハウス」の営業許可を半年間延長するとのことでこの場を収めたが、コーヒーハウス経営者たちは請願運動を起こして、半年後にはさらに半年の営業許可の延長を認めたために、事実上「コーヒーハウス禁止令」は棚上げとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後もチャールズ二世はコーヒーハウスの全面禁止をあきらめなかった。さらには、次の王ジェイムズ二世 James Ⅱ もコーヒーハウスに敵意を持っていた。しかし、その都度コーヒーハウスの経営者たちは請願の行動を起こし、王政復古から30年繰り返されたコーヒーハウスへの抑圧から自分たちの店を守った。　                                                                        （小村嘉人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:チャールズ二世.jpg|代替文=チャールズ２世|309x309ピクセル]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipedia：チャールズ２世（イングランド王）　より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&#039;&#039;&#039;参照文献：&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫著　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介著　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Wikipedia：チャールズ２世（イングランド王）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{年表}}&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:人物]]&lt;br /&gt;
[[index.php?title=カテゴリ:カフェ]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
	</entry>
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