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カフェ・白銀館
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==「カフェ・白銀館 」 das silbernes Kaffeehaus :== イグナーツ・ノイナー Ignaz Neunerが1800年ごろ開業したカフェを1808年に市の中心部、シュピーゲル通り Spiegelgasse とプランケン通り Plankengasseが交わる角に移転。当初は「カフェ・ノイナー Cafe Neuner」と呼ばれていた。しかし1824年ノイナーは突如店を豪華に改造し、食器からドアノブ、衣装掛けの金具までのすべてを銀製品に変更した。店も「ダス・ズィルバーネス・カフェハウスdas silbernes Kaffeehaus(白銀館)」と呼ばれるようになった。 政治的な言論統制の中で、作家をはじめ文化人には生きにくい世の中ではあったが、「黄金の自由」がないことを「銀の館」で満足しようと「カフェ・白銀館」には多くの著名人が訪問して、この時代を代表する文学カフェとなった。詩人ニコラス・レーナウ Nikolaus Lenau、劇作家フランツ・グリルパルツァー Franz Grillparzar、同フェルディナント・ライムント Ferdinand Raimund、政治詩人アナスタージウス・グリューン Anastasius Grün 、劇作家イグナーツ・カステリ Ignaz Franz Castelli、作家ダインハルトシュタイン Johann Ludwig Dainhardstein らが常連であった。 1833年の再改装で銀製品は姿を消すが、作家たち知識人は留まり、「カフェ・白銀館」の名を押し上げた。ある時は論議を戦わせ、またある時はチェスやビリヤードに興じた。このカフェの二階にはチェス・ビリヤード専用の部屋があり、多数のビリヤード台はカフェの大きな収入源であった。 1846年二代目店主ノイナーの死後、文化人・芸術家は徐々に「カフェ・白銀館」から離散した。世の中では、政治に無関心の市民にもリベラリズムが胎動し、カフェの談義にも、反メッテルニヒ体制のものが増えていき、1848年の三月革命・ウィーン会議後のヨーロッパ秩序の崩壊で、ビーダーマイヤー時代は終焉をむかえた。この時代を代表した文学カフェ「カフェ・白銀館」は1855年に閉店した。 (小村嘉人) 参照文献: ・菊盛英夫 『文学カフェ』中公新書,1980年 ・平田達治 『ウィーンのカフェ』大修館書店,1996年 ・クラウス・ティーレ=ドールマン 『ヨーロッパのカフェ文化』平田達治・友田和秀訳 大修館書店,2000年
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