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「ドイツの医師・植物学者レオンハルト・ラウヴォルフが著作(『東方諸国への旅』)の中でコーヒーについて言及。ヨーロッパで初めて印刷物中にコーヒーが登場。[コラム]コーヒーのヨーロッパへの紹介者たち。」 '''レオンハルト・ラウヴォルフ'''Leonhart Rauworf 1535(40)年〜1596年 ドイツの医師・植物学者。1573〜76年にオリエントを旅する。“Aigentliche Beschreibung der Raiss...”(1582刊)で、アレッポで見聞きしたコーヒーの飲用とカフェについて記す。ヨーロッパ初の印刷物でのコーヒーに関する記述とされる。 コラム:「コーヒーのヨーロッパへの紹介者たち」 以下は、ヨーロッパにコーヒーの情報をもたらした先駆者たち。 ・レオンハルト・ラウヴォルフLeonhart Rauworf :1535(40)年〜1596年 ・プロスペル・アルピーニProspeer Alpini :1553年〜1617年。イタリア・ヴェネツィアの医師、植物学者。パドヴァ大学植物学教授。1580年から3(4)年間エジプトに滞在。帰国後、エジプトでの植物研究をもとに『エジプト植物誌De Plantis Aegypti Liber』(1592年刊)を著述。コーヒーノキを綿密なデッサンととも紹介。 ・ピエトロ・デッラ・ヴァッレPietro Della Valle:1586年〜1652年。イタリア、ローマの作曲家、作家、旅行家。ローマの大貴族の家系に生まれ、作曲家としても名高い。1614年から1626年にかけてトルコ、ペルシャから南インドを旅し、旅行中の書簡をまとめた『ピエトロ・デッラ・ヴァレの旅行記Viaggi Pitro Della Valle』を出版(1650年〜1668年)し、コンステンティノープルのコーヒー飲用の様子やイスパファン(ペルシャ)のカフェについての記述を残す。 ==== 参照文献 ==== Wikipedia Pietro Della Valle(英語) Aramcoworld「ピエトロ・デッラ・ヴァッレ:好奇心溢れる巡礼者」<nowiki>https://archive.aramcoworld.com/ja/issue/201401/pietro.della.valle.pilgrim.of.curiosity.htm</nowiki> ・ヨハン・フェスリンク ・バルダヌス ・ジョン・スミス ・ジャンフランチェスコ・モロジーニ Gianfrancesco Morosini(生没年不詳):モロジーニ家はヴェネツィアの大貴族。外交官として赴任していたトルコのコンスタンティノープルで飲んでいる「カウヴェcauveeという黒い水」についてヴェネツィア評議会に報告。 ・アンソニー・シャーリー Anthony Serlrey :1565年〜1635年。イギリスの旅行家・冒険家。1598年に通商関係を拓くためトルコからペルシャのシャー・アッバス一世(在位1588〜1629年)の宮廷を訪問。トルコ(シリア)のアレッポでの見聞として「コッファcoffaという飲み物」に言及(1601年刊のシャーリー使節団の随行員ウィリアム・パーリーWilliam Parryの著作に掲載)。
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