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カフェ・フローリアン
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== '''カフェ・フローリアン'''Caffè Florian == 1720年〜現在。ヴェネツィアの中心部サン・マルコ広場にある豪華な歴史的カフェ。ヴェネツィアの象徴サン・マルコ寺院Basilica di San Marcoに向かって右側、新行政館Procuratie Nuoveの1階にある。開業以来「同一の場所でカフェとして営業を続けている」ことからすれば、「現存する最古のカフェ」といえるだろう。 1720年の開業以来、ヴィネツアを訪れるイタリア内外の知識人・芸術家が必ず足を運ぶカフェとして名高く、過去、そして現在もヴェネツィアの観光名所となっている。 === カフェ・フローリアンの歴史--18世紀 === 初代の店主はフロリアーノ・フランチェスコーニFroriano Fracesconi。開業時、店の名は「アッラ・ヴェネツィア・トリオンファンテAlla Venezia Triomphante(勝ち誇るヴェネツィア)」だったが、次第にフロリアーノのカフェ「カフェ・フローリアン」の名が行き渡った。 18世紀、政治・商業面ではヴェネツィア共和国はかつての「地中海の覇者」の座から降りてはいたが、ヨーロッパの文化の担い手としての地位を保っていた。「フローリアン」にはヴェネツィアの芸術家・名士が集い、さらにヨーロッパ中から芸術家、知識人が訪れ、ヴェネツィアの文化活動の拠点となっていた。 店主フロリアーノは彫刻家アントニオ・カノーヴァAnonio Canovaを援助するなど、芸術家たちと交流し、「フローリアン」はヴェネツィアの芸術・文化の中心地となった。カノーヴァの他に、コメディア・デラルテを代表する劇作家カルロ・ゴルドーニ、ヨーロッパ中で浮き名を流したジャコモ・カサノヴァらがフロリアーノ時代の「フローリアン」に通った。 フロリアーノは1750年に店の拡張を行い、瀟洒な内装の4部屋からなるカフェに衣替えした。 また、1760年にガスパロ・ゴッツィGasparo Gozziが創刊した雑誌『ガゼッタ・ヴェネタGazzetta veneta』を店に備えて内外の客に閲覧させるなど、ヴェネツィアの情報センターとしての役割を演じた。 W.H.ユーカーズは、カリュー・ハズリットCarew Hazlittの『ヴェネツィア共和国』を引用して、次のように記している。 「フローリアンは、ヴェネツィア内外の幾百の人々にとって・・・、世情を知る情報の宝庫であり、便利な街の案内役でもあった。ヴェネツィアから旅立つものは、フローリアンに名刺や覚書を残した。またヴェネツィアを訪れる者も、まずこの店に立ち寄り、会いたいと願う人々の消息を求めた」。 1773年に「フローリアン」の経営は、孫のヴァレンティーノValentino Francesconiに引き継がれ、変わらずヴェネツィアの文化と社交の中心的な場として機能し続けた。 1797年、ヴェネツィアはイタリアに侵攻したナポレオンのフランス軍に降伏し、ほぼ1000年続いたヴェネツア共和国の歴史は幕を閉じた。この時、ヴァレンティーノは降伏への抗議としてしばらく店の看板を下ろしている。 === カフェ・フローリアンの歴史--19世紀 === 1797年にフランスとオーストリア帝国の間で締結されたカンポ=フォルミオ和約以降、ヴェネツィアは1866年にイタリア王国に編入されるまで、実質的にオーストリア帝国に支配 下となった。 「フローリアン」はオーストリアに対するイタリアの抵抗勢力の拠点となり、1848年の独立蜂起(失敗に終わる)のメンバーに会合の場を提供している。その後もオーストリアに対する抵抗運動の拠点となり、1866年のイタリア王国へのヴェネツィア編入までイタリア統一運動を推進した愛国者たちへの支援を行なった。 1858年、店の経営はフランチェスコーニ家からヴィンツェンツォ・ポルタVincenzo Portaらに移った。その際、建築家ロドヴィーコ・カドリンLodovico Cadrinらに委嘱して大掛かりな改装を行い、それぞれヴェネツィア鏡、天井画、壁画、肖像画で内装を施した瀟洒な4つの広間、サラ・デル・セナーテSala del Senatte(元老の広間)、サラ・グレカSala Greka(ギリシャ風広間。現存しない)、サラ・シネーゼSala Cineze(中国風広間)、サラ・オリエンターレSala orientale(オリエント風広間)を持ったカフェに衣替えした。 さらに1872年と1891年の改装でサラ・デッリ・ウオミニ・イルストリSala degli Uomini Illustri(偉人達の広間)、サラ・デッレ・スタジオーニ(四季の広間)の2室を加えた。 1920年にアール・ヌーヴォーの簡素な装飾のサラ・リヴァティSala Livety(自由の広間)を増設し、ほぼ現在の「カフェ・フローリアン」の姿になった。 === カフェ・フローリアンの歴史--20世紀 === 20世紀に入っても「フローリアン」はヴェネツィアの文化活動を支援し、1895年に始まるヴェネツィア・ビエンナーレBiennale di Venetza(2年に1度行われる国際美術展)では、第1回から現代美術の作家を招き、展示会場を提供している。 また、テラスでは楽団を雇いカフェ=コンセールを定期的に催している。1973年から再開されたヴェネツィアのカーニバルの期間は、店は仮装した客であふれる。 こうして「カフェ・フローリアン」は、300年にわたりヴェネツィアの芸術・文化生活の拠点の役割を演じ、今もヴェネツィアを訪れる人々の目的地のひとつとなっている。 (山内秀文) ==== 参照文献 ==== ・Wikipedia:Caffè Florian(英語、フランス語) ・William.C.Hazlitt "''The Venetian Republic''" 1905 London ・Jean Claude Bologne "''Histoire des Cafés et des Caftiers"'' 1993 Paris (Larousse) ・Felipe Ferré ''"L'Aventure de Café"'' 1988 , Paris ・ウィリアムH.ユーカーズ 『ALL ABOUT COFFEE』山内秀文抄訳 角川ソフィア文庫 2017年
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