コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
コーヒー歴史年表
最近の更新
おまかせ表示
MediaWikiについてのヘルプ
コーヒー歴史年表
検索
検索
表示
アカウント作成
ログイン
個人用ツール
アカウント作成
ログイン
コーヒー歴史年表のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
特別ページ
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
コーヒー歴史年表
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
この操作は、以下のグループに属する利用者のみが実行できます:
登録利用者
。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{| class="wikitable" !15世紀以前 !<コーヒー全般> <エピソード> |- |約1400万年前 |[[コフィア属]]([[コーヒーノキ]])の祖先がアフリカ大陸(中央アフリカ)に生まれる。 |- |1000万〜500万年前 |現在の[[コフィア属]]([[アラビカ種]]、[[カネフォラ種]]、[[ユーゲニオイデス種]]、[[リベリカ種]]等)の祖先がアフリカ大陸の各地域の気候に適応して分岐。 |- |数100万〜数10万年前 |ビクトリア湖北西部に[[カネフォラ種]]と[[ユーゲニオイデス種]]が交配して自家受粉可能な四倍体の[[アラビカ種]]の祖先が生まれる。コラム:[[*アラビカ種の誕生と旅立ち]] |- |100万〜1万年前 |現在の[[アラビカ種]]の直接の祖先が、[[エチオピア高原]]に生き残る。 |- |紀元前3世紀 |[[エチオピア]]で山羊飼いカルディがコーヒーを発見(伝説)?([[「山羊飼いコーヒー発見伝説」]]) |- |9〜11世紀 |ペルシャの医師・哲学者[[アル・ラーズィー(ラーゼス)]]と[[イブン・スィーナー(アヴィセンナ)]]が、薬としてコーヒー(ブン、ブンカ、ブンクム)について記述?[[*コラム:コーヒーを薬として使用?]] |- |13世紀半ば |イスラムの修道僧[[シェイク・オマル]]が[[モカ]]の山中でコーヒー発見(伝説)? [[*コラム:シェイク・オマルのコーヒー発見伝説]] |- !15世紀 !<コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |- |1454年頃 |[[アデン]]の律法学者[[シェイク・ジェマレディン]](ザブハーニー)がコーヒーの効用を知り、イスラムの修道僧の間に広める。[コラム①]最初はどんなコーヒーを飲んだのか?[コラム②]コーヒーとワイン、カート |- |15世紀半ば |この頃[[モカ]]の東、[[イエメン]] の山中でコーヒーの栽培始まる? [[*コラム:いつコーヒーの栽培が始まったのか?]] |- |1470年頃 |[[シェイク・ジェマレディン]]死去。 |- |15世紀末 |コーヒーの飲用がメッカ、メディナなどアラビア半島南部に広まる。ほぼ同時期にカフェも現れる[コラム]スーフィーによるイスラム世界へのコーヒーの伝播。 |- !16世紀 !<コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |- |1510年頃 |コーヒーがカイロに広まる。 |- |1511年 |メッカで最初のコーヒー、カフェ弾圧。[コラム]イスラム世界でのコーヒー論争と弾圧。 |- |1517年 |オスマン・トルコ皇帝[[セリム一世]]がエジプト征服(マムルク朝)。コーヒーがカイロからコンスタンチノープルに伝わる。 |- |1530年頃 |ダマスカスにコーヒー伝わる。コーヒーハウス「バラ」「救済の門」ができる。 |- |1532年頃 |アレッポにコーヒー伝わる。 |- |1534年 |カイロでコーヒー反対運動起こる。 |- |1554年 |コンスタンチノープルにコーヒーハウス(トルコではカフェ・カネ)ができる。[コラム]コンスタンティノープルのカフェの姿。 |- |16世紀半ば |[[トルコ式コーヒー]]の形態(焙煎、粉砕、抽出、サーヴィス方法)が完成。[[*コラム:トルコ式コーヒーの器具と抽出法]] |- |1570年頃 |オスマン・トルコ皇帝セリム二世(在位1566〜74)によるコーヒー弾圧。 |- |1580年頃 |オスマン・トルコ皇帝ムラト三世(在位1574〜92)によるコーヒー弾圧。 |- |1582(3)年 |ドイツの医師・植物学者[[レオンハルト・ラウヴォルフ]]が著作(『[[東方諸国への旅Journey into the eastern countries|東方諸国への旅]]』)の中でコーヒーについて言及。ヨーロッパで初めて印刷物中にコーヒーが登場。[コラム]コーヒーのヨーロッパへの紹介者たち。 |- |1585年 |ヴェネチアのトルコ大使、ジャンフランチェスコ・モロシーニ、ヴェネチア評議会にトルコでのコーヒー飲用について報告。 |- |1587年 |[[アブダル・カディール]]『[[アブダル・カディールの書|コーヒーの合法性の擁護]]』を著述。現存する最古のコーヒー書。[コラム]アブダル・カディールの写本の翻訳と概要 |- |1588年頃 |[[シャー・アッバス]]の治世(1588〜1629年)には、ペルシャにカフェが存在したとの記録。 |- |1592年 |[[プロスペロ・アルピーニ]]、[[『エジプトの植物』]]出版。コーヒーの木のデッサンと記述。[コラム]イタリアのコーヒーへの関心の高まり |- |1595年 |[[バルダヌス]]『[[リンスホーテン]]の旅』の注でコーヒーに関して記述。イギリスで初めてのコーヒーに関する記述。 |- !17世紀 !<コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |- |1600年頃 |インドのイスラムの巡礼者[[ババ・ブダン]]がモカからマイソールにコーヒーを持ち帰る(伝説?1640年、1695年頃という説も)。 |- |1600年頃 |ローマ教皇[[クレメンス八世]]、コーヒーに洗礼を施す(?伝説)。[[*コラム:クレメンス八世のコーヒー洗礼は本当か?]] |- |1602年 |[[ジョン・スミス]]、『[[旅と冒険]]』でコーヒーについて記述。[コラム]イギリス の知識人のコーヒーへの関心の高まりと著作。 |- |1607年 |[[ジョン・スミス]]、バージニア植民地にコーヒーを持ち込む? |- |1609年 |ウィリアム・ビダルフ、『ある英国人たちのアジア、アフリカその他の地への旅行記』出版。コーヒーについて詳細な記述。 |- |1610年 |(オランダ、ヨーロッパに初めて中国、日本から茶を輸送)。[コラム]陶磁器(コーヒーカップ)のヨーロッパへの輸出 |- |1614年 |[[ピエトロ・デッラ・ヴァッレ]]がコーヒーをヴェネツィアに持ち帰る。? |- |1616年 |オランダが[[モカ]]から初めてヨーロッパにコーヒーを輸送。1640年に商業的に輸入が始まる。 |- |1620年 |ピルグリム・ファーザーズ、アメリカ入植。コーヒー器具を持ち込む? |- |1623年 |フランシス・ベーコン、『死生論』でコーヒーについて記述。 |- |1632年 |ロバート・バートン、『メランコリーの解剖学』でコーヒーについて記述。 |- |1644年 |[[ピエール・ド・ラ・ローク|ド・ラ・ローク]]、トルコからマルセイユにコーヒー器具を持ち帰る。[[*コラム:フランスのコーヒーへの関心の高まり。]] |- |1645年 |ヴェネチアに最初のカフェ開店(コーヒーが一般化)? |- |同 |トルコの使節団がウィーンにコーヒーを紹介。 |- |1649年 |(清教徒革命) |- |1650年 |オックスフォードにイギリス初のコーヒーハウス(「[[ジェイコブズ]]」)開業。 [[*コラム:ヨーロッパ諸国のカフェの始まり]] |- |1650年頃 |この頃に[[シリンダー型焙煎機]]が登場。 [[*コラム:17~18世紀のコーヒー焙煎機。]] |- |1652年 |アルメニア人[[パスカ・ロゼ]]、ロンドン初のコーヒーハウス開業。以後、続々とコーヒーハウスが誕生し、17世紀末には3000軒を数える。[[*コラム:ロゼのコーヒーハウス開業の経緯|*コラム:ロゼのコーヒーハウス開業の経緯。]] |- |1655年頃 |イギリス人の[[ニコラス・ブック]]、コーヒー専用のミルを開発。 [[*コラム:コーヒー・グラインダー(ミル)の変遷。]] |- |1656年頃 |オスマン・トルコの大宰相[[キョプリュリュ]]によるカフェ弾圧。 |- |1657年以前 |[[ジェイムズ・ファー]]、「[[レインボウ]]」を開業(ロンドン)。ロンドンで2番目のコーヒー・ハウス。 |- |1657年 |スウエーデンの旅行家[[クレス・ロラン]]、トルコを使節として訪問。コーヒーの飲み方を報告。 |- |1657年 |「[[ギャラウェイズ|ギャラウェイズ・コーヒーハウス]]」(ロンドン)で茶の販売広告¸[[*コラム:コーヒーハウスと茶、チョコレート]] [[コーヒーハウスと広告の誕生|*コラム:コーヒーハウスと広告の誕生]] |- |1657年 |[[ジャン・ド・テヴノー]]、パリにコーヒーを紹介。 |- |1658年 |オランダ、モカから[[セイロン島(スリランカ)]]へコーヒーを移植。 |- |1660年頃 |「[[マイルズ・コーヒーハウス]]」(ロンドン)に[[ロータ・クラブ]]設立。[コラム]コーヒーハウスとクラブ |- |1660年頃 |[[マルセイユ]]でコーヒーが売られる(薬屋)。 |- |1660年頃 |「[[ウイルズ・コーヒーハウス]]」開業(ロンドン)。(〜1749年)[コラム]著名なコーヒーハウスとコーヒーハウスに通った有名人 |- |1664年 |ハーグにオランダ初のカフェ開業。 |- |1665年 |(ロンドンでペスト大流行。) |- |1665年 |「[[グリシアン・コーヒーハウス]]」開業(ロンドン)。 |- |1666年 |ロンドン大火。レンガ作りで再建。続々とコーヒーハウス開業。*コラム[[代用貨幣の発行|*コラム:代用貨幣の発行]] |- |1668年 |アメリカ最初のコーヒーに関する記述。 |- |1669年 |トルコの大使[[ソリマン・アガ]]がコーヒーを携えてパリに赴任。上流階級の間でコーヒーがブームになる。[[*コラム:セヴィニェ夫人とフランス宮廷人のコーヒー観。]] |- |1669年 |ロンドンにロイヤル・エクスチェンジ(商品取引市場)開設。近辺に多数のコーヒーハウス開業。[コラム]コーヒーハウスと商取引 |- |1670年 |[[ノワンエル侯爵]]、フランス大使としてトルコ訪問¸(1670〜79年)。[[アブダル・カディールの書]]、[[ビチヴィリの写本]]を持ち帰り、ルイ一四世に献上。 |- |1671年 |ローマのオリエント語教師[[ファウスト・ナイロニ]]が著作の中で[[「山羊飼いコーヒー発見伝説」]]を紹介。[[*コラム:「山羊飼いコーヒー発見伝説」の真実]] |- |1671年 |[[マルセイユ]]にフランス初めてのカフェ開業。 |- |1671年 |[[シルヴェストル・デュフール]]『[[『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関して』|コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関して]]』刊行。 |- |1671年 |[[ヘンリー・ブラント]](コーヒー・ハウスの父、と呼ばれる)、『レバントへの旅』刊行。 |- |1672年 |パリに最初のカフェ。アルメニア人[[パスカル]]が露店のカフェを開業。[[*コラム:「カフェ・プロコプ」以前のカフェ]] [[*コラム:コーヒーの呼び売りカンディオ]] |- |1674年 |ロンドンで女性たちによるコーヒー禁止の請願。[[*コラム:女性のコーヒーハウスへの反感]] |- |1674〜88年 |ロベール・ボナール(Robert Bonnart)の版画シリーズ(貴族Homme de quarité¸)にコーヒーを飲む貴族の数点のポートレイト。 |- |1675年 |[[チャールズ二世]]、コーヒー・ハウス禁止令。 |- |1676年 |ルイ一四世によりカフェのギルド(カフティエ=リモナディエ=ディスティラトゥール)のギルド認可。[コラム]ギルドの排他特権とカフェの商品アイテム |- |1679年 |ハンブルクにカフェが開業。 |- |1679年 |[[マルセイユ]]でコーヒーの薬効について論争。 |- |1683年 |[[コルシツキー]]がウィーン初のカフェ「[[青い瓶(ブラウエン・フラッツェ)]]」開業(作り話?)。[コラム]コルシツキーの「青い瓶」は作り話? |- |1683年 |ヴェネツィアのサン・マルコ広場にカフェがあったとの記録。 |- |1684年頃 |この頃ロンドンに3000軒のコーヒーハウスとの記述。 |- |1684年 |[[シルヴェストル・デュフール]][[『コーヒー、茶、チョコレートの飲用に関する新たな興味をそそる論説』]]刊行。 |- |1686年 |「プロコプ」開業(パリ)。フランスのカフェの原型となる。[コラム]「プロコプ」を巡って |- |1688年 |「[[ロイズ|ロイズ・コーヒーハウス]]」開業(ロンドン)。[コラム][[コラム:ロイズを巡って|「ロイズ」を巡って]] |- |1688年 |[[ヨハネス・ディオダド]]、ウィーンにカフェ開業。ウィーンの最初のカフェか。 |- |1689年 |(名誉革命) |- |1689年 |ボストンにニュー・イングランド初のコーヒーハウス(「ロンドン・コーヒーハウス」)開業。 |- |1689年 |(イギリス東インド会社が初めて中国から直接イギリスに茶を輸送) |- |1690年 |ストックホルムに2軒のカフェ。 |- |1694年 |ライプチッヒに初のカフェ開業。 |- |1696年 |ニューヨークに初のコーヒーハウス開業。 |- |1698年頃 |「[[ココアトゥリー(コーヒーハウス)]]」開業(ロンドン)。 |- |1699年 |オランダが[[ジャワ]]にインドのマラバールからコーヒーの苗木を運び、移植に成功。[コラム]イエメンからのコーヒー栽培の伝播¸と経路 |- |1699年 |[[アントワーヌ・ガラン]]、『コーヒーの起源と伝播』を著述。『[[アブダル・カディールの書]]』の抄訳。[コラム]『アブダル・カディールの書』のガラン抄訳について |- !18世紀 !<コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |- |1700年頃 |「[[トムズ|トムズ・コーヒーハウス]]」開業(ロンドン)。 |- |1705年 |「[[セント・ジェイムズ・コーヒーハウス]]」開業(ロンドン)。 |- |1705年頃 |[[ジャワ]]からアムステルダムにコーヒーの苗木を移送。 |- |1709年 |[[リチャード・スティール]]『[[タトラー]]』創刊。[[*コラム:コーヒーハウスと近代ジャーナリズムの誕生]] |- |1711年 |[[ジャワ]]からオランダにコーヒーを輸送。 |- |1711年 |[[リチャード・スティール]]、[[ジョゼフ・アディソン]]とともに『[[スペクテイター]]』創刊 |- |1712年 |「[[バトンズ|バトンズ・コーヒーハウス]]」開業(ロンドン)。 |- |1714年 |アムステルダム市からルイ一四世にコーヒーの苗木を献呈。[[パリ植物園|パリ王立植物園]]に移植。 |- |1714年 |(ジョージ一世がイギリス国王に。ハノーヴァー朝の成立) |- |1714年 |プラハ初めてのカフェ開業。 |- |1715年 |(ルイ一四世崩御。ルイ一五世即位。オルレアン公が摂政に) |- |1715年 |「カフェ・ド・ラ・パレ・ロワイヤル」が、「カフェ・ド・ラ・レジャンス」に改名。豪華カフェに生まれ変わる(パリ)。[コラム①]ジュール・ミシュレ『フランス史・レジャンス』から [コラム②]カフェとゲーム(チェス) |- |1715年 |ジャン・ド・ラ・ローク『幸福なアラビアの旅』刊行。コーヒーに関しての記述。 |- |1715年 |[[ハイチ]]と[[ドミニカ]]にコーヒー栽培が伝わる([[ド・クリュー]]と別ルート)。 |- |1715年頃 |フランス、[[モカ]]からコーヒーを[[ブルボン島]](現レ=ユニオン島)に移植し栽培に成功。ブルボン種の祖といわれる。[コラム]ブルボン島へのコーヒー移植の経緯。 |- |1715年頃 |パリに300軒のカフェ。[コラム]フランス革命以前のパリのカフェ事情 |- |1718年 |スリナムにコーヒー栽培が伝わる。 |- |1720年 |サン・マルコ広場に「カフェ・フローリアン」開業(ヴェネツィア)。[コラム]サン・マルコ広場のカフェ |- |1721年 |ベルリンに初めてのカフェ開業。 |- |1723年 |[[ガブリエル・ド・クリュー]]、パリ王立植物園のコーヒーの苗木をマルチニーク島に運び栽培に成功。ここからカリブ海・中米諸国に伝播(ティピカ種の祖)。[コラム]マルチニーク島へのコーヒー移植の経緯 |- |1725年頃 |[[ジャワ]]島が[[モカ]]に代わって世界最大のコーヒー生産地に。 |- |1725年頃 |サン・マルコ広場に「カフェ・クワドリ」開業(ヴェネツィア)。 |- |1725年頃 |「カフェ・ド・フォワ」開業(パリ)。 |- |1727年 |フランシス・バリェタがフランス領ギアナからパラにコーヒーを持ち帰り、移植に成功。[[ブラジルのコーヒー栽培の始まり]]。[コラム]ブラジルのコーヒー栽培の始まり |- |1730年頃 |ハイチ島で本格的にコーヒーの栽培が始まる。18世紀後半には世界最大の生産地に。[コラム①]黄金の島、ハイチ(サン=ドマング) [コラム②]コーヒーと奴隷貿易 |- |1730年 |[[ジャマイカ]]でコーヒーの栽培が始まる。 |- |1750頃~ |[[カリブ海、中南米諸国にコーヒーの栽培が伝わる]]。キューバ1748年、グァテマラ1760年頃、コスタリカ1774年、ベネズェラ1784年、メキシコ1790年頃、コロンビア18世紀末。コーヒー栽培が本格化するのは19世紀後半以降。[コラム]中南米、[[カリブ海諸国]]へのコーヒーの伝播 |- |1734年頃 |J.S.バッハ、ライプチッヒのカフェ・ツィンマーマンで「コーヒー・カンタータ」初演。[コラム①]コーヒークレンツヒェンと女性へのコーヒーの流行(ドイツ)。[コラム②]「コーヒー・カンタータ」解釈 |- |1737年 |「[[マーチャンツ・コーヒーハウス]]」開業(ニューヨーク)。[コラム]植民地時代のアメリカ社会とコーヒーハウス |- |1750年 |カルロ・ゴルドーニの『ボデガ・デル・カフェ』ヴェネツィアで初演。 |- |1751年 |『百科全書』の刊行始まる(〜1772年)。[コラム]百科全書の刊行と「プロコプ」 |- |1751年 |[[ウィリアム・ホガース]]画『[[ビール通りとジン横丁]]』を発表。*[[コラム:18世紀ロンドンの居酒屋事情]] |- |1752年 |「[[ラネラ・ガーデン]]」開業(ロンドン)。[[*コラム:ロンドンのティーガーデン]] |- |1760年 |「カフェ・グレコ」開業(ローマ)。[コラム]「カフェ・グレコ」は「カフェ・テデスコ」 |- |1760年 |[[ブラジルのリオでコーヒー栽培が始まる]]。 |- |1760年頃 |フランスで布で漉す浸漬式の抽出法が普及し始める(ボイル式も継続して行われる)。[コラム]抽出法の多様化 |- |1764年 |ミラノで文学誌『イル・カフェ』発刊。 |- |1773年 |ボストン茶会事件。コーヒーがアメリカの国民飲料になるきっかけとなる。[コラム]ボストン・ティーパーティーとコーヒー。 |- |1776年 |(アメリカ独立宣言) |- |1777年 |プロイセンのフリードリヒ2世(大王)、コーヒーの使用を制限する布告。[コラム]コーヒー禁止の影響 |- |1784年 |(パレ・ロワイヤルの改装完成(1781年〜))。 |- |1784年 |ベネズエラにコーヒー栽培伝わる。1789年に輸出開始、栽培本格化。 |- |1785年頃〜 |オルレアン公(ルイ・フィリップ・ジョゼフ)がパレ・ロワイヤル改装し、賃貸(パリ)。パレ・ロワイヤルにカフェが集積。フランス革命時には各党派の活動の舞台ともなる。 |- |1788年頃 |この頃パリのカフェ、1700軒を数える。 |- |1789年 |(フランス革命) |- |1789年 |カミーユ・デムーラン、「カフェ・ド・フォワ」のテラスでアジ演説。バスティーユへの行進のきっかけに(フランス革命の発火点)。 |- |1789年 |ニューヨークの「[[マーチャンツ・コーヒーハウス]]」の前でジョージ・ワシントンの歓迎式典が行われる。 |- |1790年頃 |パレ・ロワイヤルに次々にカフェ、レストランが開業。パリ随一の繁華街に。 |- |1791年 |ハイチで反乱発生。内乱でコーヒー生産に大打撃。[コラム]ハイチの独立とコーヒー |- |1791年 |「カフェ・リーシュ」開業(パリ)。 |- |1798年 |「トルトーニ(カフェ)」開業(パリ)。 |- |1799年 |「カフェ・アルディ」開業(パリ)。 |- !19世紀 !<コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |- |1800年頃 |ドリップ式のコーヒー器具、ド・ベロワのコーヒー・ポット登場。 |- |1800年頃 |(中国で紅茶=工夫茶の製造始まる) |- |1800年頃〜 |パレ・ロワイヤル繁栄の全盛期(1830年頃まで) |- |19世紀初頭 |アメリカが世界最大のコーヒー消費国に。 |- |19世紀初頭 |スマトラ、セレベスなどでコーヒー栽培が本格化。 |- |1802年 |「カフェ・アングレ」開業(パリ)。 |- |1802年 |「カフェ・アルディ」開業(パリ) |- |1804年 |(ナポレオン、皇帝に即位。第一帝政始まる)。 |- |1804年 |[[ハイチ]]が独立(史上初の黒人共和国)。フランス、コーヒーの覇権を失う。 |- |1806年 |ナポレオン、大陸封鎖令。コーヒーが不足し、代用コーヒーが横行。 |- |1806年 |[[シルヴェストル・ド・サシ]]、[[アブダル・カディールの書]](『コーヒーの合法性の擁護』)を部分訳。 |- |1815年 |(フランス、ナポレオンが退位し、王政復古。) |- |1815年頃 |ブラジルの[[フルミネンセ]](リオデジャネイロ)でコーヒー生産が急増。 |- |1815年頃〜 |オーストリア、ビーダーマイヤー時代(〜48年) |- |1816年 |メキシコでコーヒーの商業的栽培始まる。栽培の本格化は1870年代から。 |- |1823年 |(インドのアッサム地方で茶の木(アッサム種)発見。 |- |1830年 |(フランス、七月王政。) |- |1830年頃 |イタリア通りにカフェ=レストランが集積。次第にパレ・ロワイヤルに代わりパリ一の繁華街に。 |- |1832年 |「カフェ・ペドロッキ」開業(イタリア・パドヴァ)。 |- |1835年 |「[[カフェ・クランツラー]]」開業(ベルリン)。 |- |1838年 |(インドのアッサムで紅茶の製造始まる。続いてダージリンでも紅茶を製造(1841年)) |- |1839年 |バルザック『近代興奮剤考』刊行。 |- |1840年 |(アヘン戦争始まる〜1842年) |- |1840年 |[[ジャン=ピエール・プジョー]]が金属製のコーヒー・ミルを開発。 |- |1840年頃 |イギリス人ロバート・ナピアーがサイフォンを発明。 |- |1843年 |コスタリカ、他の中米諸国に先駆けコーヒー輸出を本格的に開始。 |- |1847年 |「[[カフェ・グリエンシュタイドル]]」開業(ウィーン)。 |- |1847年 |アメリカ人、[[ジェイムズ・カーター]]がプル・アウト式焙煎機を開発。 |- |1848年 |フランス、第二共和政。ルイ・ナポレオンが大統領に(1852〜第二帝政)。 |- |1850年 |ブラジル、奴隷貿易を禁止。 |- |1850年頃~1870年頃 |リオでのコーヒー栽培の黄金時代 |- |1850年頃~ |この頃から中米のコーヒー栽培が本格化。先行するコスタリカについでグァテマラ(1850年頃)、エルサルバドル(1852年)、ニカラグァ(1860年代)がコーヒー栽培に取り組み、1870年代から輸出が急増。 |- |1850年頃〜 |(ティー・レース始まる。〜1870年頃) |- |1852年 |(フランス、第二帝政。ルイ・ナポレオンが皇帝に。) |- |1852年 |(オスマンのパリ大改造始まる(〜1870年)) |- |1855年 |(フランス、第一回パリ万博(1867:第二回、1878:第三回)) |- |1858年 |ヴィクトリア湖の南で[[カネフォラ種|ロブスタ]]発見。新種として報告せず。 |- |1860年 |(アメリカ南北戦争(〜65年)) |- |1860年頃〜 |(インドでの紅茶生産が軌道に乗る。) |- |1861年 |(イタリア王国成立。) |- |1861年 |アフリカで[[さび病]]発生。 |- |1862年 |「カフェ・ド・ラ・ペ」開業(パリ) |- |1864年 |[[ジェイブズ・バーンズ]]、新型焙煎機を開発(現在の焙煎機の原型)。[[*コラム:ジェイブズ・バーンズの功績]] |- |1865年 |ジョン・アーバックル、初めてパック詰めにしたコーヒー「アリオーサ」を販売。 |- |1865年 |「[[ロイヤル・コーヒーハウス]]」開業(ロンドン)。 |- |1867年 |[[ジェイブズ・バーンズ]]、[[*コラム:ジェイブズ・バーンズの功績|グラニュレーターとコーヒー冷却器を開発]]。 |- |1867年 |[[セイロン島(スリランカ)|セイロン島(現スリランカ)]]で[[さび病]]発生。コーヒーの生産は19世紀末までに壊滅。徐々に茶に切り替わる。 |- |1868年 |インドのニルギリで[[さび病]]発生。 |- |1870年 |(普仏戦争に敗北。第三共和制へ。) |- |1870年 |アメリカ人、[[ジョン・ベーカー]]が業務用ミル『エンタープライズ』を開発。 [[*コラム:業務用コーヒー・ミル開発の進展。]] |- |1871年 |(ドイツ統一) |- |1873年 |「[[カフェ・インペリアル]]」開業(ウィーン)。 |- |1874年 |リベリアで[[リベリカ種]]発見。 |- |1874年 |(日本で紅茶製造始まる) |- |1875年 |「[[カフェ・バウアー]]」開業(ベルリン)。 |- |1875年頃~ |ブラジル・サンパウロ地方で[[ブルボン種]]導入始まる。 |- |1875年頃〜 |コロンビアのコーヒー栽培が本格化。1880年代から生産が急増。 |- |1876年 |「[[カフェ・ツェントラル]]」開業(ウィーン)。 |- |1876年 |[[ジャワ|ジャワ島]]、スマトラ島で[[さび病]]発生。 |- |1878年 |バーンズ、コーヒー、紅茶、香辛料を扱う業界誌『スパイス・ミル』刊行を始める。 |- |1880年 |「[[カフェ・シュペール]]」開業(ウィーン)。 |- |1880年頃~ |リオでのコーヒー栽培が徐々に衰退。1888年の奴隷解放により決定的打撃を受ける。 |- |1882年頃〜 |コロンビアの中央高地でコーヒーの栽培が本格化。 |- |1881年 |ニューヨーク・コーヒー取引所開設。 |- |1883年 |(セイロン=スリランカからの紅茶輸出始まる) |- |1884年 |この年から、サンパウロを中心にコロノスとしてイタリア移民の導入が本格化。 |- |1885年 |「シャ・ノワール」移転して新装開業(パリ)。 |- |1885年 |[[ジャワ]]で[[さび病]]蔓延。生産が減少。[[リベリカ種|リベリカ]]への植え替えが進む。 |- |1890年頃 |パリのカフェの集積地、イタリア通りからモンマルトルへ。 |- |1888年 |ブラジル、奴隷制廃止。農園からの奴隷の逃亡により、リオのコーヒー生産に壊滅的打撃。コーヒー生産の中心はサンパウロ州に移る |- |1890年頃〜 |サンパウロ州が世界最大のコーヒー生産地に。90年代にはブラジルは世界生産量の70〜80%を占める(ブラジルの総輸出の60〜70%) |- |1893年 |ジョウエル・チーク、ジョン・ニールとチーク=ニール・コーヒー社(「マックスウェル・ハウス」)をナッシュビルで設立。 |- |1895年 |ヨハン・ヤコブス、ブレーメンにコーヒー店開業。(のちのヤコブス社) |- |1898年 |ローランがコンゴで[[カネフォラ種|ロブスタ]]を発見。カネフォーラ種と命名。 |- |1898年 |「カフェ・デスヴェステンス」開業(ベルリン)。 |- |1899年 |加藤サルトリがシカゴでインスタント・コーヒーを開発。 |- |1899年 |「[[カフェ・ムゼウム]]」開業(ウィーン)。 |- |1899年 |サンフランシスコにブランデンシュタイン兄弟(4人)がMJBコーヒー社設立。 |- |1889年 |ドイツの[[ゴットホット社]]、高速焙煎機「イデアル・ラピッド」を開発。 [[*コラム:熱風式焙煎機の進展。]] |- !20世紀 !<コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |- |1900年 |ヒルズ・ブラザーズ社、真空包装缶のコーヒーを発売。 |- |1900年頃 |[[ジャワ]]で[[カネフォラ種|ロブスタ]]の栽培が始まる。 |- |1900年頃〜 |中南米諸国がコーヒーを大増産。中米諸国は次第にコーヒーのモノカルチャー化。 |- |1900年頃〜 |(インドでの紅茶生産が中国を圧倒) |- |1901年 |ケニアにレ・ユニオン島からコーヒーを移植、栽培が始まる。続いてタンザニアも栽培開始。 |- |1901年 |イタリア人、ベゼラが蒸気圧による抽出器を発明。エスプレッソ・マシンの原型となる。 |- |1901年 |ブラジル、コーヒー大豊作。世界のコーヒー生産量の81%に達する。 |- |1906年 |ルートヴィヒ・ロゼリウス(ドイツ)、カフェインレスコーヒーの特許を取得、会社を設立。 |- |1907年 |コーヒー価格の暴落により、ブラジル政府がコーヒー買い上げ(ヴァロリゼーション)。 |- |1908年 |ドイツで[[メリタ・ベンツ]]がペーパー・ドリップによる抽出器具を開発。 |- |1908年 |(トマス・サリヴァン、ティーパック発明) |- |1914年 |(第一次世界大戦始まる。〜1918年) |- |1916年 |「ロマニッシェスカフェ」開業(ベルリン)。 |- |1918年 |ブラジルで大霜害。コーヒーの相場が急騰。ヨーロッパの需要回復も要因。 |- |1918年 |「[[カフェ・ヘレンホーフ]]」開業(ウィーン)。 |- |1920年 |ドイツのエミリッヒ社(後の[[プロバット社]])、現在のドラム式焙煎機の原型となる「プロバット・コール・コースター」を開発。 [[*コラム:プロバット社焙煎機開発の流れ|*コラム:プロバット社焙煎機開発の流れ。]] |- |1920年頃 |パリのカフェの集積地がモンパルナスへ。(狂乱の時代(〜1930頃)) |- |1922年 |ウィリアム.H.ユーカーズ『オール・アバウト・コーヒー』を刊行(1935年・第2版)。 |- |1924年 |エドゥアルト・ショプッフ、ドイツ・ブレーメンにエドショー社を設立(通信販売)。 |- |1925年頃〜 |ケニア、タンザニア、ウガンダなどアフリカのヨーロッパ植民地でコーヒー生産が本格化。 |- |1927年 |コロンビアが世界第2位のコーヒー生産国に。コロンビア・コーヒー連盟FNC設立。 |- |1929年 |(大恐慌。) |- |1931年〜 |エルサルバドルに独裁政権(エルナンデス・マルティネス)誕生。その後グァテマラ(1931年)、ニカラグァ(1934年)、ホンジュラス(1932年)で独裁政権が誕生。コーヒー生産は進展したが、土地の集中化が進み、貧富の格差が増大。 |- |1933年 |(ナチス、政権掌握) |- |1934年 |ブラジル、過剰生産によりコーヒーを焼却。 |- |1937年 |ネスレ社がインスタントコーヒーを商品化(「ネスカフェ」)、翌年発売。 |- |1941年 |第二次世界大戦(〜1945) |- |1947年 |ガジアがピストン方式のエスプレッソ・マシンを開発。現在のエスプレッソ・マシンの原型となる。 |- |1949~54年 |ブラジルの旱魃を引き金にコーヒー価格が上昇、アメリカで薄いコーヒーが蔓延し、インスタントコーヒーの需要が伸びる。 |- |1950年頃 |サン=ジェルマン=デ=プレのカフェに実存主義者が集まる(サルトル、ボーボワール) |- |1950年頃 |ヨーロッパの需要回復によりコーヒー価格が上昇。 |- |1953年 |ブラジル霜害によりコーヒー減産。価格が急騰。アメリカでは薄いわゆるアメリカン・コーヒーが流行。 |- |1955年頃 |ニューヨークなどでエスプレッソ・コーヒーが流行。 |- |1956年 |西ヨーロッパのコーヒー消費量が第二次大戦前を上回る。 |- |1960年 |ブラジル、パラナ州のコーヒー生産量ががサンパウロ州を越える。生産地域の南下が顕著。 |- |1962年 |第一次国際コーヒー協定(ICA)成立。 |- |1963年 |国際コーヒー機構(ICO)設立。 |- |1966年 |アルフレッド・ピーツがアメリカ・バークレーに「ピーツ・コーヒー&ティー」開業。スペシャルティコーヒーの先駆け。 |- |1969年 |UCC上島コーヒー、世界初の缶コーヒーを発売。 |- |1971年 |スターバックス、シアトルに開業 |- |1974年 |エルナ・クヌッセン、スペシャルティ・コーヒーの概念を『ティー&コーヒー・ジャーナル』誌上のインタビューで発表。 |- |1975年 |ブラジル大霜害。 |- |1976年 |ブラジル霜害の影響でICOが輸出総量割当制を実施。 |- |1979年〜 |ニカラグァで「サンディニスタ」政権誕生。中米では続いてエルサルバドル、グァテマラでもゲリラの活動が活発化し、混乱の時代に。コーヒー生産も縮小傾向。 |- |1979年 |スイスのコフェックス社がスイス・ウォーター方式のカフェインレス・コーヒーを開発。 |- |1980年頃〜 |コロンビアでバリエダ・コロンビア品種導入、品質劣化へ。 |- |1982年 |アメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA)設立 |- |1983年頃~ |アメリカでのスペシャルティーコーヒーの市場が急速に拡大。 |- |1985年 |ブラジルで大旱魃。翌年にコーヒーの相場が急騰。 |- |1985年頃〜 |ブラジルのコーヒー栽培の中心が、ミナスジェライス州の高原地域(セラード)に移行。 |- |1990年頃~ |ヴェトナムでのコーヒー栽培(主に[[カネフォラ種|ロブスタ]])が本格化。生産量が急速に拡大し2003年には世界第2位の生産国に。 |- |1986年 |ハワード・シュルツ、スターバックス社から独立し、エスプレッソ・バー「イル・ジョルナーレ」を開業。 |- |1987年 |ハワード・シュルツ、スターバックスの商標を買収し、コーヒーチェーン展開を開始。 |- |1995年 |SCAA、コーヒーフレーバーホイールを作成・発表。 |- |1997年頃〜 |コーヒー生産におけるサスティナビリティ運動(認証コーヒー)が盛んに。 |- |1997年 |オークションシステムによるカップ・オブ・エクセレンスのプロジェクト始まる。1999年に現行の方式に。 |- !21世紀 !<コーヒー全般> <カフェ> <栽培・生産> <技術・器具> <エピソード> |- |2000年 |ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ始まる |- |2001年 |現行の国際コーヒー協定発効。 |- |2001年 |パナマ・オークションでゲイシャ種が最高値を更新。 |- |2002年 |[[ジェイムズ・フリーマン]]、「ブルー・ボトル」開業。アメリカでサードウェーブのコーヒー流行。 |- |2005年頃〜 |パカマラ、ジャバ等のコーヒーの新品種の導入が盛んになる。 |- |同 |中米を中心に新タイプのナチュラル、ハニー(パルプド・ナチュラル)など新たな精製法の研究・開発が進む。 |- |2010年頃〜 |ラオス、タイ、ミャンマーなどアジア諸国でコーヒー栽培が盛んになる。 |}
コーヒー歴史年表
に戻る。