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=='''ドゥニ・ディドロ''' Denis Didrot== 生没年1713年〜1784年。啓蒙主義の時代を代表する知識人のひとり。小説・劇作家、哲学者、美術・文学批評など幅広いジャンルで活動し、多数の著作を残したが、特に『百科全書』編纂の中心人物として名高い。 啓蒙思想家としてロシアのエカテリーナ二世、プロシアのフリードリッヒ二世と交流をもち、資金援助の返礼としてロシア宮廷を訪れている。 ディドロとカフェ ディドロは、「カフェ・プロコープ」、「カフェ・ド・ラ・レジャンス」の常連で、特にその対話小説『ラモーの甥』は「レジャンス」を舞台としている。 『ラモーの甥Le Neveu de Rameau』 『ラモーの甥Le Neveu de Rameau} 1761年頃に書かれたとされる。「カフェ・ド・ラ・レジャンス」を舞台にした異色の対話小説。大音楽家ラモー(ジャン=フィリップ・ラモーJean-pilippe Rameau)の甥(彼:ジャン=フランソワ・ラモーJean-François Rameau)とディドロ(私)との対話を中心に構成された一種の社会・芸術風刺文学。 ディドロの生前は発表されず、写稿を手に入れたゲーテのドイツ語訳(1805年刊)によって初めて世に知られることになった。 『ラモーの甥』は、「ド・ラ・レジャンス」のシーンで始まっている。 「晴れていようと、空がぐずついていようと、夕方5時になるとパレ・ロワイヤルを散策する、それが私の日課だ。いつもただ一人、ダルジャンソンのベンチにぼんやりと腰を掛けている男の姿をみかけたら、それは私だ。私は政治について、愛について、趣味について、あるいは哲学について、自分を相手にひとり会話する。・・・あまりに寒かったり、ひどく雨が降っていたりしたら、私はカフェ・ド・ラ・レジャンスに逃げ込む。そこでチェスを指すのを眺めて楽しむ。パリが世界の中で、そしてカフェ・ド・ラ・レジャンスこそパリで最高のチェスの舞台だ。このレーRey(訳註:レジャンスの3代目店主)の店では、深読みのレガルLégal、才知に溢れたフィリドール、堅実なマイヨMayotらが手合わせをする。そこでは驚愕の一手を繰り出しされるのを目にすることもあれば、最も下劣な言葉を耳にすることもある。レガルのごとく機知に溢れたチェスの名人もいれば、フベールFoubertやマイヨMayotのようにチェスは上手いが、愚かな者たちもいるからだ。・・・」 このあと、ラモーの甥との対話は、社会、政治、哲学、音楽、劇・オペラ、人物評など多彩な話題を取り上げるが、コーヒーやカフェ関係の記述は冒頭のシーン以外は登場しない。(山内秀文)
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