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*コラム①:ビーダーマイヤー時代のウィーンのカフェ
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=='''[コラム] ビーダーマイヤー時代のウィーンのカフェ'''== 王政復古政治を推進するメッテルニヒ体制により民衆への圧迫が続くこの時代では、特定の場所での頻繁な会合も警察にマークされた。会合場所になるカフェや居酒屋も、当然のことながら当局が目をつけた。カフェには人々が集ってはいるが、政治的な議論をはじめ刺激的な会話は少なく、新聞も政治に控えめなものだけになり、賑わいや快活さもなくなっていった。 この時代を代表するカフェを紹介する。 '''「カフェ・白銀館 das silbernes Kaffeehaus 」''': イグナーツ・ノイナー Ignaz Neunerが1800年ごろ開業したカフェ。1824年ノイナーは突如店を豪華に改造し、食器からドアノブなどのすべてを銀製品に変更した。言論統制・王政復古の影響で、作家をはじめ文化人には生きにくい世の中ではあったが、「黄金の自由」がない分「銀の館」で満足しようと「カフェ白銀館」には多くの著名人が訪問して、この時代を代表する文学カフェとなった。 1846年二代目店主ノイナーの死後、文化人・芸術家は徐々に「カフェ・白銀館」から離散して、1848年ビーダーマイヤー時代の終焉とともにこの時代を代表した文学カフェも1855年に閉店した。(詳細はリンク先「カフェ・白銀館」を参照) ''' 「カフェ・フーゲルマン Cafe Hugelmann」:''' 市の北部、ドナウ運河に架かるシュラーク橋(現在のシュヴェーデン橋)のたもとのレオポルトシュタット Leopoldstadt地区にあった2軒のカフェを1764年フランツ・フーゲルマン Franz Hugelmannが譲り受け、1軒の大型豪華カフェに大改装をした。一階に大きなビリヤードホールがあり、ニコラウス・レーナウ Nikolaus Lenau、フェルディナント・ライムント Ferdinand Raimund、エドゥアルト・フォン・バイエルンフェルト Eduard von Bauernfeldらの文化人・芸術家が玉突きに興じており、「ビリヤード大学」の異名でも呼ばれたていた。 '''「カフェ・ワーグナー Cafe Wagner」:''' 「カフェ・フーゲルマン」の向かいに、イグナーツ・ワーグナー Ignaz Wagnerが開業した宮殿のような大型の豪華カフェ。作家のフェルディナント・ライムントはこのカフェの娘「トニー」に恋をするが、貧乏作家に娘はやれぬと父親に反対され、この恋は実らなかったという。 '''「カフェ・ライベンフロスト Café Lambenfurost」:''' 「カフェ・白銀館」の隣にあった芸術家が集うカフェで、俳優フリードリヒ・ミッターヴァルツァー Friedrich Mitterwurzer、画家のヨーゼフ・ダンハウザー Josef Franz Danhauser、同アウグスト・フォン・ペッテンコーフェン August von Pettenkofenらが常連であった。 (小村嘉人) '''参照文献:''' ・菊盛英夫 『文学カフェ』中公新書,1980年 ・平田達治 『ウィーンのカフェ』大修館書店,1996年 ・クラウス・ティーレ=ドールマン 『ヨーロッパのカフェ文化』平田達治・友田和秀訳 大修館書店,2000年
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