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*コラム:フランスのコーヒーへの関心の高まり。
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'''フランスでのコーヒーの紹介者たち''' フランスでコーヒーへの関心が高まったのはイタリア、イギリスに少し遅れて17世紀の半ばからである。17世紀に入るとフランスはオスマン・トルコにたびたび使節を派遣して外交、通商関係を深めた。そのため商人、学者が頻繁にトルコ、中近東、アラビアを訪れ、フランスに情報と商品をもたらした。 <br/> このような流れの中で、ジャン=バティスト・タヴェルニエ、[[ピエール・ド・ラ・ローク]]、ジャン・ド・テヴノーなどがイスラム世界の「黒い水」コーヒーについて言及し、あるいはコーヒー豆や器具をもたらし、しだいにコーヒーの飲用も広まっていった。 '''コーヒー飲用の始まりはマルセイユから''' フランスで最も早くコーヒーが広まったのは、地中海貿易の中心地だったマルセイユで、1644年にピエール・ド・ラ・ロークがトルコからコーヒー豆と抽出器具を持ち帰り、友人に振る舞ったという。 <br/> まず交易商人たちがコーヒーを飲み始め、アンリ・ヴェルテルによれば「1660年頃には、コーヒーはマルセイユの人々の間に広まり、このアラビアの新しい飲み物の需要が増していったため、薬剤商たちがエジプトから定期的に輸入し始めた」。そして1671年にはマルセイユにフランス最初のカフェが開業している。 <br/> コーヒーの飲用が社会に広がると、このイスラムの飲み物に対しての反対運動も起こってくる。1679年にはマルセイユでコーヒー有害説をマルセイユ大学の学生が論文として公開し、論争が巻き起こった。ただ、この後もコーヒーの健康問題についてはたびたび議論されることになるが、コーヒーのフランス社会への広がりの妨げにはならなかった。 一方、イスラム社会で問題となったコーヒーを巡る宗教論争はフランスではほとんど起こっていない。マルセイユに次いで交易都市リヨンでも商人を中心にコーヒーが飲まれるようになった。 '''コーヒー、パリへ''' <br/> パリではマルセイユ、リヨンに遅れて1657年に[[ジャン・ド・テヴノー]]がエジプトからコーヒーを持ち帰って友人たち(主にオリエント学者)に振る舞ったのが、最初のコーヒー飲用の記録とされている。この友人仲間には宰相ジュール・マザランも含まれ、彼はイタリアからコーヒーを淹れるためのサーヴィス係を呼び寄せコーヒーを嗜んだという。ただこの頃はまだコーヒーの飲用・知識はごく一部の知識人に限られていた。 <br/> コーヒーがパリの上流階級の間に一気に広まるきっかけとなったのは、1669年のオスマン・トルコの使節[[ソリマン・アガ]]のルイ十四世の宮廷への来訪である。フランスとの外交交渉はソリマン・アガの不遜な態度がルイ一四世の不興を買ってうまく運ばなかったが、ソリマン・アガはパリ滞在中、貴族たちを館に招いてトルコ風の華麗なコーヒー・セレモニーを行い、パリの上流階級の評判をとった。これにより上流階級の間で一気にコーヒーへの関心が高まった。 <br/> そして、1672年にアルメニア人[[パスカル]]がサン=ジェルマンの定期市で露天のカフェを開き、次第にコーヒーがパリの社会に浸透していった。 '''参照文献''': **岩切正介「ブルボン王朝下のカフェ−ルイ14世の時代」1991、横浜国立大学情報リポジトリ **ウイリアム・H・ユーカーズ『オール・アバウト・コーヒーAll About Coffee』山内秀文抄訳 角川ソフィア文庫
*コラム:フランスのコーヒーへの関心の高まり。
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