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15世紀半ば
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15世紀半ば:モカ ←タイトル:15世紀<s>末</s>半ば(末を削除) 「この頃モカの東、イエメンの山中でコーヒーの栽培始まる?[コラム]いつコーヒーの商業的栽培が始まったのか?」 モカMohka, Mocha[英], Moka[仏]: イエメンの紅海南端部に位置するかつてのコーヒー積出港。東側の山岳地帯のコーヒー栽培を背景に15世紀半ばから盛えて15〜18世紀初頭までコーヒー取引をほぼ独占した。18世紀半ば、ペストの流行によって打撃をうけ、またジャワ(オランダ)、ハイチ(フランス)などにコーヒー市場を奪われたため、次第にモカは衰退した。現在はイエメンの主要コーヒー輸出港はアデンやホデイダである。 古くからイエメン産のコーヒーは「モカ」名で取引されたが、現在はエチオピア産のコーヒーも「モカ」の呼称を使用している。かつて日本ではイエメン産のコーヒーは「モカ・マタリ」名で流通することが多かったが、厳密にはバニー・マタル地方産(首都サナア西方の地域。最高の品質とされる)のコーヒー名である。 ヨーロッパ諸国で「モカ」の名はコーヒーの代名詞ともなり、フランスではコーヒー風味の菓子・料理にはモカの名を加えることが多い(ガトー・モカ、クレーム・ド・モカ等)。 直台式(直火式)エスプレッソは「モカmoka」あるいは「モカ・ポットmoka pot」と呼ばれる。 また、シェイク・オマルのコーヒー発見伝説の舞台の一つともなっている。 コーヒー関連の文献では、英語はmocha、moka、フランス語はmokaと表記されることが多い。 参照 →Wikipedia:Mohka(日本語、English, Français) →Willam.H.Ukers 『ALL ABOUT COFFEE』(抄訳。角川ソフィア文庫) → Larousse Gastronomique 1984年版 イエメンYemen[英]:イエメン共和国。首都サナア。アラビア半島南西部に位置する地域。古代から交易・農耕で繁栄し、この地は古代ローマでは「幸福な(豊穣な)アラビアArabia Felix」として知られていた。 イエメンは15世紀半ばに遡る現在のコーヒー飲用文化のルーツであり、また同じくコーヒーの商業的栽培が始まったのもイエメンの西部の山岳地帯とされ、コーヒーにとって特別な意味を持つ地である。 現在でもサナア北西部からタイズにいたる紅海に沿って連なる山岳地域でコーヒーを産出し、イエメン・モカとして知られる。主な生産地域はバニー・マタルBani Matar(取引名モカ・マタリ)、サナアSanaa(サナア周辺)、ハラズHaraz、ヤッフェYaffey、シャーキSharkiなど。ほとんどは伝統的な自然乾燥式のコーヒー。他のコーヒー生産国と異なり、ほとんどの生産地域で他の作物との混作が行われている。 現在、イエメンでは内戦が続き、コーヒーの生産・流通にも大きな影響が見られる。 参照 →Willam.H.Ukers ALL ABOUT COFFEE(抄訳。角川ソフィア文庫) →『世界のコーヒー生産国』(社団法人全日本コーヒー協会編) '''[コラム]'''いつコーヒーの商業的栽培が始まったのか? 換金作物としてコーヒーの栽培が始まった時期を特定するのは難しい。コーヒーノキがエチオピア高原からイエメンに持ち込まれたのは明らかだが、コーヒー飲用の始まりを記したアブダル・カディールの書にはコーヒーの栽培ついては触れられていない。 しかし、アブダル・カディールの書に、ジェマレディンが15世紀半ばにアデンにコーヒーを伝えた経緯を記したのち、「まずカートがアデンに広まり、・・・たまたまカートが不足していた時期に、ジェマレディンは彼の元に集まり弟子となった者たちに、同様に眠気を払う効果があるブンから作った飲み物(コーヒー)を試してみるように勧め、この時からコーヒーが広まり続けた。」との記述がある。カートはおそらくコーヒーに先行してイエメンで栽培されていた。なおカートにはコーヒーと同じように覚醒作用があり、生育条件はコーヒーとほぼ同じである。 コーヒー飲用の慣習が15世紀半ばからイエメン南部に広まったことから、 ・コーヒー導入当初はエチオピアからコーヒーの実(半ば自生か)を移送。 ・拡大する需要に対応してイエメン南部の山岳地域(アデンの北)でコーヒーの商業的栽 培を始める。 ・次第にイエメンの山岳地帯全域にコーヒー栽培が拡大。この間にカートの栽培をコーヒ ーに切り替えていった可能性が高い。 このような経緯で、イエメンでのコーヒー栽培が広がっていったと推察される。 なお、近年イエメンでカートの需要が増え、コーヒー栽培がカートに侵食されているという逆の状況になっている。 参照 →シルヴェストル・ド・サシーSilvestre de Sacy『アラブ文選Chrestomathie arabe』 より、アブダル・カディールAbd-alkader著『コーヒーの飲用の合法性についての最も強 力な証左les Preuves les plus fortes en faveur de la légitimité de l'usage du Café』第1部。
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