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	<title>＊コラム：ロゼのコーヒーハウス開業の経緯 - 版の履歴</title>
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		<title>Komura: ページの作成:「== [コラム]　ロゼのコーヒーハウス開業の経緯 ==   　ロンドン在住のレヴァント交易商人のダニエル・エドワーズ Daniel Edwards は、オスマン・トルコのエーゲ海に面する古都スミルナ Smirna（現在のトルコ共和国第３の都市イズミル Izumir ）に1646年から5年間滞在をしてウール地や絹を中心とした交易取引をしていた。エドワーズの生家ダニエル家はロン…」</title>
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		<updated>2026-05-28T15:52:29Z</updated>

		<summary type="html">&lt;p&gt;ページの作成:「== [コラム]　ロゼのコーヒーハウス開業の経緯 ==   　ロンドン在住のレヴァント交易商人のダニエル・エドワーズ Daniel Edwards は、オスマン・トルコのエーゲ海に面する古都スミルナ Smirna（現在のトルコ共和国第３の都市イズミル Izumir ）に1646年から5年間滞在をしてウール地や絹を中心とした交易取引をしていた。エドワーズの生家ダニエル家はロン…」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;== [コラム]　ロゼのコーヒーハウス開業の経緯 == &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ロンドン在住のレヴァント交易商人のダニエル・エドワーズ Daniel Edwards は、オスマン・トルコのエーゲ海に面する古都スミルナ Smirna（現在のトルコ共和国第３の都市イズミル Izumir ）に1646年から5年間滞在をしてウール地や絹を中心とした交易取引をしていた。エドワーズの生家ダニエル家はロンドンで有力な商家であった。当時のスミルナには数十件のコーヒーハウス Cave- Houseがあり、エドワーズもコーヒーやコーヒーハウスにはなじみがあったといえる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　エドワーズはロンドンに帰還する際に、一人のアルメニア人（ギリシア人ともいわれている）パスカ・ロゼ  Pasuqua Rosée を連れてきた。ロゼは17世紀はじめアドリア海沿岸ダルマティア Dalmacija 地方のラグーザ Ragusa （現在のクロアチア共和国ドゥブロヴニク Dubrovnik ）生まれで、1650年頃にはスミルナに住んでいた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ロンドンでエドワーズの使用人となったロゼの仕事の一つが、エドワーズにコーヒーを淹れることであった。すでにコーヒー飲用の習慣があったエドワーズは、一日に２～３回ほど、一回に２～３杯のコーヒーを飲んでいたといわれている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ロゼが淹れるコーヒーは、商売でエドワーズの屋敷を訪れる商人たちに評判となり、コーヒー目当ての訪問客も増えてきた。来客が多く仕事に支障が出てきたエドワーズは、ロゼにコーヒーハウスを開業するように促した。実際はエドワーズがコーヒーハウスを開業したかったと思われるが、エドワーズが所属しているレヴァント会社（1581年にイギリスのオスマン帝国との貿易独占を認められた特許会社で、交易商人たちの組合のようなもの。）の規約により、コーヒー豆の卸売りはできるが、コーヒーハウスの営業はできなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1652年にロゼはコーヒーハウス（小屋）を開業した。実際はエドワーズが実質的経営者で、ロゼは雇われ店主であったと推測される。場所はコーンヒル Cornhill のセント・マイケルSt.Michael 教会の真向かいか敷地内といわれている。（近年の研究では、コーヒーハウスは教会の中庭にあり、建物ではなくあばら家のようなものであったといわれている。教会の中庭にはほかにいくつかのあばら家の商店があったらしい。） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　コーヒー小屋を開業したロゼは、『コーヒーの効用 The Vertue of the COFFEE  Drink 』というチラシ（パスカ・ロゼの項の画像を参照）を作った。コーヒーの淹れ方、コーヒーの薬としての効用が詳しく書かれているこのチラシは、コーヒー豆を買いに来た客に配られたとされており、コーヒーハウスでは、飲用のコーヒーを提供するほかにビーンズショップとしての機能もあったと推測される。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ロゼのコーヒー小屋は有名になり徐々に客足が増えてきたが、客を奪われた近隣のタヴァーン（居酒屋）やエールハウスの店主たちは、「ロゼは外国人でロンドン市民ではないので、店の営業をする資格がない。」という苦情を市に提出した。それに対し、エドワーズは義父のホッジス Alderman Hodges の使用人（ホッジスの従弟との説もある）ボウマン Christopher Bowman を店主にして、ロゼと共同で店を続けさせた。因みにホッジスもロンドンで有力なレヴァント商人で、エドワーズはオスマン・トルコから帰国した後にホッジスの娘メアリー Mary と結婚している。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ファイル:St Michael&amp;#039;s Alley (49634098776) (Cropped).jpg|サムネイル|330x330ピクセル|「ロンドンで最初のコーヒーハウス」のプレート　　　　　　　　　Wikipedea：Coffee House（英語版）より]]&lt;br /&gt;
　1656年ロゼとボウマンの共同経営となったコーヒー小屋は、教会の向かいの建物に移転をし、ようやくコーヒーハウスとしての店舗になった。この移転や賃貸のことは教会の事業記録に残されている。また、この場所は現在ジャマイカ・ワインハウス Jamaica Wine House が営業しており、「ロンドン最初のコーヒーハウスがあった場所」というプレートが設置されている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1658年にロゼは店を去った。国外に退去させられた説があるが不明である。また、後年ドイツまたはオランダでコーヒーハウスを営んだという説もあるが憶測の域を出ない。ロゼが開いたコーヒーハウスはボウマンの単独経営となった。1662年ボウマンが肺病で急死した後は、未亡人のメアリーが店を引き継いだが、1666年の大火で店は焼失した。大火後の都市開発でコーヒーハウスがあった建物は再建されたが、コーヒーハウスは再開していない。パスカ・ロゼの消息も不明である。　　　　　　　　　　　　　（小村嘉人）  &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参照文献：&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・William H. Ukers  &amp;#039;&amp;#039;“ALL ABOUT COFFEE  Second Edition”　&amp;#039;&amp;#039;1935年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・小林章夫　『コーヒー・ハウス』　駸々堂　1984年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・岩切正介　『男たちの仕事場　近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版 2009年&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Komura</name></author>
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