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「バトンズ」の版間の差分

提供:コーヒー歴史年表
ページの作成:「== '''バトンズ・コーヒーハウス'''Button’s Coffee House == 1712年頃~1851年頃  ダニエル・バトン Daniel Buttonがコヴェントガーデンのラッセル通りで開業。 この店の開業にはジョゼフ・アディソンがかかわっていたという。アディソンと彼の友人たちは、当時文学カフェとして人気のあった「ウィルズ」から「バトンズ」に移り、ほかに「タトラー…」
 
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わずか40年ほど(最盛期は10年ほど)の短命なコーヒーハウスであったが、「バトンズ」がジャーナリズムやエッセイ文学の成立に果足した役割は大きい。 (小村嘉人)
わずか40年ほど(最盛期は10年ほど)の短命なコーヒーハウスであったが、「バトンズ」がジャーナリズムやエッセイ文学の成立に果足した役割は大きい。 (小村嘉人)
  「ライオンの頭の投書箱」
 Wikipedia Button’s Coffee House
                         (英語版)   より
 


'''参照文献:'''
'''参照文献:'''

2025年1月23日 (木) 19:17時点における版

バトンズ・コーヒーハウスButton’s Coffee House

1712年頃~1851年頃  ダニエル・バトン Daniel Buttonがコヴェントガーデンのラッセル通りで開業。

この店の開業にはジョゼフ・アディソンがかかわっていたという。アディソンと彼の友人たちは、当時文学カフェとして人気のあった「ウィルズ」から「バトンズ」に移り、ほかに「タトラー」「スペクテイター」で関わりのあったリチャード・スティールやジョナサン・スウィフトも加わった。さらに風刺家で博学者のジョン・アーバースノット、詩人のアレクサンダー・ポープらも「バトンズ」の常連となり、18世紀前半のロンドンを代表する文学カフェのひとつになった。

「バトンズ」には巷の情報を集めるための「頭がライオンの形をした投書箱(現在はロンドン郊外のウォーバーン修道院Woburn Abbey で保管・展示されている)」が設置されていて、「スペクテイター」や「ガーディアン」の記事の執筆に役立った。アディソンの死後1720年代になると「バトンズ」の文学的雰囲気は失われ、18世紀中ごろには閉店した。

わずか40年ほど(最盛期は10年ほど)の短命なコーヒーハウスであったが、「バトンズ」がジャーナリズムやエッセイ文学の成立に果足した役割は大きい。 (小村嘉人)

参照文献:

・菊盛英夫 『文学カフェ』 中公新書 1980年

・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年

・Wikipedia Button’s Coffee House  (英語版)