「*コラム:女性のコーヒーハウスへの反感」の版間の差分
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Hide Yamauchi (トーク | 投稿記録) ページの作成:「*コラム:コーヒーハウスへの女性の反感 '''初期のコーヒーハウス''' 17世紀中ごろにロンドンで急激に数を増やしていったコーヒーハウスは、酒類は出さないが、様々な人が出入りするために厄介なことが起きる可能性があった。しかし、コーヒーハウスの中には、ケンカや宗教問題の論議、またサイコロやカードの賭博を禁止する店もあ…」 |
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=='''*コラム:コーヒーハウスへの女性の反感'''== | |||
==== '''初期のコーヒーハウス''' ==== | |||
17世紀中ごろにロンドンで急激に数を増やしていったコーヒーハウスは、酒類は出さないが、様々な人が出入りするために厄介なことが起きる可能性があった。しかし、コーヒーハウスの中には、ケンカや宗教問題の論議、またサイコロやカードの賭博を禁止する店もあり、多少のトラブルはあったがおおむね秩序は保たれていた。だが、この時期のコーヒーハウスには女性の立ち入りが許されなかった。なぜ女性の立ち入りが許されなかったのか、その理由は明瞭ではないが、明らかに女性差別であり、反面、男性にとっては格好の逃げ場になっていた。 | 17世紀中ごろにロンドンで急激に数を増やしていったコーヒーハウスは、酒類は出さないが、様々な人が出入りするために厄介なことが起きる可能性があった。しかし、コーヒーハウスの中には、ケンカや宗教問題の論議、またサイコロやカードの賭博を禁止する店もあり、多少のトラブルはあったがおおむね秩序は保たれていた。だが、この時期のコーヒーハウスには女性の立ち入りが許されなかった。なぜ女性の立ち入りが許されなかったのか、その理由は明瞭ではないが、明らかに女性差別であり、反面、男性にとっては格好の逃げ場になっていた。 | ||
==== '''女性たちのコーヒー反対請願''' ==== | |||
コーヒーハウスに入りびたり、家に寄り付かない夫に対しての女性たちの不満や、コーヒーおよびコーヒーハウスに対しての反感は、ロンドンにコーヒーハウスが誕生したばかりの時から繰り返し問題視されてきた。その中で代表的なものが、1674年に提出された「女性たちのコーヒー反対請願」で、その内容は次のとおりである。 | コーヒーハウスに入りびたり、家に寄り付かない夫に対しての女性たちの不満や、コーヒーおよびコーヒーハウスに対しての反感は、ロンドンにコーヒーハウスが誕生したばかりの時から繰り返し問題視されてきた。その中で代表的なものが、1674年に提出された「女性たちのコーヒー反対請願」で、その内容は次のとおりである。 | ||
* 男性がコーヒーハウスに入りびたり自分たちを構ってくれないこと。 | |||
* 男性が過度にコーヒーを飲むことで性能力が衰え、女性の被害は無視できない。 | |||
* 国として何か対策をし、速やかにコーヒーハウスを閉鎖してほしい。 | |||
* 宛先は「性の自由を護って下さる護国卿閣下」へとなっている。 | |||
この女性からの請願に対し、さっそく「女性によるコーヒー反対請願への男性の解答」という匿名のリーフフレットが出回った。男性は女性たちに十分に献身をしていて、コーヒーは男性の能力を高める飲み物である。またコーヒーハウスは有用の施設であることが記されていた。 | この女性からの請願に対し、さっそく「女性によるコーヒー反対請願への男性の解答」という匿名のリーフフレットが出回った。男性は女性たちに十分に献身をしていて、コーヒーは男性の能力を高める飲み物である。またコーヒーハウスは有用の施設であることが記されていた。 | ||
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結局この論争は決着を見ることはなかったが、この請願は後の政府のコーヒーハウス取り締まり強化の根拠になったと考えられる。 (小村嘉人) | 結局この論争は決着を見ることはなかったが、この請願は後の政府のコーヒーハウス取り締まり強化の根拠になったと考えられる。 (小村嘉人) | ||
==== '''参照文献:''' ==== | |||
* 小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年 | |||
* 岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年 | |||
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2025年2月25日 (火) 20:25時点における最新版
*コラム:コーヒーハウスへの女性の反感
初期のコーヒーハウス
17世紀中ごろにロンドンで急激に数を増やしていったコーヒーハウスは、酒類は出さないが、様々な人が出入りするために厄介なことが起きる可能性があった。しかし、コーヒーハウスの中には、ケンカや宗教問題の論議、またサイコロやカードの賭博を禁止する店もあり、多少のトラブルはあったがおおむね秩序は保たれていた。だが、この時期のコーヒーハウスには女性の立ち入りが許されなかった。なぜ女性の立ち入りが許されなかったのか、その理由は明瞭ではないが、明らかに女性差別であり、反面、男性にとっては格好の逃げ場になっていた。
女性たちのコーヒー反対請願
コーヒーハウスに入りびたり、家に寄り付かない夫に対しての女性たちの不満や、コーヒーおよびコーヒーハウスに対しての反感は、ロンドンにコーヒーハウスが誕生したばかりの時から繰り返し問題視されてきた。その中で代表的なものが、1674年に提出された「女性たちのコーヒー反対請願」で、その内容は次のとおりである。
- 男性がコーヒーハウスに入りびたり自分たちを構ってくれないこと。
- 男性が過度にコーヒーを飲むことで性能力が衰え、女性の被害は無視できない。
- 国として何か対策をし、速やかにコーヒーハウスを閉鎖してほしい。
- 宛先は「性の自由を護って下さる護国卿閣下」へとなっている。
この女性からの請願に対し、さっそく「女性によるコーヒー反対請願への男性の解答」という匿名のリーフフレットが出回った。男性は女性たちに十分に献身をしていて、コーヒーは男性の能力を高める飲み物である。またコーヒーハウスは有用の施設であることが記されていた。
結局この論争は決着を見ることはなかったが、この請願は後の政府のコーヒーハウス取り締まり強化の根拠になったと考えられる。 (小村嘉人)
参照文献:
- 小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年
- 岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年