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1714年にオランダからコーヒーの木を手に入れたフランスは、翌年、植民地のサン=ドマング(現在のハイチ)に苗木を持ち込み、栽培を始めました。ハイチではすでにサトウキビやココアの栽培が軌道に乗っていましたが、カカオ農園での大虫害や1725年の巨大ハリケーンにより、コーヒーやカカオの栽培に大きな被害を受けました。その後、マルチニーク島より強健なコーヒーの木が持ち込まれコーヒー栽培が盛んになりました。モカやジャワからの航路に比べ有利であったこともあり、1750年には世界の生産量の半分を占める世界最大の生産地となりました。
1804年にハイチ革命が起こり、フランスから独立を果たしたものの、経済は低迷し、コーヒーの栽培も衰えていった。
参考:
- 『珈琲の世界史』 旦部幸博著 2017年 講談社
- Wikipedia