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「*コラム:ボストンの初期のコーヒーハウス」の版間の差分

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'''「ロンドン・コーヒーハウス''' London Coffee House'''」'''
'''「ロンドン・コーヒーハウス''' London Coffee House'''」'''


ボストン最初のコーヒーハウスといわれている。詳細は不明だが、1854年の文献に1689
ボストン最初のコーヒーハウスといわれている。詳細は不明だが、1854年の文献に1689年にここでの書籍販売の記録がある。


年にここでの書籍販売の記録がある。





2025年4月26日 (土) 02:13時点における最新版

ニューイングランド地方(イギリスの植民地時代のニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネチカットの四つの植民地)はバージニア植民地とともにアメリカ合衆国のなかで最も古い歴史を持つ地域である。この地域にコーヒーがもたらされたのは、おそらく1660年から1670年頃の間に、入植者のひとりが家庭用として持ち込んだか、またはイギリス人将校が伝えたとされている。当初コーヒーはワイン、紅茶ほど植民地の人々に普及はしなかったが、他の地域同様、インinnやタヴァーンtavern(それぞれ宿屋、居酒屋と訳される場合が多いが意味合いは多少異なる)で飲み物の一つとして提供されていた。


コーヒーハウスという名称がニューイングランド地方で使われるようになるのは17世紀末になってからだが、それ以前からインやタヴァーンが存在してコーヒーが提供されていた。さらに17世紀後半には多くのタヴァーンが誕生したが、イギリスと同様にコーヒーハウスとイン、タヴァーンとの区分があいまいであった。


ニューイングランド地方の中心は、マサチューセッツ植民地のボストンであり、最初のコーヒーハウスはここで開業した。17世紀後半に開業したタヴァーンの多くもボストンにあり、さらに、18世紀になって開業したインにはコーヒーハウスの名称がつけられた。この地方におけるコーヒーハウスの歴史はイン、タヴァーンの歴史と織り交ざっていて、次の項目の歴史に名が残るボストンのコーヒーハウスを紹介するのに、インやタヴァーンをも含めた。


サミュエル・コール Samuel Coleが建てたイン

ワシントン通り Washington St.にあり、ボストンでもっとも古くから知られていたイン。


レッド・ライオンRed Lyon」

クエーカー教徒のニコラス・アップシャル Nicholas Upshallが1637年に開業したイン。


シップ Ship tavern」

1650年開業のタヴァーン。波止場近くにあり、イギリス政府役人のたまり場。


ブルー・アンカー Blue Anchor」

1664年ロバート・ターナー Robert Turnerが開業したイン兼タヴァーン。政府関係者、役人、学者、聖職者が常連であった。


インディアン・クイーン Indian Queen」

1673年ごろにナサニエル・ビショップ Nathaniel Bishopが開業。イギリス人将校贔屓の場所で、後の1818年頃に「ワシントン・コーヒーハウス Washington Coffeehouseと改名し駅馬車の始発駅となった。


「ロンドン・コーヒーハウス London Coffee House

ボストン最初のコーヒーハウスといわれている。詳細は不明だが、1854年の文献に1689年にここでの書籍販売の記録がある。


サン  Sun tavern」

1690年開業のタヴァーンで、1902年にも営業していた記録がある。


「ガターリッジ・コーヒーハウス Gutteridge Coffee House

キング通り King St.(現在のステート通り State St.)の北側で、店主はロバート・ガターリッジ Robert Guttridgeで1691年にインの営業免許を取得した。


「ブリティッシュ・コーヒーハウス British Coffee House

開業年は不明だが、現在のステート通り State St.にあり、イギリス支持派の人々の集会場であった。独立戦争のころに店名を「アメリカン・コーヒーハウス American Coffee Houseに変えた。


「キングス・ヘッド King’s Head

1691年開業で、イギリス国王の将官や植民地社会の上流階級の人々が集まった。

          「グリーン・ドラゴン」の全景              『ALL ABOUT COFFEE Second Edition』より

「グリーン・ドラゴン Green Dragon

ボストン中心部のユニオン通り Union St.(当時はグリーンゴラゴン通り Green Dragon Lane)で1697年から1832年まで営業したイン・タヴァーン兼コーヒーハウス。ボストンの歴史上重要な出来事に多く関わりを持った場で、国王の将官や貴族も訪れていたが、徐々に愛国的な植民地住民の集会場となり、「ブリティッシュ・コーヒーハウス」の客といがみ合いが続いた。ボストン茶会事件が計画された場であり、独立戦争の本部であったともいわれている。


「バンチ・オブ・グレープス Bunch of Grapes

17世紀後半から18世紀にかけてキング通り King St.(現在のステート通り State St.)にあったタヴァーン。初期には奴隷売買に関係する店であったが、後に政治談議をする場に、さらに自由を求める住民の集会場になった。


クラウン Crown Coffee House」

1711年開業のステート通り State St.にあった、奴隷取引や競売にも使われたコーヒーハウス兼イン。1780年に焼失。


ロイヤル・エクスチェンジ Royal Exchange」

1711年の記録に登場した、ステート通り State St.にあった古い二階建てのコーヒーハウス。


ノースエンド・コーヒーハウス North-End Coffee House」

1740年頃に建てられたレンガ造り三階建てで、18世紀後半にはボストン最高級のコーヒーハウスという評判であった。

「エクスチェンジ・コーヒーハウス」全景 『ALL ABOUT COFFEE Second Edition』より

「エクスチェンジ・コーヒーハウス Exchange Coffee House

1808年or1809年にステート通り State St.近くのコングレス通り Congress St.に開業した、石材・大理石・レンガで造られた七階建てコーヒーハウス。一階は船乗りや船舶仲買人、保険業者が集まる海事情報の中心のコーヒーハウスであり、二階は集会場として当時の大統領ジェームズ・モンロー James Monroeを迎えた祝宴も催された。三階以上は200以上の宿泊室があったが、1818年に火災ですべて焼失した。

(小村嘉人)


参照文献: 


・William H Ukers 『ALL ABOUT COFFEE Second Edition』 1935年

・Wikipedia アメリカの13植民地 (英語版・日本語版)

・Wikipedia ニューイングランド (日本語版)

・Wikipedia History of New England (英語版)

・Wikipedia New England Colonies (英語版)

・Wikipedia List of former public houses and coffeehouse in Boston (英語版)

・Wikipedia Green Dragon Tavern (英語版)

・Wikipedia Bunch-of-Grapes (英語版)

・Wikipedia Exchange Coffee House, Boston (英語版)