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ガブリエル・ド・クリューによって1723年にマルティニーク島に持ち込まれたコーヒーが移植された。栽培は1720年代後半に始まり、西側のバス=テール島の高地を中心にほぼ全島に広がった。フランス革命の直前(1789年ころ)がグアドループのコーヒー生産の最盛期で、品質もマルティニーク島に次ぐ高い評価をえていた。 | |||
19世紀に入ると、マルティニークと同じようにコーヒー生産は減少傾向だったが、生産量はマルティニークを上回った。このため、グアドループ産のコーヒーはさらに評価が高い「マルティニーク」として流通することが多かったといわれる。 | 19世紀に入ると、マルティニークと同じようにコーヒー生産は減少傾向だったが、生産量はマルティニークを上回った。このため、グアドループ産のコーヒーはさらに評価が高い「マルティニーク」として流通することが多かったといわれる。 | ||
2025年10月20日 (月) 17:27時点における版
グアドループ(島) Guadeloupe(L'Île de)
カリブ海、小アンティル諸島にある島嶼。1635年からフランス領となり、現在はフランスの海外県。ドミニカ島を挟んでマルティニーク島の北西に位置し、主島グアドループ島は東西に連なる2つの島、バス=テールBasse-Terre島(西側)とグランド=テールGrande-Terre島(東側)からなる。
コーヒー栽培の歴史と現在
ガブリエル・ド・クリューによって1723年にマルティニーク島に持ち込まれたコーヒーが移植された。栽培は1720年代後半に始まり、西側のバス=テール島の高地を中心にほぼ全島に広がった。フランス革命の直前(1789年ころ)がグアドループのコーヒー生産の最盛期で、品質もマルティニーク島に次ぐ高い評価をえていた。
19世紀に入ると、マルティニークと同じようにコーヒー生産は減少傾向だったが、生産量はマルティニークを上回った。このため、グアドループ産のコーヒーはさらに評価が高い「マルティニーク」として流通することが多かったといわれる。
栽培が始まって以来、グアドループ産のコーヒーはほとんどフランスに輸出され、他国の市場で流通することは稀だったといわれている。
1885年頃さび病が持ち込まれてコーヒー栽培は大きな被害を被ったが、20世紀に入っても細々と栽培が続いたが、1970年ころコーヒー栽培は終焉した。
グアドループは、コーヒーが導入される以前に砂糖黍の栽培で繁栄していて、同島の栽培の歴史を通じてコーヒーは砂糖に注ぐ第二位の輸出商品だった。 (山内秀文)
参照文献
・ウィリアムH.ユーカーズ 『ALL ABOUT COFFEE』山内秀文抄訳 角川ソフィア文庫 2017年
・Henri Welter "L’Histoire du Café" 1868 Paris
・Wikipedia:グアドループ(フランス語)
・Gérard Lafleur:La culture du café du Guadroupe, de son introduction à sa disparition
https://www.erudit.org/fr/revues/bshg/2006-n145-bshg03147/1040672ar.pdf