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== '''マルティニーク(島) Martinique(L'île de la)''' == | |||
カリブ海、小アンティル諸島の島のひとつ。1635年からフランス領となり、現在はフランスの海外県。 | カリブ海、小アンティル諸島の島のひとつ。1635年からフランス領となり、現在はフランスの海外県。 | ||
==== コーヒー栽培の歴史 ==== | |||
1723年に[[ガブリエル・ド・クリュー]]によってコーヒーの苗木(ティピカ)がこの島に移植され、この苗木がもとになりカリブ海、さらに中南米一帯にコーヒー栽培が広がった。 | |||
18世紀末までがマルティニークのコーヒー生産の最盛期で、フランスではその品質は[[モカ]]、[[ブルボン島]](現レユニオン島)と並ぶ高い評価をえていた。コーヒー通として知られるバルザックをはじめ、19世紀のフランスのコーヒー本の多くはモカ、ブルボンとマルティニークのブレンドを推奨している。 | |||
しかし、地震やたび重なるハリケーンによって19世紀初めからコーヒー栽培は減少し、19世紀末にはコーヒー栽培はほぼ終息した。 | しかし、地震やたび重なるハリケーンによって19世紀初めからコーヒー栽培は減少し、19世紀末にはコーヒー栽培はほぼ終息した。 | ||
マルティニーク産のコーヒーの評価が高かったため、ドミニカを挟んで北方に位置する[[グアドループ]]島産のコーヒーの多くはマルティニーク産として流通していた。 | |||
19世紀半ばのマルティニークのコーヒーの品質について、「残念だが、マルティニークとグアドループのコーヒー生産量はごく少なくなった。だが、その品質は他のアメリカ産のコーヒーをはるかに上回り、最良のモカとほぼ同等である」(『コーヒーの歴史L'Histoire du Café』1868年刊)との記述がある。 | |||
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・Wikipedia:マルティニーク(日本語、フランス語) | ・Wikipedia:マルティニーク(日本語、フランス語) | ||
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2025年12月6日 (土) 21:30時点における最新版
マルティニーク(島) Martinique(L'île de la)
カリブ海、小アンティル諸島の島のひとつ。1635年からフランス領となり、現在はフランスの海外県。
コーヒー栽培の歴史
1723年にガブリエル・ド・クリューによってコーヒーの苗木(ティピカ)がこの島に移植され、この苗木がもとになりカリブ海、さらに中南米一帯にコーヒー栽培が広がった。
18世紀末までがマルティニークのコーヒー生産の最盛期で、フランスではその品質はモカ、ブルボン島(現レユニオン島)と並ぶ高い評価をえていた。コーヒー通として知られるバルザックをはじめ、19世紀のフランスのコーヒー本の多くはモカ、ブルボンとマルティニークのブレンドを推奨している。
しかし、地震やたび重なるハリケーンによって19世紀初めからコーヒー栽培は減少し、19世紀末にはコーヒー栽培はほぼ終息した。
マルティニーク産のコーヒーの評価が高かったため、ドミニカを挟んで北方に位置するグアドループ島産のコーヒーの多くはマルティニーク産として流通していた。
19世紀半ばのマルティニークのコーヒーの品質について、「残念だが、マルティニークとグアドループのコーヒー生産量はごく少なくなった。だが、その品質は他のアメリカ産のコーヒーをはるかに上回り、最良のモカとほぼ同等である」(『コーヒーの歴史L'Histoire du Café』1868年刊)との記述がある。
参照文献
・ウィリアムH.ユーカーズ 『ALL ABOUT COFFEE』山内秀文抄訳 角川ソフィア文庫 2017年
・Henri Welter "Histoire du Café" 1868 Paris
・Wikipedia:マルティニーク(日本語、フランス語)
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