「カフェ・バウアー」の版間の差分

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== '''カフェ・バウアー''' Café Bauer ==
'''カフェ・バウアー''' Café Bauer:
 
[[ファイル:カフェバウアー.jpg|300px|thumb|right|カフェ・バウアーで:レッサー・ユリィ画(1895): Wikipedia(ドイツ語版)。レッサー・ユリィより。]]
[[ファイル:カフェバウアー.jpg|300px|thumb|right|カフェ・バウアーで:レッサー・ユリィ画(1895): Wikipedia(ドイツ語版)。レッサー・ユリィより。]]


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 1910年、経営者バウアーの死後、建物は売却された。カフェはフリードリッヒシュトラーセ駅の向かいにある複合施設に移転し、バウアー婦人とその息子たちが引き続き営業したが、第二次世界大戦の激化より閉店。後に複合施設の建物もすべて破壊されてしまった。 (小村嘉人)
 1910年、経営者バウアーの死後、建物は売却された。カフェはフリードリッヒシュトラーセ駅の向かいにある複合施設に移転し、バウアー婦人とその息子たちが引き続き営業したが、第二次世界大戦の激化より閉店。後に複合施設の建物もすべて破壊されてしまった。 (小村嘉人)


'''参照文献:'''
=== '''参照文献:''' ===
 
・Renato Petras"Das Café Bauer in Berlin" 1994(ドイツ)


・Wikipedia:Café Bauer (Berlin)  (ドイツ語版)
* Renato Petras"Das Café Bauer in Berlin" 1994(ドイツ)
* Wikipedia:Café Bauer (Berlin)  (ドイツ語版)

2024年8月14日 (水) 13:29時点における最新版

カフェ・バウアー Café Bauer

カフェ・バウアーで:レッサー・ユリィ画(1895): Wikipedia(ドイツ語版)。レッサー・ユリィより。

 1875年〜1941年頃 ベルリンの繁華街ウンター・デン・リンデン大通りとフリードリッヒ通りの角に開業したウィーン風の大型カフェ。1877年開業説もある。ウィーンとベルリンのホテルカイザーホフでカフェを営んでいたマティアス・バウアーの経営で、建物は日本の明治政府にも招聘されたヴィルヘルム・ベックマンの設計による。通りを隔てた向かい側には「カフェ・クランツラー」があった。

 ベル・エポック様式の店内は豪華で、アントン・フォン・ヴェルナーらの絵画・壁画が飾られ、ビリヤードルーム、読書室も備え、新聞は800紙を揃えていたといわれている。女性用の部屋も設けられており、それまでは男性の領域であったカフェに女性が足を運べるようにもなった。1884年には、ガス灯、ろうそくで灯りをとっていた店内に電灯がともされた。画家レッサー・ユリィが出入りしていたことも有名であり、店内で描かれた多くの作品がある。また、ドイツ留学中であった森鴎外は多くのカフェに出入りをしているが、1887~88年に過ごしたベルリンでは、ここ「バウアー」にも通った記録が残されている。

 1910年、経営者バウアーの死後、建物は売却された。カフェはフリードリッヒシュトラーセ駅の向かいにある複合施設に移転し、バウアー婦人とその息子たちが引き続き営業したが、第二次世界大戦の激化より閉店。後に複合施設の建物もすべて破壊されてしまった。 (小村嘉人)

参照文献:

  • Renato Petras"Das Café Bauer in Berlin" 1994(ドイツ)
  • Wikipedia:Café Bauer (Berlin) (ドイツ語版)