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「フランス東インド会社」の版間の差分

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== フランス東インド会社 Compagnie française des Indes orientales ==
== フランス東インド会社 Compagnie française des Indes orientales ==
1664 年、財務総監ジャン=バティスト・コルベールJean-Baptiste Colbertが発案し、ルイ一四世の勅許をえて設立。
1664 年、財務総監ジャン=バティスト・コルベールJean-Baptiste Colbertが発案し、ルイ一四世の勅許をえて設立。
重商主義者コルベールがイギリス、オランダの海外進出に対抗する目的で設立し、以後数回の解散を含めた組織改変を行いながら、17、18世紀を通じてフランスの対外貿易・海外植民地政策で中心的役割を果たした。フランス革命期の1796年に解散。
重商主義者コルベールがイギリス、オランダの海外進出に対抗する目的で設立し、以後数回の解散を含めた組織改変を行いながら、17、18世紀を通じてフランスの対外貿易・海外植民地政策で中心的役割を果たした。フランス革命期の1796年に財政状況悪化のため解散。


1715年、フランス東インド会社のデュフレーヌ・ダルセル船長がコーヒーの苗木をモカからレユニオン島(現ブルボン島)への移植に成功。この島から持ち出されたコーヒーが、のちにティピカと並ぶコーヒー栽培の主要品種となるブルボンである。  (山内秀文)
1715年、フランス東インド会社のデュフレーヌ・ダルセル船長がコーヒーの苗木をモカからレユニオン島(現ブルボン島)への移植に成功。この島から持ち出されたコーヒーが、のちにティピカと並ぶコーヒー栽培の主要品種となるブルボンである。  (山内秀文)

2026年7月16日 (木) 04:40時点における最新版

フランス東インド会社 Compagnie française des Indes orientales

1664 年、財務総監ジャン=バティスト・コルベールJean-Baptiste Colbertが発案し、ルイ一四世の勅許をえて設立。 重商主義者コルベールがイギリス、オランダの海外進出に対抗する目的で設立し、以後数回の解散を含めた組織改変を行いながら、17、18世紀を通じてフランスの対外貿易・海外植民地政策で中心的役割を果たした。フランス革命期の1796年に財政状況悪化のため解散。

1715年、フランス東インド会社のデュフレーヌ・ダルセル船長がコーヒーの苗木をモカからレユニオン島(現ブルボン島)への移植に成功。この島から持ち出されたコーヒーが、のちにティピカと並ぶコーヒー栽培の主要品種となるブルボンである。 (山内秀文)

参照文献

・Wrigley, Gordon"Coffee" 1988, Essex

・wikipedia:Compagnie des Indes orientales(フランス語版)