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「ロンドン大火」の版間の差分

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== ロンドン大火 ==  
== ロンドン大火 ==  


 1666年9月2日午前1時過ぎ、ロンドン橋の北側にあるプディング通り Pudding Ln. にあるパン屋から出火し、9月5日まで4日間燃え続けた火災で、ロンドン市内の家屋や、セントポール大聖堂 St. Paul’s Cathedral を含めて多数の公共施設が焼失した。当時のイギリスはオランダと戦争中で、火元のパン屋は、海軍から注文を受けて深夜まで製造していたらしい。
 1666年9月2日午前1時過ぎ、ロンドン橋の北側にあるプディング通り Pudding Ln. にあるパン屋から出火し、9月5日まで4日間燃え続けた火災で、ロンドン市内の家屋や、セントポール大聖堂 St. Paul’s Cathedral を含めて多数の公共施設が焼失した。当時のイギリスはオランダと戦争中で、火元のパン屋は、海軍から注文を受けて深夜まで製造していたらしい。[[ファイル:The Great Fire of London, with Ludgate and Old St. Paul's.jpg|サムネイル|338x338ピクセル|セントポール大聖堂焼失                    Wikipedia:Great Fire of London より]] 強風という気象条件が災いしたとはいえ、大火になった最大の要因は、社会整備がロンドンの人口急増に追い付かなかった点にあった。密集した木造家屋や、狭い道路、消火用水の不足で満足な消火活動ができなかったが、大火による死者はわずかであった。この火災で多くのコーヒーハウスが焼失をした。
 
 強風という気象条件が災いしたとはいえ、大火になった最大の要因は、社会整備がロンドンの人口急増に追い付かなかった点にあった。密集した木造家屋や、狭い道路、消火用水の不足で満足な消火活動ができなかったが、大火による死者はわずかであった。この火災で多くのコーヒーハウスが焼失をした。


 大火後の復興は早かった。木造家屋は禁止され、レンガ造り・石造りとなり、道路の拡張や消火体制の整備が進められた。コーヒーハウスは、1670年代初めにはほとんどの店が再建され、さらに、以前ように薄暗い階段を上った二階や、階段を数段上がった高床式の店舗ではなくて、こぎれいな建物一階の路面店が増えた。コーヒーハウスをはじめ多くの商店が代用貨幣を発行したのがこの時期である。
 大火後の復興は早かった。木造家屋は禁止され、レンガ造り・石造りとなり、道路の拡張や消火体制の整備が進められた。コーヒーハウスは、1670年代初めにはほとんどの店が再建され、さらに、以前ように薄暗い階段を上った二階や、階段を数段上がった高床式の店舗ではなくて、こぎれいな建物一階の路面店が増えた。コーヒーハウスをはじめ多くの商店が代用貨幣を発行したのがこの時期である。


 新たなコーヒーハウスも増えていった。居心地の良い店が増え、商業や貿易で経済的にも精神的にも豊かになった市民の安らぎの場所になった。また17世紀後半からは、商取引が活発なコーヒーハウスや、ジャーナリズムの発達とともに、情報センターとして役割を果たすコーヒーハウスが続々と誕生した。                              (小村嘉人)
 新たなコーヒーハウスも増えていった。居心地の良い店が増え、商業や貿易で経済的にも精神的にも豊かになった市民の安らぎの場所になった。また17世紀後半からは、商取引が活発なコーヒーハウスや、ジャーナリズムの発達とともに、情報センターとして役割を果たすコーヒーハウスが続々と誕生した。                              (小村嘉人)
[[ファイル:The Great Fire of London, with Ludgate and Old St. Paul's.jpg|サムネイル|338x338ピクセル|セントポール大聖堂焼失                    Wikipedia:Great Fire of London より]]
 
 
 




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・ 小林章夫 『図説 ロンドン都市物語』 河出書房新社  1998年
・ 小林章夫 『図説 ロンドン都市物語』 河出書房新社  1998年


・ Wikipedea:Great Fire of London (英語版)
・ Wikipedia:Great Fire of London (英語版)

2026年7月29日 (水) 01:21時点における最新版

ロンドン大火

 1666年9月2日午前1時過ぎ、ロンドン橋の北側にあるプディング通り Pudding Ln. にあるパン屋から出火し、9月5日まで4日間燃え続けた火災で、ロンドン市内の家屋や、セントポール大聖堂 St. Paul’s Cathedral を含めて多数の公共施設が焼失した。当時のイギリスはオランダと戦争中で、火元のパン屋は、海軍から注文を受けて深夜まで製造していたらしい。

セントポール大聖堂焼失                    Wikipedia:Great Fire of London より

 強風という気象条件が災いしたとはいえ、大火になった最大の要因は、社会整備がロンドンの人口急増に追い付かなかった点にあった。密集した木造家屋や、狭い道路、消火用水の不足で満足な消火活動ができなかったが、大火による死者はわずかであった。この火災で多くのコーヒーハウスが焼失をした。

 大火後の復興は早かった。木造家屋は禁止され、レンガ造り・石造りとなり、道路の拡張や消火体制の整備が進められた。コーヒーハウスは、1670年代初めにはほとんどの店が再建され、さらに、以前ように薄暗い階段を上った二階や、階段を数段上がった高床式の店舗ではなくて、こぎれいな建物一階の路面店が増えた。コーヒーハウスをはじめ多くの商店が代用貨幣を発行したのがこの時期である。

 新たなコーヒーハウスも増えていった。居心地の良い店が増え、商業や貿易で経済的にも精神的にも豊かになった市民の安らぎの場所になった。また17世紀後半からは、商取引が活発なコーヒーハウスや、ジャーナリズムの発達とともに、情報センターとして役割を果たすコーヒーハウスが続々と誕生した。                              (小村嘉人)

 


参照文献:

・ 小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年

・ 小林章夫 『図説 ロンドン都市物語』 河出書房新社  1998年

・ Wikipedia:Great Fire of London (英語版)