「*コラム:「山羊飼いコーヒー発見伝説」の真実。」の版間の差分
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この逸話はファウスト・ナイロニが著書『健康に良い薬コーヒーについてDe Saluberrima potine cahue』(1671年刊)でオリエントに伝わる伝説として紹介した | |||
<br /> ナイロニ自身、「伝説」とことわっているが、流行し始めたコーヒーの起源への興味をそそる話だったためか、すぐに多くの著作に翻訳・引用されている。その後、この話がもとになって、変形を加えられながら、「山羊飼いカルディ」によるコーヒー発見の逸話として伝わった。 | |||
<br /> もともとは次のような話である | |||
<br /> 「あるラクダ飼い、一説によれば山羊飼いが、山羊あるいはラクダが夜中に目を覚ましていて飛び回っている、普段はこんなことはない、と修道院に訴えた。修道士は何かを食べたのではないかと疑い、事実を明らかにするためにその場所に足を運んだ。・・・家畜は日中を過ごしている灌木の茂みである木の実を食べていた。修道士は、その実にどんな性質があるかを明らかにしようと持ち帰り、水に入れて茹でて汁を飲んだところ、目が醒める効果があることに気づいた。そして彼はコーヒーを夜の勤行の際に眠気を払うために修道院に持ち込んだ。この実が期待された効用を発揮することが判り、また健康にもよいことが明らかになって、次第にその地に広まり、さらにオリエントの他の地域にも広がっていった」(S.デュフール『コーヒー、茶、チョコレートに関する新たな興味をそそる論説』の引用文からの翻訳)。 | |||
=== '''伝説の変形''' === | |||
ナイロニ以前にこの伝説取り上げた文献はヨーロッパ、イスラム圏ともに存在しない。このことから、後に現れた多くの「山羊飼い伝説」のヴァージョンは、ナイロニの話の変形である可能性が高い。 | |||
<br /> ユーカーズの『オール・アバウト・コーヒー』には、2つのヴァージョンが紹介されている。 | |||
<br /> ひとつは、上エジプトまたはアビシニア(エチオピア)のアラビア人牧夫(山羊飼い)の話、もう一つは、カルディという若い山羊飼いの話(フランスの伝説としている)で、いずれも「山羊飼いが、山羊が灌木の実を食べて陽気に跳ね回り騒いでいることを修道僧が聞き効能を確かめ、祈祷の際の眠気を払う目的で修道院に持ちこんで」、そこからコーヒーが広まった、ということになっている。 | |||
<br /> 2つの逸話は、ナイロニの伝えた伝説とは話の骨格は変わらないものの、「ラクダ飼い」が消え、オリエントが「アビシニア(エチオピア)」の話となり、山羊飼いに「カルディ」という名がつけられたりと、変形が加えられている。その後、さらにこれらの要素を組み合わせ、年代を付け加える(当然、なるべく昔に遡る)など、さまざまな「山羊飼いコーヒー発見伝説」が伝言ゲームのように創作され続けた。 | |||
=== '''「山羊飼いコーヒー発見伝説」から見えるもの''' === | |||
ナイロニが紹介したこの逸話の信憑性については、すでに1699年にアントワーヌ・ガランによって「良識ある者が気に留めるべきでない」(『コーヒーの起源と伝播』)と否定されているが、現在でも相変わらず「コーヒーの始まりの物語」として頻繁に言及される。 | |||
<br/> | <br /> 「山羊飼いコーヒー発見伝説」で、コーヒーの効用の発見に修道院が関わっていたとしていることは、初期のイスラム社会でのコーヒーの広まりにスーフィ(イスラムの一派)の修道院が大きく関与していたことが、この伝説に反映している可能性はある。 | ||
<br/> | <br /> いずれにしても、ナイロニ以前に「山羊(ラクダ)飼いコーヒー発見伝説」を取り上げた文献は発見されていないので、この逸話が真実である可能性はほとんどない、といえるだろう。 (山内秀文) | ||
=== '''参照文献''': === | |||
* Coffee journal「山羊飼いカルディの伝説とその周辺」https://real-coffee.net/kaldi | |||
* Antoine Galland ''"De l'origine et du progrès du café"'' 1699, Paris | |||
* Philippe Syrvestre Dufour ''" Traités nouveaux et curieux du café, du thé et du chocotate"'' 1687, Lyon | |||
* ウイリアム・H・ユーカーズ著、『オール・アバウト・コーヒーAll About Coffee』山内秀文抄訳 角川ソフィア文庫 2017 | |||
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2024年12月2日 (月) 09:39時点における最新版
ナイロニの紹介した伝説の原型
この逸話はファウスト・ナイロニが著書『健康に良い薬コーヒーについてDe Saluberrima potine cahue』(1671年刊)でオリエントに伝わる伝説として紹介した
ナイロニ自身、「伝説」とことわっているが、流行し始めたコーヒーの起源への興味をそそる話だったためか、すぐに多くの著作に翻訳・引用されている。その後、この話がもとになって、変形を加えられながら、「山羊飼いカルディ」によるコーヒー発見の逸話として伝わった。
もともとは次のような話である
「あるラクダ飼い、一説によれば山羊飼いが、山羊あるいはラクダが夜中に目を覚ましていて飛び回っている、普段はこんなことはない、と修道院に訴えた。修道士は何かを食べたのではないかと疑い、事実を明らかにするためにその場所に足を運んだ。・・・家畜は日中を過ごしている灌木の茂みである木の実を食べていた。修道士は、その実にどんな性質があるかを明らかにしようと持ち帰り、水に入れて茹でて汁を飲んだところ、目が醒める効果があることに気づいた。そして彼はコーヒーを夜の勤行の際に眠気を払うために修道院に持ち込んだ。この実が期待された効用を発揮することが判り、また健康にもよいことが明らかになって、次第にその地に広まり、さらにオリエントの他の地域にも広がっていった」(S.デュフール『コーヒー、茶、チョコレートに関する新たな興味をそそる論説』の引用文からの翻訳)。
伝説の変形
ナイロニ以前にこの伝説取り上げた文献はヨーロッパ、イスラム圏ともに存在しない。このことから、後に現れた多くの「山羊飼い伝説」のヴァージョンは、ナイロニの話の変形である可能性が高い。
ユーカーズの『オール・アバウト・コーヒー』には、2つのヴァージョンが紹介されている。
ひとつは、上エジプトまたはアビシニア(エチオピア)のアラビア人牧夫(山羊飼い)の話、もう一つは、カルディという若い山羊飼いの話(フランスの伝説としている)で、いずれも「山羊飼いが、山羊が灌木の実を食べて陽気に跳ね回り騒いでいることを修道僧が聞き効能を確かめ、祈祷の際の眠気を払う目的で修道院に持ちこんで」、そこからコーヒーが広まった、ということになっている。
2つの逸話は、ナイロニの伝えた伝説とは話の骨格は変わらないものの、「ラクダ飼い」が消え、オリエントが「アビシニア(エチオピア)」の話となり、山羊飼いに「カルディ」という名がつけられたりと、変形が加えられている。その後、さらにこれらの要素を組み合わせ、年代を付け加える(当然、なるべく昔に遡る)など、さまざまな「山羊飼いコーヒー発見伝説」が伝言ゲームのように創作され続けた。
「山羊飼いコーヒー発見伝説」から見えるもの
ナイロニが紹介したこの逸話の信憑性については、すでに1699年にアントワーヌ・ガランによって「良識ある者が気に留めるべきでない」(『コーヒーの起源と伝播』)と否定されているが、現在でも相変わらず「コーヒーの始まりの物語」として頻繁に言及される。
「山羊飼いコーヒー発見伝説」で、コーヒーの効用の発見に修道院が関わっていたとしていることは、初期のイスラム社会でのコーヒーの広まりにスーフィ(イスラムの一派)の修道院が大きく関与していたことが、この伝説に反映している可能性はある。
いずれにしても、ナイロニ以前に「山羊(ラクダ)飼いコーヒー発見伝説」を取り上げた文献は発見されていないので、この逸話が真実である可能性はほとんどない、といえるだろう。 (山内秀文)
参照文献:
- Coffee journal「山羊飼いカルディの伝説とその周辺」https://real-coffee.net/kaldi
- Antoine Galland "De l'origine et du progrès du café" 1699, Paris
- Philippe Syrvestre Dufour " Traités nouveaux et curieux du café, du thé et du chocotate" 1687, Lyon
- ウイリアム・H・ユーカーズ著、『オール・アバウト・コーヒーAll About Coffee』山内秀文抄訳 角川ソフィア文庫 2017