「カフェ・クランツラー」の版間の差分

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== '''カフェ・クランツラー''' Café Kranzler ==
'''カフェ・クランツラー''' Café Kranzler:
 
 1835年〜1944年頃。初代店主はウィーン風菓子職人のヨハン・ゲオルク・クランツラー。1825年ウンター・デン・リンデン大通りとフリードリッヒ通りの角に小さな菓子店を開いた。1835年(1834年説も)建物の増築・再建に合わせて店も大改築し、大型の豪華カフェとして再び開業をした。
 1835年〜1944年頃。初代店主はウィーン風菓子職人のヨハン・ゲオルク・クランツラー。1825年ウンター・デン・リンデン大通りとフリードリッヒ通りの角に小さな菓子店を開いた。1835年(1834年説も)建物の増築・再建に合わせて店も大改築し、大型の豪華カフェとして再び開業をした。


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'''カフェ・クランツラー、その後'''
'''カフェ・クランツラー、その後'''
[[ファイル:カフェ_クランツラー.jpg|300px|thumb|right|ウンター・デン・リンデンのカフェ・クランツラー(右側)。1915年ごろ。Wikipedia(ドイツ語版)より。]]


 一方、1932年、クアフュルステンダム(通称クーダム)とヨアヒムスターラー通りの角、「カフェ・デス・ヴェステンス」があった場所に、レストラン&コンフェクショナリー・クランツラーという名で支店が開業した。ここも空襲で建物が壊滅的被害を受けたが、終戦後、徐々に営業を再開した。特に、1958年ドイツの建築家ハンス・ダストマンにより建てられた円形二階建ての建物は、印象的な紅白の縞模様の日よけを持ち、クランツラー・エックと称された。その建物すべてを使用した大型老舗カフェは西ベルリン時代のランドマークとなり、2000年まで営業を続けた。街の再開発のために、建物の後方に高層の複合商業施設が入ったビルが建築され、ここの一角で経営者の変更を重ねながらも「カフェ・クランツラー」の名称でカフェの営業は2015年まで続けられた。
 一方、1932年、クアフュルステンダム(通称クーダム)とヨアヒムスターラー通りの角、「カフェ・デス・ヴェステンス」があった場所に、レストラン&コンフェクショナリー・クランツラーという名で支店が開業した。ここも空襲で建物が壊滅的被害を受けたが、終戦後、徐々に営業を再開した。特に、1958年ドイツの建築家ハンス・ダストマンにより建てられた円形二階建ての建物は、印象的な紅白の縞模様の日よけを持ち、クランツラー・エックと称された。その建物すべてを使用した大型老舗カフェは西ベルリン時代のランドマークとなり、2000年まで営業を続けた。街の再開発のために、建物の後方に高層の複合商業施設が入ったビルが建築され、ここの一角で経営者の変更を重ねながらも「カフェ・クランツラー」の名称でカフェの営業は2015年まで続けられた。
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 支店1932年~1945年、1951年~2015年。2016年(再オープン)~現在。 (小村嘉人)
 支店1932年~1945年、1951年~2015年。2016年(再オープン)~現在。 (小村嘉人)


[[ファイル:カフェ_クランツラー.jpg]]
===  '''参照文献''' ===
 
ウンター・デン・リンデンのカフェ・クランツラー(右側)。1915年ごろ
。  Wikipedia(ドイツ語版) より。
 
 
'''参照文献:'''
 
・Wikipedia:Café_Kranzler(ドイツ語版)


・Café_Kranzler HP http://kranzler-eck.berlin
* Wikipedia:Café_Kranzler(ドイツ語版)
* Café_Kranzler HP http://kranzler-eck.berlin

2024年8月14日 (水) 13:51時点における最新版

カフェ・クランツラー Café Kranzler

 1835年〜1944年頃。初代店主はウィーン風菓子職人のヨハン・ゲオルク・クランツラー。1825年ウンター・デン・リンデン大通りとフリードリッヒ通りの角に小さな菓子店を開いた。1835年(1834年説も)建物の増築・再建に合わせて店も大改築し、大型の豪華カフェとして再び開業をした。

 「カフェ・クランツラー」は、ベルリン初のシャウガルテン(路面に張り出したテラス)を持ったウィーン風のカフェ・コンデトライ(カフェとケーキの店)であり、ケーキとアイスクリームが有名であった。ベルリン最大の繁華街にあり、繁盛した様子が当時の絵画・写真からもうかがえる。カフェの経営は1911年にクランツラー家の手から離れたが、多くの市民から贔屓にされ、1944年第二次世界大戦の空襲による街の崩壊まで営業していた。この店は戦後復活することはなかった。

カフェ・クランツラー、その後

ウンター・デン・リンデンのカフェ・クランツラー(右側)。1915年ごろ。Wikipedia(ドイツ語版)より。

 一方、1932年、クアフュルステンダム(通称クーダム)とヨアヒムスターラー通りの角、「カフェ・デス・ヴェステンス」があった場所に、レストラン&コンフェクショナリー・クランツラーという名で支店が開業した。ここも空襲で建物が壊滅的被害を受けたが、終戦後、徐々に営業を再開した。特に、1958年ドイツの建築家ハンス・ダストマンにより建てられた円形二階建ての建物は、印象的な紅白の縞模様の日よけを持ち、クランツラー・エックと称された。その建物すべてを使用した大型老舗カフェは西ベルリン時代のランドマークとなり、2000年まで営業を続けた。街の再開発のために、建物の後方に高層の複合商業施設が入ったビルが建築され、ここの一角で経営者の変更を重ねながらも「カフェ・クランツラー」の名称でカフェの営業は2015年まで続けられた。

 2016年、円形二階建ての建物に戻り、現在は、ベルリンのコーヒー焙煎業者「ザ・バーン」の支店として運営されている。何度も経営者が変わっているが、「カフェ・クランツラー」の名前は受け継がれて、規模は小さくなったが、ベルリンの老舗カフェの歴史は続いている。円形二階建ての建物はベルリン市の指定建造物となり、紅白縞模様の日よけを含め外観に大きな変化はないが、店内のインテリアはリニューアルされて以前の面影はない。

 支店1932年~1945年、1951年~2015年。2016年(再オープン)~現在。 (小村嘉人)

参照文献