「ジャン・ド・テヴノー」の版間の差分
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'''ジャン・ド・テヴノー'''Jean de | == '''ジャン・ド・テヴノー'''Jean de Thévenot == | ||
生没年1633年〜1667年。フランスの旅行家。17世紀の最も重要な旅行家・旅行記作家の一人といわれる。植物学にも造詣が深く、インドで膨大な植物を採集した。 | |||
<br /> ジャン・ド・テヴノーはパリの名家に生まれ、叔父のメルシセデック・テヴノーMelchisédech Thévenotは外交官、科学者、著作者として名を馳せた多才の人で、王立図書館の館長をつとめ、自身も膨大な旅行書のコレクターでもあった。ジャン・ド・テヴノーは18歳でヨーロッパ、中東へ旅立ったが、旅への情熱は叔父のマルシゼデックからの影響が大きかったと思われる。 | |||
<br/> ジャン・ド・テヴノーはパリの名家に生まれ、叔父のメルシセデック・テヴノーMelchisédech Thévenotは外交官、科学者、著作者として名を馳せた多才の人で、王立図書館の館長をつとめ、自身も膨大な旅行書のコレクターでもあった。ジャン・ド・テヴノーは18歳でヨーロッパ、中東へ旅立ったが、旅への情熱は叔父のマルシゼデックからの影響が大きかったと思われる。 | <br /> テヴノーはヨーロッパ、中東、アフリカ、インドを3回にわたって旅した。1657年にいったんエジプトから帰国した際、パリにコーヒーを持ち帰り友人たちにふるまい、これがパリでの最初のコーヒー飲用とされている(1659年との説もある)。 | ||
<br/> テヴノーはヨーロッパ、中東、アフリカ、インドを3回にわたって旅した。1657年にいったんエジプトから帰国した際、パリにコーヒーを持ち帰り友人たちにふるまい、これがパリでの最初のコーヒー飲用とされている(1659年との説もある)。 | <br /> こうしてパリの上流階級にもコーヒーが知られるようになり、宰相ジュール・マザランも1660年にイタリアからコーヒーのサーヴィス係を呼び寄せ、館でふるまっていたといわれるが、コーヒーへの関心はまだごく一部にとどまった。 | ||
<br/> こうしてパリの上流階級にもコーヒーが知られるようになり、宰相ジュール・マザランも1660年にイタリアからコーヒーのサーヴィス係を呼び寄せ、館でふるまっていたといわれるが、コーヒーへの関心はまだごく一部にとどまった。 | <br /> また、テヴノーは大部の旅行記『テヴノー氏のヨーロッパ、アジア、アフリカの旅Voyages de M.Thévnot en Europe, Asie, Afrique』を残していて、その中でトルコ式のコーヒーの抽出法、コンスタンティノープルのカフェやコーヒーの飲用の様子を詳細に記している。 | ||
<br/> また、テヴノーは大部の旅行記『テヴノー氏のヨーロッパ、アジア、アフリカの旅Voyages de M.Thévnot en Europe, Asie, Afrique』を残していて、その中でトルコ式のコーヒーの抽出法、コンスタンティノープルのカフェやコーヒーの飲用の様子を詳細に記している。 | (山内秀文) | ||
=== '''参考文献''': === | |||
* Wikipedia: Jean de Thévenot(英語、フランス語) | |||
* Wikipedia: Melchisédech Thévenot(英語、フランス語) | |||
* Jean Leclant “Le Café et des Cafés de Paris 1644-1693” 1951 Annales | |||
* Jean de Thévenot “Voyages de M.Thévnot en Europe, Asie, Afrique” 1664 Paris | |||
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2024年11月23日 (土) 21:21時点における最新版
ジャン・ド・テヴノーJean de Thévenot
生没年1633年〜1667年。フランスの旅行家。17世紀の最も重要な旅行家・旅行記作家の一人といわれる。植物学にも造詣が深く、インドで膨大な植物を採集した。
ジャン・ド・テヴノーはパリの名家に生まれ、叔父のメルシセデック・テヴノーMelchisédech Thévenotは外交官、科学者、著作者として名を馳せた多才の人で、王立図書館の館長をつとめ、自身も膨大な旅行書のコレクターでもあった。ジャン・ド・テヴノーは18歳でヨーロッパ、中東へ旅立ったが、旅への情熱は叔父のマルシゼデックからの影響が大きかったと思われる。
テヴノーはヨーロッパ、中東、アフリカ、インドを3回にわたって旅した。1657年にいったんエジプトから帰国した際、パリにコーヒーを持ち帰り友人たちにふるまい、これがパリでの最初のコーヒー飲用とされている(1659年との説もある)。
こうしてパリの上流階級にもコーヒーが知られるようになり、宰相ジュール・マザランも1660年にイタリアからコーヒーのサーヴィス係を呼び寄せ、館でふるまっていたといわれるが、コーヒーへの関心はまだごく一部にとどまった。
また、テヴノーは大部の旅行記『テヴノー氏のヨーロッパ、アジア、アフリカの旅Voyages de M.Thévnot en Europe, Asie, Afrique』を残していて、その中でトルコ式のコーヒーの抽出法、コンスタンティノープルのカフェやコーヒーの飲用の様子を詳細に記している。
(山内秀文)
参考文献:
- Wikipedia: Jean de Thévenot(英語、フランス語)
- Wikipedia: Melchisédech Thévenot(英語、フランス語)
- Jean Leclant “Le Café et des Cafés de Paris 1644-1693” 1951 Annales
- Jean de Thévenot “Voyages de M.Thévnot en Europe, Asie, Afrique” 1664 Paris