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'''チャールズ二世'''Charls Ⅱ
== '''チャールズ二世'''Charls Ⅱ ==
 
 生没年 1630年~1685年  王政復古期のイングランド、スコットランド、アイルランド王(在位:1660年~1685年) チャールズ一世とフランス王アンリ四世の娘ヘンリエッタ・マリアの次男
 生没年 1630年~1685年  王政復古期のイングランド、スコットランド、アイルランド王(在位:1660年~1685年) チャールズ一世とフランス王アンリ四世の娘ヘンリエッタ・マリアの次男


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・Wikipedia:チャールズ2世(イングランド王)
・Wikipedia:チャールズ2世(イングランド王)
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2024年11月28日 (木) 23:01時点における最新版

チャールズ二世Charls Ⅱ

 生没年 1630年~1685年  王政復古期のイングランド、スコットランド、アイルランド王(在位:1660年~1685年) チャールズ一世とフランス王アンリ四世の娘ヘンリエッタ・マリアの次男

 清教徒革命以後の数々の争いのため、青年期はフランス、オランダ、ドイツと亡命を繰り返す。ただし1651年父チャールズ一世の処刑の後に、スコットランド王に即位。1658年護国卿オリバー・クロムゥエルの死後、共和政治で混乱しているイングランド議会に対し、「絶対王政」を否定した「ブレダ宣言」を発して1660年イングランド王に即位。しかし、即位後信仰の自由を約束した「ブレダ宣言」に反して、カトリックの復興を図ったために議会と対立。また、フランスとの外交問題、オランダとの戦争、さらにはペストの流行、ロンドン大火などによりチャールズ二世の時代は財政危機の時代であった。  

 チャールズ二世は即位以前から終始「コーヒーハウスは、王政にとって危険な場所である。」と考えていた。なぜならば、反王政の者たちがコーヒーハウスで議論をし、また、反王政の出版物をコーヒーハウスで配布したからである。しかし、すでにコーヒーハウスは議会の議員を含めて市民の生活の一部になっており、さらにはコーヒーハウスからの税収入が貴重であったことから、コーヒーハウス禁止の措置は取りにくかった。

しかし、ついに1675年チャールズ二世は、コーヒー、茶、チョコレート、シャーベットの小売りを禁ずるという「コーヒーハウス禁止令」を布告した。これに対しコーヒーハウスの経営者たちは反対運動を起こした。また議会の議員たちの意見も分かれ、法律の専門家の会議でも、コーヒーハウス営業許可の取り消しは、法律上無理であるとの結論が出た。そこでチャールズ二世は、「コーヒーハウス」の営業許可を半年間延長するとのことでこの場を収めたが、コーヒーハウス経営者たちは請願運動を起こして、半年後にはさらに半年の営業許可の延長を認めたために、事実上「コーヒーハウス禁止令」は棚上げとなった。

 その後もチャールズ二世はコーヒーハウスの全面禁止をあきらめなかった。さらには、次の王ジェイムズ二世もコーヒーハウスに敵意を持っていた。しかし、その都度コーヒーハウスの経営者たちは請願の行動を起こし、王政復古から30年繰り返されたコーヒーハウスへの抑圧から自分たちの店を守った。 (小村嘉人)


チャールズ2世

Wikipedia:チャールズ2世 

       (イングランド王) より


参照文献:

・小林章夫 『コーヒーハウス』 駸々堂 1984年

・岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年

・Wikipedia:チャールズ2世(イングランド王)

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