「レオンハルト・ラウヴォルフ」の版間の差分
Hide Yamauchi (トーク | 投稿記録) (ページの作成:「'''レオンハルト・ラウヴォルフ'''Leonhart Rauwolf 生没年1535年〜1596年。ドイツの植物学者、医学者。ドイツのヴィッテンベルク大学で学んだのち、南フランスのモンペリエ大学等で植物学を研究。1573年から中東地域を旅し、トリポリ(レバノン)からアレッポ、コンスタンティノープル、アルメニアを経てバグダッドを訪れた。ラウヴォルフはシリ…」) |
Hide Yamauchi (トーク | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
(同じ利用者による、間の7版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
'''レオンハルト・ラウヴォルフ'''Leonhart Rauwolf | =='''レオンハルト・ラウヴォルフ'''Leonhart Rauwolf== | ||
生没年1535年〜1596年。ドイツの植物学者、医学者。ドイツのヴィッテンベルク大学で学んだのち、南フランスのモンペリエ大学等で植物学を研究。1573年から中東地域を旅し、トリポリ(レバノン)からアレッポ、コンスタンティノープル、アルメニアを経てバグダッドを訪れた。ラウヴォルフはシリアを経てメソポタミア地域を訪れた最初のヨーロッパ人とされている。 | 生没年1535年〜1596年。ドイツの植物学者、医学者。ドイツのヴィッテンベルク大学で学んだのち、南フランスのモンペリエ大学等で植物学を研究。1573年から中東地域を旅し、トリポリ(レバノン)からアレッポ、コンスタンティノープル、アルメニアを経てバグダッドを訪れた。ラウヴォルフはシリアを経てメソポタミア地域を訪れた最初のヨーロッパ人とされている。 | ||
帰国後、1582年にオリエントの植物の他、風俗・文化を記した『オリエント実体験旅行記Aigentliche Bescheribung der Raiss inn die Morgenländer』(英訳は『[[東方諸国への旅Journey into the eastern countries]]』)を著述。この本の中で、アレッポでの体験として「カウベchaubeという病気、特に胃の病によく効くインクのように黒い飲み物」とコーヒーを紹介している。これはヨーロッパの文献でのコーヒーについての最初の記述でもある。 | |||
===参照文献=== | |||
・wikipedia:レオンハルト・ラウヴォルフ | ・wikipedia:レオンハルト・ラウヴォルフ | ||
・John Rayジョン・レイ『Journey into the eastern countries東方諸国への旅』(John Ray『Travel through Low Countries』第2巻所収)1693年 | ・John Rayジョン・レイ『Journey into the eastern countries東方諸国への旅』(John Ray『Travel through Low Countries』第2巻所収)1693年 | ||
{{年表}} |
2024年12月20日 (金) 04:41時点における最新版
レオンハルト・ラウヴォルフLeonhart Rauwolf
生没年1535年〜1596年。ドイツの植物学者、医学者。ドイツのヴィッテンベルク大学で学んだのち、南フランスのモンペリエ大学等で植物学を研究。1573年から中東地域を旅し、トリポリ(レバノン)からアレッポ、コンスタンティノープル、アルメニアを経てバグダッドを訪れた。ラウヴォルフはシリアを経てメソポタミア地域を訪れた最初のヨーロッパ人とされている。
帰国後、1582年にオリエントの植物の他、風俗・文化を記した『オリエント実体験旅行記Aigentliche Bescheribung der Raiss inn die Morgenländer』(英訳は『東方諸国への旅Journey into the eastern countries』)を著述。この本の中で、アレッポでの体験として「カウベchaubeという病気、特に胃の病によく効くインクのように黒い飲み物」とコーヒーを紹介している。これはヨーロッパの文献でのコーヒーについての最初の記述でもある。
参照文献
・wikipedia:レオンハルト・ラウヴォルフ
・John Rayジョン・レイ『Journey into the eastern countries東方諸国への旅』(John Ray『Travel through Low Countries』第2巻所収)1693年