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「シルヴェストル・ド・サシ」の版間の差分

提供:コーヒー歴史年表
ページの作成:「==='''アントワーヌ=イザーク・シルヴェストル・ド・サシ'''Antoine-Isaac Syrvestre de Sacy=== 生没年1758年〜1838年。フランスの王政復古、七月王政期を代表するオリエント=アラビア学者、言語学者。コレージュ・ド・フランスの学長を務めた。 ロゼッタ・ストーンをもとにエジプトの古代文字(ヒエログリフ)の解読に道を拓いたジャン=フランソワ・…」
 
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==='''アントワーヌ=イザーク・シルヴェストル・ド・サシ'''Antoine-Isaac Syrvestre de Sacy===
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生没年1758年〜1838年。フランスの王政復古、七月王政期を代表するオリエント=アラビア学者、言語学者。コレージュ・ド・フランスの学長を務めた。
生没年1758年〜1838年。フランスの王政復古、七月王政期を代表するオリエント=アラビア学者、言語学者。コレージュ・ド・フランスの学長を務めた。
ロゼッタ・ストーンをもとにエジプトの古代文字(ヒエログリフ)の解読に道を拓いたジャン=フランソワ・シャンポリオンJean-François Champollionは、ド・サシの門下生にあたり、ド・サシ自身も一時期ヒエログリフの解読に取り組んでいる。
ロゼッタ・ストーンをもとにエジプトの古代文字(ヒエログリフ)の解読に道を拓いたジャン=フランソワ・シャンポリオンJean-François Champollionは、ド・サシの門下生にあたり、ド・サシ自身も一時期ヒエログリフの解読に取り組んでいる。
1806年にコレージュ・ド・フランスの講義用テキストとして『アラブ文選Crestmathie arab』第1部を著述。その書の中に、現存する最古のコーヒー関係の文献『[[アブダル・カディールの書]](コーヒーの合法性の擁護)』の部分訳が含まれ、また最後の訳註で『[[シェイク・オマルのコーヒー発見伝説]]』を紹介している。
1806年にコレージュ・ド・フランスの講義用テキストとして『アラブ文選Crestmathie arab』第1部を著述。その書の中に、現存する最古のコーヒー関係の文献『[[アブダル・カディールの書]](コーヒーの合法性の擁護)』の部分訳が含まれ、また最後の訳註で『[[シェイク・オマルのコーヒー発見伝説]]』を紹介している。
ド・サシの『アブダル・カディールの書』の部分訳は、アントワーヌ・ガランの同書の抄訳と並ぶコーヒー飲用の始まりの研究に関する最も重要な基礎文献となっている。
ド・サシの『アブダル・カディールの書』の部分訳は、アントワーヌ・ガランの同書の抄訳と並ぶコーヒー飲用の始まりの研究に関する最も重要な基礎文献となっている。



2025年2月19日 (水) 02:54時点における版

アントワーヌ=イザーク・シルヴェストル・ド・サシAntoine-Isaac Syrvestre de Sacy

生没年1758年〜1838年。フランスの王政復古、七月王政期を代表するオリエント=アラビア学者、言語学者。コレージュ・ド・フランスの学長を務めた。

ロゼッタ・ストーンをもとにエジプトの古代文字(ヒエログリフ)の解読に道を拓いたジャン=フランソワ・シャンポリオンJean-François Champollionは、ド・サシの門下生にあたり、ド・サシ自身も一時期ヒエログリフの解読に取り組んでいる。

1806年にコレージュ・ド・フランスの講義用テキストとして『アラブ文選Crestmathie arab』第1部を著述。その書の中に、現存する最古のコーヒー関係の文献『アブダル・カディールの書(コーヒーの合法性の擁護)』の部分訳が含まれ、また最後の訳註で『シェイク・オマルのコーヒー発見伝説』を紹介している。

ド・サシの『アブダル・カディールの書』の部分訳は、アントワーヌ・ガランの同書の抄訳と並ぶコーヒー飲用の始まりの研究に関する最も重要な基礎文献となっている。

参照文献 ・Wikipedia:アントワーヌ=イザーク・シルヴェストル・ド・サシ(日本語、フランス語)

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