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Hide Yamauchi (トーク | 投稿記録) ページの作成:「== アントワーヌ・ガランAntoine Galland == 生没年1646年〜1715年。フランスのオリエント学者、アラビア語学者。 『千夜一夜物語(アラビアンナイト)Mille et Une Nuits』のヨーロッパへの最初の翻訳・紹介者として名高い。 1670〜75年に、オスマントルコへの派遣大使ノワンテル侯爵に随行してトルコ(レバント地域、コンスタンティノープル)を訪れたの…」 |
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1670〜75年に、オスマントルコへの派遣大使ノワンテル侯爵に随行してトルコ(レバント地域、コンスタンティノープル)を訪れたのを皮切りに、1688年までに3度トルコを訪問。アラビア語、トルコ語などのオリエント語学の研究とともに、王室と財務大臣コールベールの求めに応じて写本(ギリシャ、アラビア、ペルシャ、トルコ語の文献)と古銭(主に古代ローマ時代の)の収集にあたった。 | 1670〜75年に、オスマントルコへの派遣大使ノワンテル侯爵に随行してトルコ(レバント地域、コンスタンティノープル)を訪れたのを皮切りに、1688年までに3度トルコを訪問。アラビア語、トルコ語などのオリエント語学の研究とともに、王室と財務大臣コールベールの求めに応じて写本(ギリシャ、アラビア、ペルシャ、トルコ語の文献)と古銭(主に古代ローマ時代の)の収集にあたった。 | ||
ガランはトルコ滞在中からコーヒーに関して強く関心を払っていた。帰国後1699年に王立図書館所蔵の[[アブダル・カディールの書]](写本)を抄訳し、『コーヒーの起源と伝播』と題して刊行している。この抄訳は、イスラム世界でのコーヒーの飲用の始まりと広がりを知る上で最も重要な文献であり、後のコーヒー書に頻繁に引用されている。 | |||
2025年6月5日 (木) 06:26時点における版
アントワーヌ・ガランAntoine Galland
生没年1646年〜1715年。フランスのオリエント学者、アラビア語学者。
『千夜一夜物語(アラビアンナイト)Mille et Une Nuits』のヨーロッパへの最初の翻訳・紹介者として名高い。
1670〜75年に、オスマントルコへの派遣大使ノワンテル侯爵に随行してトルコ(レバント地域、コンスタンティノープル)を訪れたのを皮切りに、1688年までに3度トルコを訪問。アラビア語、トルコ語などのオリエント語学の研究とともに、王室と財務大臣コールベールの求めに応じて写本(ギリシャ、アラビア、ペルシャ、トルコ語の文献)と古銭(主に古代ローマ時代の)の収集にあたった。
ガランはトルコ滞在中からコーヒーに関して強く関心を払っていた。帰国後1699年に王立図書館所蔵のアブダル・カディールの書(写本)を抄訳し、『コーヒーの起源と伝播』と題して刊行している。この抄訳は、イスラム世界でのコーヒーの飲用の始まりと広がりを知る上で最も重要な文献であり、後のコーヒー書に頻繁に引用されている。