「*コラム:「カフェ・プロコプ」以前のカフェ。」の版間の差分
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パスカルに続いてオリエント・アルメニア出身者が次々にカフェがオープンしたが、いずれもオリエント風の異国趣味を売り物にした店だった。「カフェ・ド・プロコプ」以前に、次のような店が開業している。 | パスカルに続いてオリエント・アルメニア出身者が次々にカフェがオープンしたが、いずれもオリエント風の異国趣味を売り物にした店だった。「カフェ・ド・プロコプ」以前に、次のような店が開業している。 | ||
**マリバンMaliban:セーヌ左岸のビュシー通り。アルメニア出身。パイプでタバコも提供した。商売は振るわず、オランダに去ったといわれる。 | **マリバンMaliban:セーヌ左岸のビュシー通り。アルメニア出身。パイプでタバコも提供した。商売は振るわず、オランダに去ったといわれる。 | ||
** | **グレゴワールGrégoire(グリゴールGrigor):ペルシャ出身。セーヌ左岸のマザリーヌ通り。コメディ・フランセーズが近かったため俳優、作家が顧客となった。 | ||
**マカラMakara:ペルシャ出身。ビュシー通りのマリバンの店を譲り受ける。 | **マカラMakara:ペルシャ出身。ビュシー通りのマリバンの店を譲り受ける。 | ||
**ステファンStéphen:シリアのアレッポ出身。サン=タンドレ通りに開業。 | **ステファンStéphen:シリアのアレッポ出身。サン=タンドレ通りに開業。 |
2024年8月6日 (火) 20:01時点における版
パスカルに続いてオリエント・アルメニア出身者が次々にカフェがオープンしたが、いずれもオリエント風の異国趣味を売り物にした店だった。「カフェ・ド・プロコプ」以前に、次のような店が開業している。
- マリバンMaliban:セーヌ左岸のビュシー通り。アルメニア出身。パイプでタバコも提供した。商売は振るわず、オランダに去ったといわれる。
- グレゴワールGrégoire(グリゴールGrigor):ペルシャ出身。セーヌ左岸のマザリーヌ通り。コメディ・フランセーズが近かったため俳優、作家が顧客となった。
- マカラMakara:ペルシャ出身。ビュシー通りのマリバンの店を譲り受ける。
- ステファンStéphen:シリアのアレッポ出身。サン=タンドレ通りに開業。
(山内秀文)
参照文献:
- Luc Bihl-Willett “Des Tavernes aux Bistorots-une histoire des cafes” 1997 Lausanne
- 岩切正介『ブルボン王朝下のコーヒーとカフェ』