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<br/> 生没年1635年〜1707年。ラテン語名はレバノン出身のマロン派のキリスト教徒。オリエント語の教師としてローマで活動した。 | <br/> 生没年1635年〜1707年。ラテン語名はレバノン出身のマロン派のキリスト教徒。オリエント語の教師としてローマで活動した。 | ||
<br/> 1671年に著書『健康に良い薬コーヒーについてDe Saluberrima potine cahue』を著述。この著作はヨーロッパで出版された最初のコーヒーの専門書のひとつであり、さらに、オリエントに伝わる伝説として「山羊飼いコーヒー発見伝説」を紹介した文献として名高い。 (山内秀文) | <br/> 1671年に著書『健康に良い薬コーヒーについてDe Saluberrima potine cahue』を著述。この著作はヨーロッパで出版された最初のコーヒーの専門書のひとつであり、さらに、オリエントに伝わる伝説として「山羊飼いコーヒー発見伝説」を紹介した文献として名高い。 (山内秀文) |
2024年8月14日 (水) 13:56時点における版
アントニオ・ファウスト・ナイロニ Antonio Fausto Naironi:
生没年1635年〜1707年。ラテン語名はレバノン出身のマロン派のキリスト教徒。オリエント語の教師としてローマで活動した。
1671年に著書『健康に良い薬コーヒーについてDe Saluberrima potine cahue』を著述。この著作はヨーロッパで出版された最初のコーヒーの専門書のひとつであり、さらに、オリエントに伝わる伝説として「山羊飼いコーヒー発見伝説」を紹介した文献として名高い。 (山内秀文)
参照文献:
- Wikipedia: Antonio Fausto Naironi(イタリア語)