「マイルズ・コーヒーハウス」の版間の差分

提供:コーヒー歴史年表
編集の要約なし
編集の要約なし
4行目: 4行目:




=参照文献=:
'''参照文献'''
・William H. Ukers  『ALL ABOUT COFFEE  Second Edition』 1935年
・William H. Ukers  『ALL ABOUT COFFEE  Second Edition』 1935年
・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年
・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年
・岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版 2009年
・岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版 2009年

2024年11月20日 (水) 04:13時点における版

マイルズ・コーヒーハウスMiles' Coffee House

 1659年から1660年にかけて、『オセアナ共和国 Oceana』の著者ジェームズ・ハリントンJames Harringtonが「ロータ・クラブ Rota Club」を結成して、共和制政治の論議がなされていたコーヒーハウスである。

 ウエストミンスター宮殿Palace of Westminster (現在の国会議事堂)に隣接するニュー・パレス・ヤードNew Palace Yardにあり、マイルズMailesが経営していた。店の看板が「トルコ人の顔」であったために、タークス・ヘッドTurk’s Headとも呼ばれていた。常連客にはハリントンの政治仲間が多かったが、サミュエル・ピープス、ジョン・ミルトンらの文学者も出入りをしており、文学論議も交わされた。しかし、「マイルズ」のイギリスのコーヒーハウス史における記録は、「ロータ・クラブ」に関してだけである。なお開業・閉店などの詳細は不明。    (小村嘉人)


参照文献 ・William H. Ukers 『ALL ABOUT COFFEE Second Edition』 1935年 ・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年 ・岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版 2009年