「ビチヴィリの写本」の版間の差分

提供:コーヒー歴史年表
(ページの作成:「'''ピチヴィリ写本'''Manuscrit de Pitchevili:  著述年は不詳だが、その内容から推測すると、ムラト四世の治世の終わり(1640年)以後に執筆されたと思われる。ノワンテル侯爵がアブ・ダル・カディールの書とともにトルコから持ち帰り、ルイ一四世に献呈。  アントワーヌ・ガランの『コーヒーの起源と伝播』の後半は、ピチヴィリ写本の内容をま…」)
 
編集の要約なし
1行目: 1行目:
'''ピチヴィリ写本'''Manuscrit de Pitchevili:
=='''ピチヴィリ写本'''Manuscrit de Pitchevili==


 著述年は不詳だが、その内容から推測すると、ムラト四世の治世の終わり(1640年)以後に執筆されたと思われる。ノワンテル侯爵がアブ・ダル・カディールの書とともにトルコから持ち帰り、ルイ一四世に献呈。
著述年は不詳だが、内容から推測するとムラト四世の治世の終わり(1640年)以後に執筆されたと思われる。


 アントワーヌ・ガランの『コーヒーの起源と伝播』の後半は、ピチヴィリ写本の内容をまとめて紹介したもので、1554年にダマスカス、アレッポからコンスタンティノープルにカフェ(カフェ・カネ)が伝わった経緯と当時のカフェの有様と繁栄ぶり、そして1656年頃からの大宰相キョプリュリュ・メフメト・パシャのコーヒー迫害について書かれている。 (山内秀文)
ノワンテル侯爵がアブダル・カディールの書とともにトルコから持ち帰り、ルイ一四世に献呈。
 
アントワーヌ・ガランの『コーヒーの起源と伝播』の後半は、ピチヴィリ写本の内容をまとめて紹介したもので、1554年にダマスカス、アレッポからコンスタンティノープルにカフェ(カフェ・カネ)が伝わった経緯と当時のカフェの有様と繁栄ぶり、そして1656年頃からの大宰相キョプリュリュ・メフメト・パシャのコーヒー迫害について書かれている。 (山内秀文)


'''参照文献:'''
'''参照文献:'''


'''・'''Antoine Galland ''"De l'origine et du progrès du café"  ''1699 Paris
・Antoine Galland ''"De l'origine et du progrès du café"''1699 Paris

2024年11月25日 (月) 05:09時点における版

ピチヴィリ写本Manuscrit de Pitchevili

著述年は不詳だが、内容から推測するとムラト四世の治世の終わり(1640年)以後に執筆されたと思われる。

ノワンテル侯爵がアブダル・カディールの書とともにトルコから持ち帰り、ルイ一四世に献呈。

アントワーヌ・ガランの『コーヒーの起源と伝播』の後半は、ピチヴィリ写本の内容をまとめて紹介したもので、1554年にダマスカス、アレッポからコンスタンティノープルにカフェ(カフェ・カネ)が伝わった経緯と当時のカフェの有様と繁栄ぶり、そして1656年頃からの大宰相キョプリュリュ・メフメト・パシャのコーヒー迫害について書かれている。 (山内秀文)

参照文献:

・Antoine Galland "De l'origine et du progrès du café"1699 Paris