青い瓶(ブラウエン・フラッツェ)
青い瓶(ブラウエン・フラッツェ) Zue blauen Flache
長い間コルシツキーが営んだとされ、「ウィーン最初のカフェ」と語り継がれている 。
コルシツキーは1683年のオスマン・トルコとの戦いの勝利に貢献をし、その褒賞として トルコ軍の残したコーヒー豆を譲り受けた。このコーヒー豆を利用してシュテファン寺院 近く、シュトック・イム・アイゼン広場のシュヴァンフェルナー館で屋台風の店を開き、 トルコ風コーヒーを売り始めた。この店がおおいに繁盛をして手狭となり、ブラントシュ テッテ街へ、さらにシュロッサー通りの「ブラウエン・フラッツェ」という館に移転して 、ここに「ウィーン最初のカフェ」を開業したという。
現在では、コルシツキーの「ブラウエン・フラッツェ」開業は史実としては認められていないが、「ブラウエン・フラッツェ」という店名のカフェは存在していた。アルメニア人のイザック・デ・ルカが1703年に開業(場所は伝説と同じシュロッサー通り)して、1775年まで続いたという。
さらに2002年アメリカ人ジェームス・フリーマンが開業した「ブルー・ボトル・コーヒー」も、コルシツキーの栄誉に敬意を表して、「青い瓶(ブラウエン・フラッツェ)」という名を付けたといわれている。 (小村嘉人)
参照文献:
- 平田達治著『ウィーンのカフェ』大修館書店,1996
- クラウス・ティーレ・ドールマン著『ヨーロッパのカフェ文化』1997 平田達治・友田 和秀訳、大修館書店,2000