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ジョナサンズ・コーヒーハウス

提供: コーヒー歴史年表
2026年7月29日 (水) 00:56時点におけるKomura (トーク | 投稿記録)による版

ジョナサンズ・コーヒーハウス:Jonathan’s Coffee House

 1680年ごろ、ジョナサン・マイルズ Jonathan Miles がコーンヒル Cornhillのエクスチェンジ小路 Exchange Alley で開業。 開業当初から株の仲買人たちが多く利用をしていた。1697年ごろには、株の売買が騒々しいとの理由で、多くの仲買人たちは株取引の場所を王立取引所から「ジョナサンズ」に移した。

 

1763年の「ジョナサンズ・コーヒーハウス」Wikipedia:Jonathan's Coffee-House (英語版)より

「ジョナサンズ」における株取引と「南海会社泡沫事件」

 「ジョナサンズ」や近隣のコーヒーハウスに集まっていた株の仲買人たちは、店内で多くの株式会社の株取引をしていたが、17世紀、18世紀の株式会社の経営は不安定で、資金の流用や投機によって経営を誤ることが多かったといわれている。1720年に貴族、商人、庶民などあらゆる階層を巻き込み大きな社会事件となった「南海会社泡沫事件 South Sea Bubble ( 「南海会社 South Sea Company 」をはじめ多くの貿易会社の異常な株式投機と崩壊。)」があった。この事件にかかわる多くの株取引が「ジョナサンズ」で行われていた。

 その後も、「ジョナサンズ」では仲買人による株取引が多く行われ、ロンドンの証券市場は「ジョナサンズ」を中心に動いていたと思われる。1748年には火災により焼失しているが、すぐに再建された。さらに1761年には、約150人の主要な株仲買人が年に8ポンドの会費を支払い、貧しい同業者を排除して、毎日約3時間店を貸し切りにし、商談を行った。「ジョナサンズ」のクラブ化である。

「ニュー・ジョナサンズ」と「ロンドン証券取引所」の誕生

  「ジョナサンズ」での株取引は益々増大していき、 1773年に主要な株仲買人たちはスレッドニードル通り Threadneedle St. 南のスウィーティング小路 Sweeting’s Alley の建物に移った。移転当初は、「ニュー・ジョナサンズ New Jonathan’s Coffee House」と呼ばれていたようだが、後に、一階は「株式取引所 Stock Exchange 」二階は「株式取引所コーヒーハウス Stock Exchange Coffee House 」という名になった。もとの「ジョナサンズ」もしばらくの間は残っていたようではある。

  1801年株の仲買人たちはバーソロミュー小路 Bartholomew Ln.にある建物を買い取り、株の取引業務はここに拠点を移して、現在の「ロンドン証券取引所 London Stock Exchange 」の基礎が出来上がった。なお、「株式取引所コーヒーハウス(ニュー・ジョナサンズ)」は、商人・株仲買人たちが飲食できる本来の姿のコーヒーハウスとして1830年代まで営業をしていた。                  (小村嘉人)


参照文献:

・William H. Ukers  ALL ABOUT COFFEE Second Edition, 1935

・Bryant Lillywhite, London Coffee Houses  (George Allen and Unwin , 1963)

・岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年

・Wikipedea:Jonathan’s Coffee-House (英語版)

・Wikipedea:South Sea Bublle (英語版)