ロンドンのティーガーデン
18世紀になり次々に誕生したのが、プレジャーガーデン Pleasure Garden である。いままでの公園や庭園とは違い、池・小川・木陰の散歩道にコンサートホールや動物園・遊園地などが併設された、上流階級の人々にくつろぎと娯楽を提供する、郊外の広々とした空間であった。このガーデンには野外でまたや室内で飲食ができる場があり、またお茶好きの女性たちに人気でティーガーデンとも呼ばれた。ガーデンの敷地はもともと貴族の邸宅の庭であったところが多く、植物や散歩をする小路などはすでに整備されていて、広さも十分にあった。
プレジャーガーデンでは、舞踏会やコンサート・花火が多く開催され、闘鶏やボクシングなどのアトラクションも行われた。朝から晩まで食事が楽しめ、茶を片手に木陰の散歩道の散策ができる場所は上流階級の人たちに大変人気があった。
以後次々にプレジャーガーデンが開園する一方で、街中のコーヒーハウスは徐々に衰退をしていった。コーヒーハウスの数が増えすぎたこと、酒を提供するようになり雰囲気が変わったこと、客層がかたまり活気がなくなったことなど、コーヒーハウス衰退の要因は様々あるが、さまざまな娯楽があり、くつろぎの空間を提供したプレジャーガーデンに男性も多く集まってきたこともその一因である。
夏目漱石は、『文学評論』のなかでプレジャーガーデンのことを「喫茶園」という言葉を使って説明している。またプレジャーガーデンの文化はアメリカにも入り、コーヒーとロールパンがいつでも準備され、花火や楽隊の演奏が楽しめる人気の場所になった。
19世紀になると、ロンドンのプレジャーガーデンは次々に姿を消していった。街が郊外に発展しガーデンの環境を壊したこと。男性は酒が飲める男性だけの場を求めたこと。女性は外出せず家庭で「午後の紅茶」をする習慣ができたことなどによる。
ロンドンにあった主なプレジャーガーデン
・メリルボーン・ガーデン Marylebone Gardens 17世紀半ば~18世紀後半
ロンドンで最初のガーデン ハイドパークとリージェンツパークの間
・クーパーズ・ガーデン Cuper’s Gardens 1680年頃~1760年頃
ランベス テムズ川南岸 現在のウォータールー駅付近
・クレモーン・ガーデン Cremorne Gardens 1845年~1877年
チェルシー バターシー橋付近 現在は門が史跡として残っている
・ラネラ・ガーデン Ranelagh Gardens 1742年~19世紀初め
チェルシー チェルシー橋北側 チェルシー病院の庭園として現存
・ロイヤル・サリー・ガーデン Royal Surrey Gardens 1830年頃~1860年ころ
サリー州ニューイントン クリケット場オーバルの東 動物園併設
パスリーパークという小さな公園として現存
・ヴォクスホール・ガーデン Vauxhall Gardens 1660年頃~1859年
ランベス ヴォクスホール橋南側 後に整備され公園として現存
・ロイヤル・フローラ・ガーデン Royal Flora Gardens 1849年~1864年
キャンバーウェル ウィンダムロード
現在のセント・マイケル・キャンバーウェル教会の敷地
参照文献:
・春山行夫 『紅茶の文化史』 平凡社 1991年
・Wikipedia Pleasure Garden (英語版)
・Wikipedia Marylebone Gardens (英語版)
・Wikipedia Cuper’s Gardens (英語版)
・Wikipedia Cremorne Gardens (英語版)
・Wikipedia Ranelagh Gardens (英語版)
・Wikipedia Royal Surrey Gardens (英語版)
・Wikipedia Vauxhall Gardens (英語版)
・Wikipedia Royal Flora Gardens (英語版)