ジャワ

提供:コーヒー歴史年表
2024年12月11日 (水) 17:30時点におけるHide Yamauchi (トーク | 投稿記録)による版

インドネシアにある大小17000を超える島々のうち、ジャワ島は最も多くの人口を占め、西部にはインドネシアの首都ジャカルタがある。

1699年に、マラバールからジャワにコーヒーの木の挿し木が持ち込まれ栽培が成功。これがオランダ領東インド(現インドネシア)のすべてのコーヒーの原木となり、エチオピア、アラビア以外の地域で初めて商業的な栽培が始まった。

1711 年にはアムステルダムで最初の公売が行われた。( 1 ポンドあたり 47 セントで取引)

1720年の輸出額は116,587ポンドに達し、1724年にはアムステルダムの市場でジャワ産のコーヒーが1,396,486ポンド取引された。このころ、イエメン(モカ)を抑え世界最大の輸出地域となる。

1870年代初めになると、葉の病気「さび病」による被害がもたらされ被害が拡大し、アラビカ種はさび病により標高3,500フィート以下の地域から事実上駆逐された。そのため、さび病に抵抗力のあるロブスタ種などに植え替えられていった。オランダ東インド政府が1919 年 8 月に発表した声明では、ロブスタ種84%、アラビカ種5.5%、リベリカ種4.5%。残りの 6%は、ウガンダ、バウコベンシス、スアクレンシス、クイロウ、ステノフィラなど多くの品種で構成されており、ロブスタ種に似たものとして、リベリカグループなどとして輸出されていた。

アメリカでは、コーヒーを「java」と呼ぶこともある。 (大西文明)


参考文献:

・ウイリアム・H・ユーカーズ 『オール・アバウト・コーヒーAll About Coffee』1935年(第2版) 山内秀文抄訳 角川ソフィア文庫 2017年

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