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Hide Yamauchi (トーク | 投稿記録) ページの作成:「=='''ホイッグ党'''Whig Party== 1678年創設。後の自由党、自由民主党の前身となったイギリスの政党。17世紀の王政復古期に、チャールズ二世の王位継承者として、弟でカトリック教徒のジェイムズ(後のジェイムズ二世)の即位に反対し、「王位継承敗訴法案」に賛成したメンバー。対立するトーリー党から「Whiggamore(スコットランド語で謀叛人…」 |
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1678年創設。後の自由党、自由民主党の前身となったイギリスの政党。17世紀の王政復古期に、チャールズ二世の王位継承者として、弟でカトリック教徒のジェイムズ(後のジェイムズ二世)の即位に反対し、「王位継承敗訴法案」に賛成したメンバー。対立する[[トーリー党]] | 1678年創設。後の自由党、自由民主党の前身となったイギリスの政党。17世紀の王政復古期に、チャールズ二世の王位継承者として、弟でカトリック教徒のジェイムズ(後のジェイムズ二世)の即位に反対し、「王位継承敗訴法案」に賛成したメンバー。対立する[[トーリー党]]から「Whiggamore(スコットランド語で謀叛人の意味)」と呼ばれたことが、ホイッグ党の始まりである。 | ||
1688年の名誉革命後は、トーリー党、ホイッグ党交互に政権を取るが二大政党の時代となり、1714年のハノーヴァー朝成立以後は1762年までホイッグ党の長期政権時代が実現した。 | |||
ホイッグ党系のメンバーが、集会や政治談議をしたコーヒーハウスは「グリシアン」、「セント・ジェイムズ」、「スミルナ」などで、タヴァーンやエールハウスでも政治クラブとしての活動が盛んであった。ホイッグ党は次第に非国教徒と都市の商工業者の利益を代表するようになり、自由主義の立場をとった。1830年代の政界再編で「自由党」に名称を変更した。(小村嘉人) | ホイッグ党系のメンバーが、集会や政治談議をしたコーヒーハウスは「グリシアン」、「セント・ジェイムズ」、「スミルナ」などで、タヴァーンやエールハウスでも政治クラブとしての活動が盛んであった。ホイッグ党は次第に非国教徒と都市の商工業者の利益を代表するようになり、自由主義の立場をとった。1830年代の政界再編で「自由党」に名称を変更した。(小村嘉人) | ||
2025年1月23日 (木) 19:00時点における最新版
ホイッグ党Whig Party
1678年創設。後の自由党、自由民主党の前身となったイギリスの政党。17世紀の王政復古期に、チャールズ二世の王位継承者として、弟でカトリック教徒のジェイムズ(後のジェイムズ二世)の即位に反対し、「王位継承敗訴法案」に賛成したメンバー。対立するトーリー党から「Whiggamore(スコットランド語で謀叛人の意味)」と呼ばれたことが、ホイッグ党の始まりである。
1688年の名誉革命後は、トーリー党、ホイッグ党交互に政権を取るが二大政党の時代となり、1714年のハノーヴァー朝成立以後は1762年までホイッグ党の長期政権時代が実現した。
ホイッグ党系のメンバーが、集会や政治談議をしたコーヒーハウスは「グリシアン」、「セント・ジェイムズ」、「スミルナ」などで、タヴァーンやエールハウスでも政治クラブとしての活動が盛んであった。ホイッグ党は次第に非国教徒と都市の商工業者の利益を代表するようになり、自由主義の立場をとった。1830年代の政界再編で「自由党」に名称を変更した。(小村嘉人)
参照文献
・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年
・岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版局 2009年
・Wikipedia ホイッグ党