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「カフェ・ヘレンホーフ」の版間の差分

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しかし、カフェの繁栄は長くは続かず、1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合により多くのユダヤ系文化人は国外に亡命、「文学カフェ」の役割を終える。さらに第二次世界大戦の戦後復興の遅れもあり、1961年に閉店。1967年に規模を縮小して再開業するも、建物がドイツのホテルグループにより「シュタインゲンベルガーホテル・ヘレンホーフ」に改装され、2006年に閉店。 (小村嘉人)
しかし、カフェの繁栄は長くは続かず、1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合により多くのユダヤ系文化人は国外に亡命、「文学カフェ」の役割を終える。さらに第二次世界大戦の戦後復興の遅れもあり、1961年に閉店。1967年に規模を縮小して再開業するも、建物がドイツのホテルグループにより「シュタインゲンベルガーホテル・ヘレンホーフ」に改装され、2006年に閉店。 (小村嘉人)


====  '''参照文献:''' ====


'''参照文献:'''
* 菊盛英夫著『文学カフェ』中公新書, 1980
* 平田達治著『ウィーンのカフェ』大修館書店, 1996
* Wikipedia:Café Herrenhof  (ドイツ語版)


・菊盛英夫著『文学カフェ』中公新書, 1980
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・平田達治著『ウィーンのカフェ』大修館書店, 1996
 
・Wikipedia:Café Herrenhof  (ドイツ語版)
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2025年2月25日 (火) 20:33時点における最新版

「カフェ・ヘレンホーフ」Café Herrenhof

1918年〜1961年・1967年〜2006年。第一次世界大戦の末期、ヘレンガッセ「カフェ・ツェントラル」の向かい、証券取引所の建物に開業。

オーストリア・バンガリー帝国の混乱の影響で、文学カフェとしての役割が崩壊しつつあった「ツェントラル」から若い世代の文化人・芸術家が「ヘレンホーフ」に移ってきた。また時代の流れを象徴するように女性客も増えてきたといわれる。

「ツェントラル」から文学カフェの座を引き継ぎ、プラハから移住してきたユダヤ系作家、レオ・ペルッツ、エルンスト・ポラクらをはじめ、ロベルト・ムジール、ヘルマン・ブロッホなども足繁く出入りしていた。常連客にはそれぞれ決まったテーブルがあり、そこに多くの友人・知人が日々集まっていたという。

しかし、カフェの繁栄は長くは続かず、1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合により多くのユダヤ系文化人は国外に亡命、「文学カフェ」の役割を終える。さらに第二次世界大戦の戦後復興の遅れもあり、1961年に閉店。1967年に規模を縮小して再開業するも、建物がドイツのホテルグループにより「シュタインゲンベルガーホテル・ヘレンホーフ」に改装され、2006年に閉店。 (小村嘉人)

参照文献:

  • 菊盛英夫著『文学カフェ』中公新書, 1980
  • 平田達治著『ウィーンのカフェ』大修館書店, 1996
  • Wikipedia:Café Herrenhof (ドイツ語版)

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