コンテンツにスキップ

「コーヒーハウスと広告の誕生」の版間の差分

提供:コーヒー歴史年表
大西 (トーク | 投稿記録)
 
カテゴリ更新
 
(2人の利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
'''「コーヒーハウス」の広告'''
==== '''「コーヒーハウス」の広告''' ====
[[ファイル:1665コーヒーハウスと広告1.jpg|フレーム|ロゼが配布したチラシ(コーヒーハウス最初の広告) Wikipedia Pasqua Rosée (英語版)より 原本は大英博物館所蔵]] ロンドンにおける最初のコーヒーの広告は、1652年パスクワ・ロゼがロンドンで最初のコーヒーハウスを開業した際に配布をしたチラシである。その後もチラシやビラの広告は配布されたが、より公共性の高い「新聞」の最初の広告は、1657年の『パブリック・アドヴァイザー The Publick Adviser』紙の第1号(1657年5月19日発行)である。[[ファイル:1665コーヒーハウスと広告2.jpg|フレーム|「パブリック・アドヴァイザー」第1号''' '''(最初の新聞広告) ''“ALL ABOUT COFFEE ”''より]] 『パブリック・アドヴァイザー』はマーチャモント・ニーダムMarchamont Nedhamが発行した週刊の広告専門新聞で、ここに「バーソロミュー小路にて、健康に良いコーヒーという飲み物を販売する」と掲載された。また、6月16日発行の第4号には「チョコレート」の広告も載せられた。ちなみに、「茶」の最初の新聞広告は同じニーダムが発行していた『メルキュリウス・ポリティクスMercurius Politicus』という週刊新聞の1658年9月23日号に掲載されている。


 ロンドンにおける最初のコーヒーの広告は、1652年パスクワ・ロゼがロンドンで最初のコーヒーハウスを開業した際に配布をしたチラシである。その後もチラシやビラの広告は配布されたが、より公共性の高い「新聞」の最初の広告は、1657年の『パブリック・アドヴァイザー The Publick Adviser』紙の第1号(1657年5月19日発行)である。
====  '''「コーヒーハウス」で広告を見る''' ====
 「コーヒーハウスが新聞に広告を掲載する」ほかに、コーヒーハウスにはもう一つ広告に関して重要な役割があった。「コーヒーハウスで、多くの市民が新聞広告を見る」という役割である。


 『パブリック・アドヴァイザー』はマーチャモント・ニーダムMarchamont Nedhamが発行した週刊の広告専門新聞で、ここに「バーソロミュー小路にて、健康に良いコーヒーという飲み物を販売する」と掲載された。また、6月16日発行の第4号には「チョコレート」の広告も載せられた。ちなみに、「茶」の最初の新聞広告は同じニーダムが発行していた『メルキュリウス・ポリティクスMercurius Politicus』という週刊新聞の1658年9月23日号に掲載されている。
 17世紀半ば、ロンドンの新聞数は十数紙で、発行部数は各紙250~1000部程度であった。これは当時のロンドンの人口50万人と比較すると少ない気がする。17世紀後半にはロンドンのコーヒーハウスは3000軒程あったといわれ、そのほとんどで新聞を常備していたことを考えると、ロンドン市民の多くは「新聞は家で購読するのではなく、コーヒーハウスで読んでいた。新聞広告もコーヒーハウスで見ていた」と推測できる。当時のロンドンでは、今日と違い限られた場所でしか情報を得ることができなかった。こうした場所としてのコーヒーハウスの役割は重要であった。 (小村嘉人)


 


'''「コーヒーハウス」で広告を見る'''
 
 
 「コーヒーハウスが新聞に広告を掲載する」ほかに、コーヒーハウスにはもう一つ広告に関して重要な役割があった。「コーヒーハウスで、多くの市民が新聞広告を見る」という役割である。
 
 17世紀半ば、ロンドンの新聞数は十数紙で、発行部数は各紙250~1000部程度であった。これは当時のロンドンの人口50万人と比較すると少ない気がする。17世紀後半にはロンドンのコーヒーハウスは3000軒程あったといわれ、そのほとんどで新聞を常備していたことを考えると、ロンドン市民の多くは「新聞は家で購読するのではなく、コーヒーハウスで読んでいた。新聞広告もコーヒーハウスで見ていた」と推測できる。当時のロンドンでは、今日と違い限られた場所でしか情報を得ることができなかった。こうした場所としてのコーヒーハウスの役割は重要であった。 (小村嘉人)


 
 
[[ファイル:1665コーヒーハウスと広告1.jpg|なし|フレーム|ロゼが配布したチラシ(コーヒーハウス最初の広告) Wikipedia Pasqua Rosée (英語版)より 原本は大英博物館所蔵]]
[[ファイル:1665コーヒーハウスと広告2.jpg|なし|フレーム|「パブリック・アドヴァイザー」第1号''' '''(最初の新聞広告) ''“ALL ABOUT COFFEE ”''より]] 


'''参照文献:'''
'''参照文献:'''
26行目: 22行目:


[[コーヒー歴史年表|コーヒー歴史年表に戻る]]
[[コーヒー歴史年表|コーヒー歴史年表に戻る]]
[[カテゴリ:コラム]]
[[カテゴリ:カフェ]]

2025年3月31日 (月) 16:46時点における最新版

「コーヒーハウス」の広告

ロゼが配布したチラシ(コーヒーハウス最初の広告) Wikipedia Pasqua Rosée (英語版)より 原本は大英博物館所蔵

 ロンドンにおける最初のコーヒーの広告は、1652年パスクワ・ロゼがロンドンで最初のコーヒーハウスを開業した際に配布をしたチラシである。その後もチラシやビラの広告は配布されたが、より公共性の高い「新聞」の最初の広告は、1657年の『パブリック・アドヴァイザー The Publick Adviser』紙の第1号(1657年5月19日発行)である。

「パブリック・アドヴァイザー」第1号 (最初の新聞広告) “ALL ABOUT COFFEE ”より

 『パブリック・アドヴァイザー』はマーチャモント・ニーダムMarchamont Nedhamが発行した週刊の広告専門新聞で、ここに「バーソロミュー小路にて、健康に良いコーヒーという飲み物を販売する」と掲載された。また、6月16日発行の第4号には「チョコレート」の広告も載せられた。ちなみに、「茶」の最初の新聞広告は同じニーダムが発行していた『メルキュリウス・ポリティクスMercurius Politicus』という週刊新聞の1658年9月23日号に掲載されている。

「コーヒーハウス」で広告を見る

 「コーヒーハウスが新聞に広告を掲載する」ほかに、コーヒーハウスにはもう一つ広告に関して重要な役割があった。「コーヒーハウスで、多くの市民が新聞広告を見る」という役割である。

 17世紀半ば、ロンドンの新聞数は十数紙で、発行部数は各紙250~1000部程度であった。これは当時のロンドンの人口50万人と比較すると少ない気がする。17世紀後半にはロンドンのコーヒーハウスは3000軒程あったといわれ、そのほとんどで新聞を常備していたことを考えると、ロンドン市民の多くは「新聞は家で購読するのではなく、コーヒーハウスで読んでいた。新聞広告もコーヒーハウスで見ていた」と推測できる。当時のロンドンでは、今日と違い限られた場所でしか情報を得ることができなかった。こうした場所としてのコーヒーハウスの役割は重要であった。 (小村嘉人)

 

 

 

参照文献:

・William H. Ukers  “ALL ABOUT COFFEE Second Edition” 1935年

・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年

・Wikipedia: Marchamont  Nedham(英語版)

コーヒー歴史年表に戻る