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(ページの作成:「'''パスカ・ロゼ''' Pasqua Rosée:  ダルマティア地方のラグーザ(現在のクロアチア、アドリア海沿岸)出身のアルメニア人(ギリシア人との説もある)。ロンドンの商人ダニエル・エドワーズDaniel Edwardsがトルコに行った際に雇い、ロンドンに連れ帰った。使用人として主人エドワーズに仕え、コーヒーを淹れることが日課であった。ロゼのコー…」)
 
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'''パスカ・ロゼ''' Pasqua Rosée:
== '''パスカ・ロゼ''' Pasqua Rosée ==




 ダルマティア地方のラグーザ(現在のクロアチア、アドリア海沿岸)出身のアルメニア人(ギリシア人との説もある)。ロンドンの商人ダニエル・エドワーズDaniel Edwardsがトルコに行った際に雇い、ロンドンに連れ帰った。使用人として主人エドワーズに仕え、コーヒーを淹れることが日課であった。ロゼのコーヒーは評判となり、屋敷への来客も増えた。


 コーヒー目当ての訪問客の多さで仕事に支障をきたしたこともあり、エドワーズは、ロゼにコーヒーハウスを開くことをうながした。こうしてコーンヒルのセント・マイケルSt Michael教会の真向かい(教会の敷地内との説もある。現在のジャマイカ・ワインハウス Jamaica WineHouseのあたり)にロンドン初のコーヒーハウスが誕生した。建物はあばら家かテント小屋だったといわれている。
ダルマティア地方のラグーザ(現在のクロアチア、アドリア海沿岸)出身のアルメニア人(ギリシア人との説もある)。ロンドンの商人ダニエル・エドワーズDaniel Edwardsがトルコに行った際に雇い、ロンドンに連れ帰った。使用人として主人エドワーズに仕え、コーヒーを淹れることが日課であった。ロゼのコーヒーは評判となり、屋敷への来客も増えた。


 ロゼの店は繁盛するが、タヴァーン(居酒屋)業者の反感をかい、ロゼ自身がロンドンの市民権を持っていないとの理由で、閉鎖するようロンドン市当局に圧力をかけられた。そのためにボウマンChristopher Bowman(義父ホッジスAlderman Hodgesの使用人)を共同経営者として迎えた。しかし、後日ロゼは国外に退去させられて、コーヒーハウスはボウマンの単独経営となった。1658年以降のロゼに関しての記録はない。 (小村嘉人)
コーヒー目当ての訪問客の多さで仕事に支障をきたしたこともあり、エドワーズはロゼにコーヒーハウスを開くことをうながした。こうしてコーンヒルのセント・マイケルSt Michael教会の真向かい(教会の敷地内との説もある。現在のジャマイカ・ワインハウス Jamaica WineHouseのあたり)にロンドン初のコーヒーハウスが誕生した。建物はあばら家かテント小屋だったといわれている。
 
ロゼの店は繁盛するが、タヴァーン(居酒屋)業者の反感をかい、ロゼ自身がロンドンの市民権を持っていないとの理由で、閉鎖するようロンドン市当局に圧力をかけられた。そのためにボウマンChristopher Bowman(義父ホッジスAlderman Hodgesの使用人)を共同経営者として迎えた。しかし、後日ロゼは国外に退去させられて、コーヒーハウスはボウマンの単独経営となった。1658年以降のロゼに関しての記録はない。 (小村嘉人)
 
=== '''参照文献''': ===
 
* William H. Ukers ''"ALL ABOUT COFFEE"''  Second Edition 1935 New York
* クラウス・ティーレ=ドールマン 『ヨーロッパのカフェ文化』平田達治・友田和秀訳 
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2024年12月27日 (金) 21:11時点における最新版

パスカ・ロゼ Pasqua Rosée

ダルマティア地方のラグーザ(現在のクロアチア、アドリア海沿岸)出身のアルメニア人(ギリシア人との説もある)。ロンドンの商人ダニエル・エドワーズDaniel Edwardsがトルコに行った際に雇い、ロンドンに連れ帰った。使用人として主人エドワーズに仕え、コーヒーを淹れることが日課であった。ロゼのコーヒーは評判となり、屋敷への来客も増えた。

コーヒー目当ての訪問客の多さで仕事に支障をきたしたこともあり、エドワーズはロゼにコーヒーハウスを開くことをうながした。こうしてコーンヒルのセント・マイケルSt Michael教会の真向かい(教会の敷地内との説もある。現在のジャマイカ・ワインハウス Jamaica WineHouseのあたり)にロンドン初のコーヒーハウスが誕生した。建物はあばら家かテント小屋だったといわれている。

ロゼの店は繁盛するが、タヴァーン(居酒屋)業者の反感をかい、ロゼ自身がロンドンの市民権を持っていないとの理由で、閉鎖するようロンドン市当局に圧力をかけられた。そのためにボウマンChristopher Bowman(義父ホッジスAlderman Hodgesの使用人)を共同経営者として迎えた。しかし、後日ロゼは国外に退去させられて、コーヒーハウスはボウマンの単独経営となった。1658年以降のロゼに関しての記録はない。 (小村嘉人)

参照文献

  • William H. Ukers "ALL ABOUT COFFEE" Second Edition 1935 New York
  • クラウス・ティーレ=ドールマン 『ヨーロッパのカフェ文化』平田達治・友田和秀訳 

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