コンテンツにスキップ

「*コラム:コーヒーハウスと茶、チョコレート」の版間の差分

提供:コーヒー歴史年表
編集の要約なし
編集の要約なし
 
(2人の利用者による、間の4版が非表示)
2行目: 2行目:
 コーヒーハウスでは、コーヒーだけではなく茶、チョコレートをはじめ様々な飲み物が提供されていた。1659年11月の新聞のコーヒーハウスに関する記事に、「コーヒーハウスでは、コーヒーと呼ばれるトルコの飲み物、茶と呼ばれる飲み物、チョコレート(これには栄養がある)という飲み物、が売られている。」とある。さらに、1675年に出されたチャールズ二世のコーヒーハウス禁止令にも、コーヒーだけではなく「コーヒー、チョコレート、シャーベット、または茶を売る店」とある。1660年の王政復古以前は、コーヒーハウスにおいてアルコール類の提供はなく、これ以降も、コーヒーが「二日酔いの特効薬である」という触れ込みで流行したためもあって、アルコール類の提供はあまりなかった。
 コーヒーハウスでは、コーヒーだけではなく茶、チョコレートをはじめ様々な飲み物が提供されていた。1659年11月の新聞のコーヒーハウスに関する記事に、「コーヒーハウスでは、コーヒーと呼ばれるトルコの飲み物、茶と呼ばれる飲み物、チョコレート(これには栄養がある)という飲み物、が売られている。」とある。さらに、1675年に出されたチャールズ二世のコーヒーハウス禁止令にも、コーヒーだけではなく「コーヒー、チョコレート、シャーベット、または茶を売る店」とある。1660年の王政復古以前は、コーヒーハウスにおいてアルコール類の提供はなく、これ以降も、コーヒーが「二日酔いの特効薬である」という触れ込みで流行したためもあって、アルコール類の提供はあまりなかった。


''' 茶'''
==== ''' 茶''' ====
 
 オランダ東インド会社によりヨーロッパに紹介された「茶」は、ロンドンでは、1657年にトーマス・ガーウェイが自身の「ギャラウェイズ」で販売・提供をして以降、徐々に広まった。17世紀初頭3000軒といわれるロンドンの多くのコーヒーハウスで茶が提供されている。特に「トワイニング紅茶」の創業者トーマス・トワイニングの「トムズ・コーヒーハウス」では、より高品質な茶の提供をしたという。なお、17世紀は緑茶が主流で、
 オランダ東インド会社によりヨーロッパに紹介された「茶」は、ロンドンでは、1657年にトーマス・ガーウェイが自身の「ギャラウェイズ」で販売・提供をして以降、徐々に広まった。17世紀初頭3000軒といわれるロンドンの多くのコーヒーハウスで茶が提供されている。特に「トワイニング紅茶」の創業者トーマス・トワイニングの「トムズ・コーヒーハウス」では、より高品質な茶の提供をしたという。なお、17世紀は緑茶が主流で、


18世紀半ばになるとボヘア茶(武夷茶:半発酵茶)とコングー茶(工夫茶:発酵茶・紅茶)が主流となる。
18世紀半ばになるとボヘア茶(武夷茶:半発酵茶)とコングー茶(工夫茶:発酵茶・紅茶)が主流となる。


''' チョコレート'''
==== ''' チョコレート''' ====
 
 1650年代にはイギリスに「チョコレート」が紹介されている。1657年の「バブリック・アドヴァイザー」紙に、「ビショップ通りにチョコレートハウス開店」の新聞広告の掲載がある。その後、多くのコーヒーハウスで「チョコレート」が提供された。しかし、「チョコレート」はコーヒーより高価な飲み物であった。そこで高級な店を意識してか、また貴族階級や上流階級の心情(もともとチョコレートは、カトリック社会と宮廷から広まっていった)を意識してか、あえて「チョコレートハウス」と名乗る「コーヒーハウス」が存在した。トーリー党の人々が利用した「ココアトゥリー」や貴族の遊び人が集まった「ホワイツ」などがそれである。   
 1650年代にはイギリスに「チョコレート」が紹介されている。1657年の「バブリック・アドヴァイザー」紙に、「ビショップ通りにチョコレートハウス開店」の新聞広告の掲載がある。その後、多くのコーヒーハウスで「チョコレート」が提供された。しかし、「チョコレート」はコーヒーより高価な飲み物であった。そこで高級な店を意識してか、また貴族階級や上流階級の心情(もともとチョコレートは、カトリック社会と宮廷から広まっていった)を意識してか、あえて「チョコレートハウス」と名乗る「コーヒーハウス」が存在した。トーリー党の人々が利用した「ココアトゥリー」や貴族の遊び人が集まった「ホワイツ」などがそれである。   


'''その他の飲み物'''
==== '''その他の飲み物''' ====
 
 コーヒーハウスで提供された、他の飲み物にはシャーベット、サループsaloopなどがある。シャーベットは現在のような氷菓ではなく、氷水にバラ、レモン、スミレなどを加えた冷たい飲み物に近いものであった。サループは、クスノキ科の植物サッサフラスに砂糖を加えた飲み物であり、コーヒーよりも安価だった。              (小村嘉人)      
 コーヒーハウスで提供された、他の飲み物にはシャーベット、サループsaloopなどがある。シャーベットは現在のような氷菓ではなく、氷水にバラ、レモン、スミレなどを加えた冷たい飲み物に近いものであった。サループは、クスノキ科の植物サッサフラスに砂糖を加えた飲み物であり、コーヒーよりも安価だった。              (小村嘉人)      


 
=====  ''' 参照文献:''' =====
''' 参照文献:'''
 
・William H. Ukers '' “ALL ABOUT COFFEE  Second Edition”'' 1935年
・William H. Ukers '' “ALL ABOUT COFFEE  Second Edition”'' 1935年


・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年
・小林章夫著 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年


・岩切正介 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版 2009年
・岩切正介著 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版 2009年


<nowiki>{{年表}}</nowiki>
<nowiki>{{年表}}</nowiki>
{{デフォルトソート:コーヒーハウスと茶、チョコレート}}
[[カテゴリ:カフェ]]
[[カテゴリ:コラム]]

2025年2月25日 (火) 11:53時点における最新版

 コーヒーハウスでは、コーヒーだけではなく茶、チョコレートをはじめ様々な飲み物が提供されていた。1659年11月の新聞のコーヒーハウスに関する記事に、「コーヒーハウスでは、コーヒーと呼ばれるトルコの飲み物、茶と呼ばれる飲み物、チョコレート(これには栄養がある)という飲み物、が売られている。」とある。さらに、1675年に出されたチャールズ二世のコーヒーハウス禁止令にも、コーヒーだけではなく「コーヒー、チョコレート、シャーベット、または茶を売る店」とある。1660年の王政復古以前は、コーヒーハウスにおいてアルコール類の提供はなく、これ以降も、コーヒーが「二日酔いの特効薬である」という触れ込みで流行したためもあって、アルコール類の提供はあまりなかった。

 茶

 オランダ東インド会社によりヨーロッパに紹介された「茶」は、ロンドンでは、1657年にトーマス・ガーウェイが自身の「ギャラウェイズ」で販売・提供をして以降、徐々に広まった。17世紀初頭3000軒といわれるロンドンの多くのコーヒーハウスで茶が提供されている。特に「トワイニング紅茶」の創業者トーマス・トワイニングの「トムズ・コーヒーハウス」では、より高品質な茶の提供をしたという。なお、17世紀は緑茶が主流で、

18世紀半ばになるとボヘア茶(武夷茶:半発酵茶)とコングー茶(工夫茶:発酵茶・紅茶)が主流となる。

 チョコレート

 1650年代にはイギリスに「チョコレート」が紹介されている。1657年の「バブリック・アドヴァイザー」紙に、「ビショップ通りにチョコレートハウス開店」の新聞広告の掲載がある。その後、多くのコーヒーハウスで「チョコレート」が提供された。しかし、「チョコレート」はコーヒーより高価な飲み物であった。そこで高級な店を意識してか、また貴族階級や上流階級の心情(もともとチョコレートは、カトリック社会と宮廷から広まっていった)を意識してか、あえて「チョコレートハウス」と名乗る「コーヒーハウス」が存在した。トーリー党の人々が利用した「ココアトゥリー」や貴族の遊び人が集まった「ホワイツ」などがそれである。   

その他の飲み物

 コーヒーハウスで提供された、他の飲み物にはシャーベット、サループsaloopなどがある。シャーベットは現在のような氷菓ではなく、氷水にバラ、レモン、スミレなどを加えた冷たい飲み物に近いものであった。サループは、クスノキ科の植物サッサフラスに砂糖を加えた飲み物であり、コーヒーよりも安価だった。              (小村嘉人)    

 参照文献:

・William H. Ukers  “ALL ABOUT COFFEE  Second Edition” 1935年

・小林章夫著 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年

・岩切正介著 『男たちの仕事場 近代ロンドンのコーヒーハウス』法政大学出版 2009年

{{年表}}