「シェイク・ジェマレディン」の版間の差分
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ジェマレディンがイスラム社会へコーヒーを紹介した逸話に関しては、『[[アブダル・カディールの書]]』に次のように記されている。 | ジェマレディンがイスラム社会へコーヒーを紹介した逸話に関しては、『[[アブダル・カディールの書]]』に次のように記されている。 | ||
「彼(ジェマレディン)が[[エチオピア]] | 「彼(ジェマレディン)が[[エチオピア]]の紅海岸を訪れ、しばらく滞在したときに、人々がコーヒーを用いているのを目にした。のちにアデンに戻り、突然の病に襲われた際に、コーヒーのことを思い出し、(取り寄せて)それを飲むと病は快癒し、そしてコーヒーを常に飲むようになる。さらにコーヒーに眠気や倦怠感を晴らし、体を軽くし精気をもたらす効果があることにも気づいた。彼はスーフィーの修道会に属していたが、こうした効能があることからアデンのスーフィー修道院の人々とともに常に飲むようになった。さらにアデンの住民の間で、勉学、技芸さらに労働を首尾よく行うため、宗教関係者だけでなく、一般の民衆もスーフィーに倣ってコーヒーを飲むようになった。これ以降、コーヒーの飲用は次第に行き渡っていった」(同書の仏語訳、[[シルヴェストル・ド・サシ]]『コーヒーの合法性の擁護』よりの翻訳)。 | ||
同書ではモハンマド・ハドハラミというアデンの高位の法学者もコーヒーを飲んでいたと記しているが、コーヒーを広めた功労者はジェマレディンである、としている。 (山内秀文) | 同書ではモハンマド・ハドハラミというアデンの高位の法学者もコーヒーを飲んでいたと記しているが、コーヒーを広めた功労者はジェマレディンである、としている。 (山内秀文) | ||
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2025年6月12日 (木) 00:42時点における最新版
シェイク・ジェマレディンSheik Gemaredin(ザブハーニー)
生没年?〜1470/1年。1454年頃、ジェマレディンはイスラム社会にコーヒーを最初に持ち込み、アデンにコーヒー飲用の慣習を広めた。これが現在、世界中にひろがるコーヒー飲用の源流とされる。
彼はアデンでイマーム(宗教指導者)、ムフティ(イスラム法学者、法の解釈と裁判への助言を行う)として尊敬を集めたイスラムの権威者であったといわれる。またジェマレディンはスーフィー教団に属していた。スーフィー教団はその後のイスラム世界へのコーヒーの広がりに大きな役割を果たしている。
ジェマレディンがイスラム社会へコーヒーを紹介した逸話に関しては、『アブダル・カディールの書』に次のように記されている。
「彼(ジェマレディン)がエチオピアの紅海岸を訪れ、しばらく滞在したときに、人々がコーヒーを用いているのを目にした。のちにアデンに戻り、突然の病に襲われた際に、コーヒーのことを思い出し、(取り寄せて)それを飲むと病は快癒し、そしてコーヒーを常に飲むようになる。さらにコーヒーに眠気や倦怠感を晴らし、体を軽くし精気をもたらす効果があることにも気づいた。彼はスーフィーの修道会に属していたが、こうした効能があることからアデンのスーフィー修道院の人々とともに常に飲むようになった。さらにアデンの住民の間で、勉学、技芸さらに労働を首尾よく行うため、宗教関係者だけでなく、一般の民衆もスーフィーに倣ってコーヒーを飲むようになった。これ以降、コーヒーの飲用は次第に行き渡っていった」(同書の仏語訳、シルヴェストル・ド・サシ『コーヒーの合法性の擁護』よりの翻訳)。
同書ではモハンマド・ハドハラミというアデンの高位の法学者もコーヒーを飲んでいたと記しているが、コーヒーを広めた功労者はジェマレディンである、としている。 (山内秀文)
参考文献
- Antoine Galland "De l'origine et du progrès du café" 1699, Paris
- Syrvestre de Sacy "Chrestomathie arabe"