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「ヘンリー・ブラント」の版間の差分

提供:コーヒー歴史年表
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・William H. Ukers  ''"ALL ABOUT COFFEE  Second Edition"'' 1935年
・William H. Ukers  ''"ALL ABOUT COFFEE  Second Edition"'' 1935年


・小林章夫 『コーヒーハウス』 駸々堂 1984年
・小林章夫著 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年


・Wikipedia Sir Henrry Blount(英語版)
・Wikipedia Sir Henrry Blount(英語)


・Wikisource    Sir Henrry Blount(英語版)
・Wikisource    Sir Henrry Blount(英語)

2025年1月22日 (水) 01:04時点における版

ヘンリー・ブラントSir Henry Blount

 

生没年1602年〜1634年。イギリスの旅行家、政治家、作家。チャールズ一世によってナイトに任じられたが、共和政時代は通商と航海関連の委員を務めた。また、 黎明期のコーヒーハウスでの活動の中心人物で「コーヒーハウスの父」との異名を持つ。特にジェイムズ・ファーの「レインボウ」と「ジョンのコーヒーハウス(1671年~1677年に存在したが詳細は不明)」がお気に入りであった。

ブラントは1634年5月から11ヶ月間にわたりイタリア、バルカン地域、トルコ、レヴァント、エジプトを巡り、その航海記『レヴァントの旅Voyage into the Levant』(1634年刊)を著述した。『レヴァントの旅』は1671年までに8版を重ねるほどの評判を呼び、この著作によってブラントの旅行家、作家としての名声が確立された。

この旅行記にトルコ・エジプトでのコーヒーに関して次のような記載がある。

「・・・それをカウフェcaupheと呼ぶ。豆から作り、炉で焙りそれを潰して粉にする。煮だした後に熱いまま飲む。人々は、カウフェ=ハウスで楽しみながら2~3時間を過ごす。それはトルコ中にあって、我が国のイン(訳註:宿屋兼居酒屋)やエールハウスより多い」(抜粋要約)。 

(小村嘉人)

 

ヘンリー・ブラント

ヘンリー・ブラント卿 

ピーター・レリー卿 画 Wikipedia Sir Henry Blount  より

 

参照文献:

・William H. Ukers  "ALL ABOUT COFFEE  Second Edition" 1935年

・小林章夫著 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年

・Wikipedia Sir Henrry Blount(英語)

・Wikisource    Sir Henrry Blount(英語)