ヘンリー・ブラント
ヘンリー・ブラント:Sir Henry Blount
生没年1602年〜1634年。イギリスの旅行家、政治家、作家。チャールズ一世によってナイトに任じられたが、共和政時代は通商と航海関連の委員を務めた。また、 黎明期のコーヒーハウスでの活動の中心人物で「コーヒーハウスの父」との異名を持つ。特にジェームス・ファーの「レインボウ」と「ジョンのコーヒーハウス(1671年~1677年に存在したが詳細は不明)」がお気に入りであった。
ブラントは1634年5月から11ヶ月間にわたりイタリア、バルカン地域、トルコ、レヴァント、エジプトを巡り、その航海記『レヴァントの旅Voyage into the Levant』(1634年刊)を著述した。『レヴァントの旅』は1671年までに8版を重ねるほどの評判を呼び、この著作によってブラントの旅行家、作家としての名声が確立された。
この旅行記にトルコ・エジプトでのコーヒーに関して次のような記載がある。
「・・・それをカウフェcaupheと呼ぶ。豆から作り、炉で焙りそれを潰して粉にする。煮だした後に熱いまま飲む。人々は、カウフェ=ハウスで楽しみながら2~3時間を過ごす。それはトルコ中にあって、我が国のイン(訳註:宿屋兼居酒屋)やエールハウスより多い」(抜粋要約)。 (小村嘉人)
ヘンリー・ブラント卿
ピーター・レリー卿 画 Wikipedia Sir Henry Blount より
参照文献:
・William H. Ukers "ALL ABOUT COFFEE Second Edition" 1935年
・小林章夫 『コーヒーハウス』 駸々堂 1984年
・Wikipedia Sir Henrry Blount(英語版)
・Wikisource Sir Henrry Blount(英語版)