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=='''ジョセフ・アディソン'''Joseph Addison==
=='''ジョセフ・アディソン'''Joseph Addison==


1672年~1719年 イングランド南西部のウィルトシャー州生まれの詩人・劇作家・政治家。オックスフォード大学のクイーンズカレッジで学んだのちに、古典・ネオラテン語の能力が認められて、オックスフォード大学のマグダレンカレッジのフェローとなった。
1672年~1719年 イングランド南西部のウィルトシャー州生まれの詩人・劇作家・政治家。オックスフォード大学のクイーンズ・カレッジで学んだのちに、古典・ネオラテン語の能力が認められて、オックスフォード大学のマグダレン・カレッジのフェローとなった。


1694年に最初の本を出版した後に、詩人・作家として執筆活動をしながら、外交官になることを視野に入れて、ヨーロッパ中を旅した。一方でホイッグ党系のクラブにも参加をして、1705年にホイッグ党政権下で国務次官に任官、1708年には国会議員にもなった。
1694年に最初の本を出版した後に、詩人・作家として執筆活動をしながら、外交官になることを視野に入れて、ヨーロッパ中を旅した。一方でホイッグ党系のクラブにも参加をして、1705年にホイッグ党政権下で国務次官に任官、1708年には国会議員にもなった。

2025年1月23日 (木) 18:31時点における版

ジョセフ・アディソンJoseph Addison

1672年~1719年 イングランド南西部のウィルトシャー州生まれの詩人・劇作家・政治家。オックスフォード大学のクイーンズ・カレッジで学んだのちに、古典・ネオラテン語の能力が認められて、オックスフォード大学のマグダレン・カレッジのフェローとなった。

1694年に最初の本を出版した後に、詩人・作家として執筆活動をしながら、外交官になることを視野に入れて、ヨーロッパ中を旅した。一方でホイッグ党系のクラブにも参加をして、1705年にホイッグ党政権下で国務次官に任官、1708年には国会議員にもなった。

ホイッグ党系クラブを通じ知り合ったリチャード・スティールに協力をして、雑誌『タトラー』にいくつかの記事を執筆した。さらに1711年にはスティールとともに日刊紙『スペクテイター』を発刊した。『スペクテイター』の記事の多くはコーヒーハウスで得た情報で、執筆もコーヒーハウスでされていた。日々情報を得ることは大変であったようであり、アディソンは行きつけの「バトンズ・コーヒーハウス」にライオンの頭の形をした投書箱を備えて、読者からの情報をも募っていたことがあった。

アディソンは、その後劇作家としても多くの劇作を手掛けて、特に1712年に発表された『カトー悲劇 Cato a Tragedy 』はイギリス国内だけでなくアメリカでも大人気であった。また政治家としても活躍をして、1717年国務大臣に任命、生涯国会議員を勤めた。 (小村嘉人)

参照文献

・William H. Ukers "ALL ABOUT COFFEE Second Edition" 1935年

・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年

・Wikipedia Joseph Addison (英語)