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「ヘンリー・ブラント」の版間の差分

提供: コーヒー歴史年表
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生没年1602年〜1682年。イギリスの旅行家、政治家、作家。1639年にチャールズ一世 Charles Ⅰ(イングランド王 在位:1625年~1649年)からナイト Knight の称号を与えられた。また、共和政時代は通商と航海関連の委員を務めた。さらに、黎明期のコーヒーハウスでの活動の中心人物で「コーヒーハウスの父」との異名を持つ。特に[[ジェイムズ・ファー]] James Farr の「[[レインボウ]] Rainbow Coffee House 」と「ジョンのコーヒーハウス(1671年~1677年に存在したが詳細は不明)」がお気に入りであった。
生没年1602年〜1682年。イギリスの旅行家、政治家、作家。1639年にチャールズ一世 Charles Ⅰ(イングランド王 在位:1625年~1649年)からナイト Knight の称号を与えられた。また、共和政時代は通商と航海関連の委員を務めた。さらに、黎明期のコーヒーハウスでの活動の中心人物で「コーヒーハウスの父」との異名を持つ。特に[[ジェイムズ・ファー]] James Farr の「[[レインボウ]] Rainbow Coffee House 」と「ジョンのコーヒーハウス(1671年~1677年に存在したが詳細は不明)」がお気に入りであった。


ブラントは1634年5月から11ヶ月間にわたりイタリア、バルカン地域、トルコ、レヴァント、エジプトを巡り、その航海記『レヴァントの旅 Voyage into the Levant』(1634年刊)を著述した。『レヴァントの旅』は1671年までに8版を重ねるほどの評判を呼び、この著作によってブラントの旅行家、作家としての名声が確立された。
ブラントはイタリア、バルカン地域、トルコ、レヴァント、エジプトを巡り、その航海記『レヴァントの旅 Voyage into the Levant』を著述した。『レヴァントの旅』は8版を重ねるほどの評判を呼び、この著作によってブラントの旅行家、作家としての名声が確立された。


この旅行記にトルコ・エジプトでのコーヒーに関して次のような記載がある。
この旅行記にトルコ・エジプトでのコーヒーに関して次のような記載がある。

2026年6月3日 (水) 05:08時点における版

ヘンリー・ブラント Sir Henry Blount

 

生没年1602年〜1682年。イギリスの旅行家、政治家、作家。1639年にチャールズ一世 Charles Ⅰ(イングランド王 在位:1625年~1649年)からナイト Knight の称号を与えられた。また、共和政時代は通商と航海関連の委員を務めた。さらに、黎明期のコーヒーハウスでの活動の中心人物で「コーヒーハウスの父」との異名を持つ。特にジェイムズ・ファー James Farr の「レインボウ Rainbow Coffee House 」と「ジョンのコーヒーハウス(1671年~1677年に存在したが詳細は不明)」がお気に入りであった。

ブラントはイタリア、バルカン地域、トルコ、レヴァント、エジプトを巡り、その航海記『レヴァントの旅 Voyage into the Levant』を著述した。『レヴァントの旅』は8版を重ねるほどの評判を呼び、この著作によってブラントの旅行家、作家としての名声が確立された。

この旅行記にトルコ・エジプトでのコーヒーに関して次のような記載がある。

「・・・それをカウフェcaupheと呼ぶ。豆から作り、炉で焙りそれを潰して粉にする。煮だした後に熱いまま飲む。人々は、カウフェ=ハウスで楽しみながら2~3時間を過ごす。それはトルコ中にあって、我が国のイン(訳註:宿屋兼居酒屋)やエールハウスより多い」(抜粋要約)。 

(小村嘉人)

ヘンリー・ブラント

ヘンリー・ブラント卿 

ピーター・レリー卿 画 Wikipedia Sir Henry Blount  より

 

参照文献:

・William H. Ukers  "ALL ABOUT COFFEE  Second Edition" 1935年

・小林章夫著 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年

・Wikipedia Sir Henrry Blount(英語)

・Wikisource    Sir Henrry Blount(英語)

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