*コラム:ニューヨークの初期のコーヒーハウス
ニューヨークは17世紀半ばにオランダ人によって開拓されたが、その際、茶が伝えられた記録がある。しかし、コーヒーに関しては不明である。ただし、1668年には住民がコーヒーに魅力を感じたという記録があることから、この少し前にこの地を植民地化したイギリス人によってコーヒーが伝えられたと思われる。この後一気にイギリスの風俗習慣が伝わり、1683年にはニューヨークはコーヒー生豆の中心的市場になった。
17世紀末以降ニューヨークは商業・政治さらに社交の中心地であった。この地の初期のコーヒーハウスは、大都会のロンドンのコーヒーハウスやパリのカフェと同じ様子であったが、しばしば議会や住民集会が催され、裁判も実施された。裁判はヨーロッパのコーヒーハウスにはない特徴である。18世紀になると商業地域にコーヒーハウスが多く開業し、商人たちの集会や競売・株の売買などの商取引が行われ、ロンドンの商業カフェと同じような様相であったが、博打や奴隷取引といった暗いものも含まれていた。一方で、18世紀半ばにロンドンのプレジャーガーデンを再現しようとする試みがあり、ニューヨークにもいくつかのプレジャーガーデンが開業した。 記録に残るニューヨークの初期のコーヒーハウスを紹介する。
「キングズ・アームズ King’s Arms」
ニューヨークで最初のコーヒーハウス。ジョン・ハッチン John Hutchinsが1696年にブロードウェイ Broadway沿いにあるトリニティー教会の敷地 Trinity churchyard付近(現在のBroadway115番地 レストラン トリニティー・プレイスのあたり)で開業。一階は仕切り席が、二階には集会ができる部屋がいくつかあり、植民地の役人や商人の会合が催された。この集会ができる部屋があることが以前からあったタヴァーン tavern と異なるこのコーヒーハウスの特徴で、人々は、昼は商談や会合でここを利用し、夜の社交や宿泊はタヴァーンやインでという使い分けをしていた。ニューヨークのコーヒーハウスに関する記録はこの後しばらくなく、この店のその後の詳細も不明である。
「新しいコーヒーハウス」
1709年の記録に、当時の商業地域であったブロードウェイの東側の波止場近く(詳しい所在地は不明)にあった「新しいコーヒーハウス」で会合が開かれた記載がある。この店が「キングズ・アームズ」が移転した店であるか、別の店であるかは不明。さらにこの後1729年まではニューヨークのコーヒーハウスに関する記録はない。
「エクスチェンジ・コーヒーハウス Exchange Coffee House」
1729年の『ニューヨーク・ガゼット New York Gazette (1725年発刊の新聞)』に、この店の従業員募集の広告が掲載された。開業はこの年かその少し前と推測される。場所はブロード通りBroad St.(ブロードウェイではない)端の商業地域で、商品取引所も近くにあった。1732年と1737年にも競売の記録があり、このコーヒーハウスは実質上町の公式競売所になっていた。長く名声を保ったコーヒーハウスであったが、1750年以降移転や店名の変更を繰り返し数年後に閉店した。
「マーチャンツ・コーヒーハウス Merchants Coffee House」
ニューヨークの初期のコーヒーハウスで最も有名な店で、1789年にはワシントン初代大統領の歓迎式が催された。詳細は〝1737年「マーチャンツ・コーヒーハウス」開業″を参照。
「エクスチェンジ・コーヒールーム Exchange Coffee Room」
ブロード通り端にあった1752年開設の王立取引所の中にあったコーヒールームである。王立取引所はもともと商品取引所があった跡地で開設されており、この近くには前出の「エクスチェンジ・コーヒーハウス」があったが、1751年に別の場所に移転した。このコーヒールームは「エクスチェンジ・コーヒーハウス」を引き継ぐ形で開業したと推測される。
「ホワイトホール・コーヒーハウス Whitehall Coffee House 」
1762年開業。ニューヨークやボストンで発行された新聞が多く常備されていた。
「バーンズ・コーヒーハウス(タヴァーン)Burns Coffee House」
バッテリー近くで初期のニューヨークの記録にはたびたび登場した。
「バンク・コーヒーハウス Bank Coffee House」
1814年にウィリアム通り William St.とパイン通り Pine St.の角(現在のチェース・マンハッタン・バンク・プラザのあたり)開業。商人たちの会合としての夕食会が評判であった。
「トンチン・コーヒーハウス Tontine Coffee House」
様々な業務を行うため、ゆったりしたコーヒーハウスの必要性を感じた約150人の商人が、1791年に「株式会社トンチン・コーヒーハウス」を結成し、ウォール街 Wall St.とウォーター通り Water St.の角で以前「マーチャンツ・コーヒーハウス」があった場所に、1793年コーヒーハウスを開業した。コーヒーハウスの名がついているが、実態は商品(コーヒー・砂糖・綿などの他に奴隷・子供・女性の売買といった暗い取引も含まれていた。)や株式等の商取引をする場であり、ニューヨークの商取引所として機能していた。実際1817年には公式の株式市場の本部となり、これが、のちのニューヨーク証券取引所の前身となった証券取引所委員会に大きな影響を与えた。街の成長とともに「トンチン・コーヒーハウス」は手狭になり、1850年ごろに新しい建物に移転したが、商取引に特化しコーヒーハウスの面影はなくなった。
「ヴォクスホール・ガーデン Vauxhall Gardens(プレジャーガーデン)」
すでにあったプレジャーガーデンを1750年にロンドンのそれに倣い「ヴォクスホール」と改名した。ハドソン川の美しい光景が眺められるグリニッジ通り Greenwich St.沿い(現在は公立234小学校がある場所)で、庭園や食堂があり、夏にはコンサートや花火などのイベントが開かれた。1798年に北側のブルーム通り Broom St.沿いに移転し、1805年にはさらに北のラファイエット通り Lafayette St.4番街から8番街までの広い敷地に移転したが1859年に閉園した。
「ラネラ・ガーデン Ranelagh Gardens(プレジャーガーデン)」
「ヴォクスホール・ガーデン」と同時期に20年ほど営業していた、こちらもロンドンの名称を模したプレジャーガーデンで、大きなダンスホールがあった。場所はブロードウェイ沿いのデュエイン通り Duane St.とワース通り Worth St.の間であった。
ニューヨーク最初のコーヒーハウス「キングスアーム」
『ALL ABOUT COFFEE Second Edition』 より
参照文献:
・William H Ukers 『ALL ABOUT COFFEE Second Edition』 1935年
・Wikipedia アメリカの13植民地 (英語版・日本語版)
・Wikipedia ニューヨーク植民地 (英語版・日本語版)
・Wikipedia Tontine Coffee House (英語版)
・Wikipedia New York Vauxhall Gardens (英語版)