ブラジルのコーヒー栽培の始まり

提供:コーヒー歴史年表
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ブラジルでは、1727年にフランス領ギアナから持ち込まれたコーヒーの木をもとに、ブラジル北部にあるパラー州にて、コーヒープランテーションが拓かれました。


ここには、こんなエピソードが言い伝えられています。


中南米では、1715年にハイチが最も早くコーヒー栽培を始めており、1718年には、アムステルダム植物園からスリナム(オランダ領ギアナ)に送られたコーヒーによって、栽培が始まりました。


南アメリカ北東部にあるギアナ地方は、西からイギリス領(現在のガイアナ)、オランダ領(現在のスリナム)、そしてフランス領ギアナに分かれて統治されていました。フランス領ギアナはコーヒー栽培を行いたかったのですが、隣国スリナムはコーヒーの木をくれません。あるとき、フランス領で罪を犯し追っ手を逃れるためにスリナムに住んでいたムールジュが恩赦を受けるために領事と交渉し、スリナムからフランス領ギアナにコーヒーの木を盗み出し、1722年にフランス領ギアナでもコーヒーの栽培が始まりました。


その後1727年、スリナムとフランス領ギアナが対立した際、フランス領ギアナの東隣にあるポルトガル領ブラジルが仲裁に入って会談を行うことになりました。ブラジルからフランシスコ・デ・メリョ・パリェタという官吏が選ばれ、フランス領ギアナに向かいましたが、彼はブラジルにコーヒーの木を持ち帰るという密命を帯びていました。彼は策略を企て、フランス領事夫人と男女関係を持ち、彼の虜になった夫人は、彼から密命を打ち明けられました。会談後のお別れの席で、夫人はブラジルに帰る彼に花束を手渡します。この花束に5本のコーヒーの若木をこっそり忍ばせており、この若木がブラジル北部のパラー州に植えられ、後のコーヒー大国となるブラジルにコーヒーが伝わったと言われています。


参照:

・『ALL ABOUT COFFEE』 ウィリアム・H・ユーカーズ著 山内秀文 訳・解説 2017年 角川ソフィア文庫

・『珈琲の世界史』 旦部幸博著 2017年 講談社