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セイロン島(スリランカ)

提供:コーヒー歴史年表

セイロン島Ceylon(スリランカSri Lanka)  

1948年、イギリスから独立。1972年にセイロンから現在のスリランカ民主社会主義共和国に改名。首都コロンボ。

ポーク海峡を挟んでインドの南東に位置する島国。中央部から南部にかけて2000m級の高地(中央高地)が広がる。中央高地の南部のウバ州、ヌアラエリアは茶の一大産地となっている。茶はスリランカの主要輸出品で、生産量は世界第4位。


コーヒー栽培の歴史--さび病以前

1505年からポルトガルの植民地。1658年にポルトガルに代わりオランダがセイロンを支配し、植民地とした。

1658年に植民地としたオランダがモカからコーヒーを移植したとされるが、その後栽培が続いたという記録はない。

オランダの植民地時代に、コーヒーの栽培はジャワ島に先がけて1690年頃に始まったとされるが、実際にオランダ本国への輸出の記録が残るのは1722年である。18世紀中オランダが南部の海岸地域でコーヒー栽培を続けたが、同じオランダ領のジャワに比べれば極めて小規模だった。

1815年、セイロン島はオランダからイギリスへと支配が移る。当初はコーヒー栽培に進展はなかったが、1830年代なると大規模な投資が行われ、中央部から南部に広がる高地の森林を切り開いてコーヒー・プランテーションが開発された。1840年頃からはコーヒーの生産が急速に拡大、1860年にはブラジル、ジャワに次ぐ世界第3位の生産国となった。

この間、栽培・精製関係の技術開発も積極的に進め、水洗式の精製法も他の生産国に先駆けて導入し、品質面でも高い評価を受けていた。


コーヒー栽培の歴史---さび病パンデミック以降

1869年、このセイロン島で初めてさび病が発生、次第に全島に蔓延してコーヒー栽培に甚大な被害を及ぼした。それでも1880年頃まではコーヒー生産は拡大したが、リベリカ種の導入などのさび病対策も効果が見られず、プランテーションは徐々に茶の栽培に切り替えられ、20世紀初頭にはセイロンのコーヒー栽培は、ほぼ消滅した。

さび病は、セイロンからインド、インドネシアへと飛び火してコーヒー生産に大きな打撃を与えた。現在ではその被害は全コーヒー生産国に及んでいる。

いったん消滅したスリランカのコーヒー栽培は1960年代後半から復活したが、生産量の際立った増加はみられず、21世紀に入っても生産は横ばい状況である。 (大西文明、山内秀文)


参照文献

・Wringley, Gordon"Coffee" 1988, New York

・Wikipedia:Coffee production in Sri Lanka(英語版)

・ウィリアム・H・ユーカーズ著ALL ABOUT COFFEE』2017年 山内秀文抄訳 角川ソフィア文庫

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