フルミネンセ
フルミネンセは、リオデジャネイロ州(リオ・デ・ジャネイロ州)の別名で、公式ではないが、広く使用されていた。ブラジルで本格的なコーヒーの栽培が始まり、輸出産業として初めて発展した地域である。
1770年、マラニョン州のコーヒーの苗木をリオデジャネイロ州(ブラジルのコーヒー栽培の始まり)に持ち込まれたが、18世紀中はコーヒーの取引価格が安く栽培が広まらなかった。(フルミネンセに広まったコーヒーの苗木は、1760年にマラニョン州、またはパラー州からカステロブランコ判事がもたらし、2本のコーヒー苗を植えたことが始まりだとする説もあり:ブラジルコーヒーの歴史)
1798年のフルミネンセの輸出量は、砂糖が10,731トンに対し、コーヒーは17トン足らずであった。
1808年、リスボンにあるポルトガル宮廷はナポレオン軍を逃れてリオに移転し、翌1809年、リオがポルトガル・ブラジル連合王国の首都となり、リオの人口は増加し、高い文化を持った移住者たちによって文化も進歩した。
ナポレオンが没落し、1815年以後、コーヒーの消費が急激に増加し取引価格も上昇したことから、フルミネンセのコーヒー輸出量も急増している。1817年:4,784トン、1820年:8,085トンとなっている。1815年~1820年の取引価格の平均は、1815年以前と比べ、およそ倍となる。
1821年には王の帰還と共に首都もリスボンに再遷都され、1822年にブラジル帝国の独立を宣言し、リオはブラジル帝国の首都となった。
以後、フルミネンセのコーヒー生産は増加し、1850~1870年最盛期となったが、1888年の奴隷解放宣言により労働力を失うことで一気に生産量が激減した。その後は、労働力を移民(主にイタリア移民)に移行していたサンパウロ州が生産の中心となっていった。 (大西文明)
参考文献:
- ウィリアムH.ユーカーズ著『ALL ABOUT COFFEE』(1935)山内秀文抄訳 角川ソフィア文庫,2017
- 堀部洋生著『ブラジルコーヒーの歴史』いなほ書房,1973
- Wikipedia:リオ・デ・ジャネイロ