*コラム:セヴィニェ夫人とフランス宮廷人のコーヒー観。
コーヒーは、17世紀の半ばに上流階級からフランス社会(特にパリ)に浸透して行った。
17世紀から18世紀にかけてのセヴィニェ夫人をはじめとするフランス上流階級のコーヒーに関係する人物とエピソードをあげてみよう。
・ジャン・ド・テヴノー:1657年にトルコからコーヒーを持ち帰り、パリで友人にコーヒーを振る舞う。
・ジュール・マザランJules Mazarin:フランスの宰相(在任1642〜1661年)。イタリア生れ。1660年ころに、イタリアからコーヒーのサーヴィス係を呼び寄せてコーヒーや茶を淹れさせ、飲んでいた。ド・テヴノーの影響ともいわれる。
・セヴィニェ夫人Madame de Sévigné:生没年1626年〜1696年。マリ・ド・ラビュタン=シャンタル、セヴィニェ侯爵夫人Marie de Rabutin-Chantal, marquise de Sévigné。17世紀フランス書簡文学を代表する作家。家族や友人に送った1500通を超える手紙を残し、その中で当時の上流階級のエピソード、ゴシップ、流行を中心に軽妙かつ知的な文章で綴っている。
コーヒーについての記述として「ラシーヌとコーヒーはすみやかに消え去ってしまうだろう」という一文が有名だが、これはヴォルテールとラ・アルプLa Harpeがセヴィニェ夫人を皮肉った創作である。
セヴィニェ夫人は娘宛の手紙で何度かコーヒーについて否定的な見解(注1)を述べ、特に医師の「健康に害がある」との意見を伝えコーヒーを飲むのをやめるよう忠告している。しかし、後の1690年1月29日の書簡ではカフェ・オ・レを次のように賞賛している。
「この地(ロシェRochers)には良い牛乳があり、良い牝牛がいます。この牛乳と砂糖を(コーヒーに)混ぜて楽しんでいます。・・・それはとてもおいしい飲み物で、カレームの間(四旬節=断食・肉断ちの期間)の私の慰めになるでしょう。デュボワDu Bois氏は胸と風邪に効くと認めています。友人のアリオAliot氏によれば、これはレ・カフテlait cafetéまたはカフェ・レテcafé laitéと言うそうです」。
(注1):コーヒーに関する書簡は、1676.5.10、1676.9.8、1680.2.16、1688.11.23、1696.5。
カフェ・オ・レに関しての書簡は、1690.1.29、1690.2.19、1690.2.26。
・ルイ・ド・マイイLouis de Mailly:生没年1657年〜1724年。シュヴァリエchevalier・ド・マイイとも称する。17世紀末〜18世紀に活躍した作家で、特に物語(コント)作家として名高い。名家の出で名付け親はルイ一四世。
ド・マイイは早くから上流階級の友人たちとカフェに通い、『パリのカフェでの対談録Entretien de caffée de Paris』(1702年刊)には18世紀初頭のカフェの様子が記されている。
「カフェは極めて快適な場で、そこには職種も人柄もさまざまな人々が集まる。洗練された振る舞いの若い仲間たちが、会話を楽しんでいたり、識者たちが書斎での仕事から離れ、ここに精神を休めにくる、そうした光景もみられる」。 (山内秀文)
参照文献:
- Henri Werter "L'Histoire du café" 1868 Paris
- Jean Leclant "Le café et les cafés à Paris 1644-1693" 1951 Annales
- Wikipedia: セヴィニェ夫人(日本語、英語)
- Jean-Claude Boulogne "Histoire des Cafés et des Cafetiers" 1993 Larous
- Ulla Heise "Histoire du Café et des cafés les plus célèbres" 1987 Leipzig(l’édition française 1988)
- Wikipedia:Lois de Mailly(フランス語)、Le chevalier de Mailly(英語)