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『スペクテイター』には数々のコーヒーハウスの名前が登場する。「ウィルズ」「セント・ジェームズ」「[[グリシアン・コーヒーハウス|グリシアン]]」「ココア・トゥリー」「ジョナサンズ」などで、これらのコーヒーハウスで仕入れたニュースや話題をもとに記事が書かれた。 | |||
『[[タトラー]]』では、コーヒーハウスごとに、文学の話題は「ウィルズ」の欄に、内外のニュースは「セント・ジェイムズ」の欄にと各号でそれぞれの記事になっていたが、『スペクテイター』では、各コーヒーハウスで得た情報をまとめて、一貫性のあるテーマに従った記事である。さらに『スペクテイター』には次の特徴があった。まず、ゴシップ記事だけではなくて、文学・学術などのまじめな話題が取り入れられた。さらに当時のジャーナリズムの主流であった政治議論を排した。また、道徳的な配慮をしつつさまざまな話題を掲載した。広告も多く、演劇案内、交際を求めるもの、医薬に関することなど多岐にわたっている。 | 『[[タトラー]]』では、コーヒーハウスごとに、文学の話題は「ウィルズ」の欄に、内外のニュースは「セント・ジェイムズ」の欄にと各号でそれぞれの記事になっていたが、『スペクテイター』では、各コーヒーハウスで得た情報をまとめて、一貫性のあるテーマに従った記事である。さらに『スペクテイター』には次の特徴があった。まず、ゴシップ記事だけではなくて、文学・学術などのまじめな話題が取り入れられた。さらに当時のジャーナリズムの主流であった政治議論を排した。また、道徳的な配慮をしつつさまざまな話題を掲載した。広告も多く、演劇案内、交際を求めるもの、医薬に関することなど多岐にわたっている。 | ||
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2025年2月25日 (火) 11:59時点における最新版
スペクテイターThe Spectator
1711年にリチャード・スティールとジョゼフ・アディソンによって創刊された日刊誌。
『スペクテイター』には数々のコーヒーハウスの名前が登場する。「ウィルズ」「セント・ジェームズ」「グリシアン」「ココア・トゥリー」「ジョナサンズ」などで、これらのコーヒーハウスで仕入れたニュースや話題をもとに記事が書かれた。
『タトラー』では、コーヒーハウスごとに、文学の話題は「ウィルズ」の欄に、内外のニュースは「セント・ジェイムズ」の欄にと各号でそれぞれの記事になっていたが、『スペクテイター』では、各コーヒーハウスで得た情報をまとめて、一貫性のあるテーマに従った記事である。さらに『スペクテイター』には次の特徴があった。まず、ゴシップ記事だけではなくて、文学・学術などのまじめな話題が取り入れられた。さらに当時のジャーナリズムの主流であった政治議論を排した。また、道徳的な配慮をしつつさまざまな話題を掲載した。広告も多く、演劇案内、交際を求めるもの、医薬に関することなど多岐にわたっている。
『スペクテイター』の発行部数は約3000部で、コーヒーハウスが購入をして、そこの常連客が回し読みをしたので、当時のロンドン市民の約1割が読者であったと推測できる。1712年までに555号が発行され、さらに1714年に週3回556号から635号が発行された。後に、これらの記事は8冊の本にまとめられて出版がなされた。アメリカにも読者が多く、ジェームズ・マディソン James Madison (後のアメリカ大統領)の世界観にも影響を与えたという。 (小村嘉人)
参照文献:
・William H. Ukers "ALL ABOUT COFFEE Second Edition" 1935年
・小林章夫 『コーヒー・ハウス』 駸々堂 1984年
・Wikipedia The Spectator (英語版)